SFプロトタイピング2021-11-08 20:09

午前中はAmazonにてLED電灯の注文。ついで百貨店のオンラインお歳暮サイトで親族へのお歳暮発注。シルバー人材センターの方が来てくれて、植木の剪定をしてもらう。今回もていねいな仕事ぶり、私よりはるかに高齢なのにたいしたもんです。

■先日の夫婦の会話

宮本浩次の音楽番組を老夫婦で見ていたら、彼の代表曲「今宵の月のように」が紹介された。

妻「この曲ってキムタクのドラマで主題歌になったやつやね」
わたし「いや違うよ、えーっと」(固有名詞が出てこない)
「Mを歌っていたグループの....」(またまた固有名詞が出てこない)
妻「プリンセス・プリンセス?」
わたし「そうそう、そのボーカルの....」
妻「岸谷香?」
わたし「そうそう、その岸谷香のご主人の....」
妻「岸谷五郎?」
わたし「そう、岸谷五郎が主演したドラマやった」

と迂遠な会話をしながら、やっと会話の目的に達することができる。加齢とともに固有名詞がでてこないというのは、ほんまやね(苦笑

最近、PCのデスクトップ環境を設定していたら、キーバインドやショートカットキーを覚えるのにとまどう。

■ 日記をorg-modeで整理するようになってからは、
Emacsのキーバインド、インクリメンタルに補完や検索をするためのフレームワークhelmのキーバインドを操作し、

■ タイル型ウィンドウマネージャのRegolithのショートカットを覚えなければならず(「shift+Super+/」でショートカットがポップアップするのは助かる)

■ Regolith上のTerminal(mlterm)から起動させたCUIファイラーRangerのショートカットを覚えなければならない。

左Neofeth 右上Ranger 右下Htop


頭ではなく手に覚えさせる必要があるけれど、脳がだいぶスカスカになっているので、しばらく使わないとすぐ忘れてしまう。

だからEmacsでこの文章を書きながら、別ウィンドウにショートカットをまとめたファイルを起動させて、わからなければ参照するというスタイル。

左Emacsでこの文章を作成 右EmacsでCheatsheet確認


最近、はまっているRegolithは、刺激的なタイル型ウィンドウマネージャだ。過去にi3WMやawesom、xmonadなどのタイル型ウィンドウマネージャを試したことがあるが、使いやすくするためには膨大な時間を費やして、設定ファイルを自分で構成しなければならない。中途でめんどうになって、Xfceなどのデスクトップ環境で困らないやん、ということになりがち(XfceやLxdeのデスクトップは軽量でじゅうぶんに使える)。

デスクトップ画面を開陳するサイトでは、日々、デスクトプのスナップショットを見ることができる。ダークな画面が多いし、かなりマニアック。


Regolithの画期的なところは、Ubuntu系列のディストリビューション(Ubuntu,LinuxMintなど)で動くウィンドウマネージャなので、自動的に各ディストリビューションのアプリを起動することができること。
そしてデフォルトでタイル型ウィンドウマネージャの設定がなされており、すぐにその恩恵を受けることができる。キーボード操作に拘泥せずにマウスも併用できる(ThinkPadのトラックポイント最高!)。これはかなり斬新。もちろん設定ファイルをゴリゴリと書き加えて、より細密な環境にすることもできるけど、その域になると「趣味の問題」ということになるだろう。

ワークスペースを自由に作成して、複数のウィンドウを起動させ、各ウィンドウのフロート、リサイズ、最大化、ワークスペース移動も軽快に操作できる。

shift+Super+fでウィンドウをフロート


組織人だった頃、鈍重なWindowsを使い、WordやExcelを強要され、自宅より遅いネット環境のなかにいたことを思い出すと、天国みたいな環境やね(苦笑

Linux Mint 20.1 on ThinkPad X220上でブラウザ(Firefox,Google Chrome)の日本語入力ができなかったが、設定を書き換えるとMozcを起動できるようになった(半角/全角キーで起動)。X220ではAtok X3 for LinuxとMozcを日本語入力できるようになっているが、通常はAtokが起動するようになっている。そのためブラウザではAtokが起動しないため、Mozcを利用するように設定しなおした。でも設定ファイルをどう書き直したか忘れた(爆

