川上弘美「ハヅキさんのこと」を読む2006-11-26 13:08

ハヅキさんのこと

虚と実のあわいを描く掌篇小説集。

ふわふわとした人が出てきて、ふわふわした会話がある。
とくにエキセントリックな場面とか啓蒙的なものはない。

でも、これらの短編を読んでいるとさまざまな感情・感覚・遠い昔に沈殿してしまった思い出にスイッチが入る。

「琺瑯」では、白い陶器のような洗面器を思い出す。
「浮く」では、水に浮く感覚を感じる。
「ネオンサイン」では、電気信号に制御される信号機が雨に煙っている風景を想像する。
「むかしむかし」では、ペン立てにボールペンを頭からささなくちゃと日常生活を見直した。
「何でもなく」では、昔住んだ共同アパートを思い出した。
「誤解」では、人の心の闇がかいま見えてホラーみたい。
「床の間」では、押し入れで寝ることを想像する。狭くて安寧な場所。
「動物園の裏」では、動物園に閉じこめられた野生の哀しみを想像する。
「水かまきり」では、人の心のささやかだけど強い復元力を感じる。

いちばん印象的なのは「森」という掌篇。
50歳になった幼なじみの男女が、森(といっても鎮守の森だが)で再会する。
互いに好意を寄せていたけれど、時はうかうかと過ぎてしまう。
「好き」という感情だけに身を任せることができないのは二人ともわかっている。
でも、「好き」という範疇とは違う感情をも見いだすことができない。

「祐一のこと、やっぱり、今も好きよ。口に出してわたしはまた言いそうになった。でも、言わなかった。森の中だけのこと。そう思ったから。祐一を好きなのは、森の中だけ」(同書123頁)

センセイの鞄の月子(38歳)さんを、やはり若く感じてしまう。リアルな生活も虚と実のあわいにあるのかもしれないと想像できる佳品です。

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