Linuxは日本語環境が貧弱なので、2007年に発売されUpdateもなくなったとはいえ、Atok X3 for Linuxはまだまだマシな日本語入力環境だ。
MozcはEmacsなどでインライン入力できないし。EmacsやVimでは日本語入力SKKを使うとインライン入力できるが、やはり変換速度はかなり遅くなる。

■今日もクロモリロードで散策して緑陰で読書。


なかなか刺激的な本。著者が賢すぎて(たぶん本人も自覚している)なかなかついて行けないけれど、老人の人生読本を読むよりはいいかもしれない。



ケン・リュウの最新短編集。ケン・リュウもSFプロトタイピングの範疇にいれてもよいSF作家かもしれないな。

夕食後、またまたうたた寝。これも老化の証かな(苦笑
夜は日本酒をちびちびと飲みながら、読書の予定。





Regolith2021-11-04 21:25

昨日はRegolithウィンドウマネージャーの設定に時間を費やす。ThinkPad X220,ASUS X205TA上ではLinux Mint 20.04を稼働させており、ウィンドウマネージャー環境はXfce。軽量で使いやすいウィンドウマネージャーなれど、Emacs関連の記事を読んでいると、Regolithというマイナーなウィンドウマネージャーがあることを知った。

たまたま樋口恭介氏の「すべて名もなき未来」を読んでいるところなので、気分転換にウィンドウマネージャーを変更した(Xfceも併用するが)。Regolithはi3-wmを基本とするタイル型ウィンドウマネージャーのようだ。
過去にXmonadやawesomeなどのタイル型ウィンドウマネージャーを試したことがあるが、設定ファイルをちまちまと作成しないと快適には稼働しない。暇人とはいえ、さすがに「なにしてるんやろ?」という気分になる。

Regolithは必要な設定はパッケージでも提供されるようなので、本家サイトからインストールした。


EmacsはCtrl(capslockとCtrlを交換済み)とAltキ−を多用するが、RegolithはWinKeyをSuperキーとして多用する。
Winkey(WindowsKey)って役立つんか?


Linux環境下ではWinkeyを使うことはまず無い。Emacsのキーと衝突することとはなさそうなので、タイル型ウィンドウマネージャーとして使えそうだ。

起動するとデスクトップ画面。デスクトップにアイコンを配置することは嫌いなので、すっきりしているのがいい。

すっきりとしたデスクトップ。下部にBarを設定。


Super+shift+/で主要キーバインディングの説明をトグル表示することができる。キーバインドをすぐに忘れるので、これは便利。

右からキーバインディングを表示させる。


Super+Enterでエディタ(mltermに設定)が起動
Super+shift+Enterでブラウザ(Firefox)が起動
Super+Spaceでアプリ起動画面
過去に起動したアプリが自動的に先頭から順番に表示されるようになっている、便利やね。

かなり使いやすいアプリ起動画面


Super+tで起動している画面を縦分割・横分割・全画面をトグルしながら表示できる。2分割くらいなら狭いノートパソコンの画面でも有用だけど、起動させるアプリが増えると全画面表示が便利やね。

縦二分割。左にファイラーRanger、右Firefox

横2分割

三分割。上Firefox,下左htop,下右Ranger


Ubuntu環境下で導入したウィンドウマネージャーなので、すでにインストールされているアプリは従来と変わらない。
ただ日本語入力環境に不備がある。

EmacsやVimではAtok X3 for Linuxが動くけど、Fifrefoxでは検索窓などで日本語入力ができない。もともと無理やりAtok X3 for Linuxを稼働させているのでいまのところ解決法がよくわからない。Mozcにすれば問題なく日本語入力できるが、MozcはEmacs上でインライン入力できないのが難点(Vimではインライン入力できるのに)。

というわけで昨日は秋晴れなれど、Regolithひきこもり状態。マイナーなウィンドウマネージャーなので、日本語で紹介されたブログ記事も少なく、本家のサイトを読むのが一番。当然ながら、説明は英文なのでなんとなく気分で通読する。詳細な設定ファイル作成の説明部分を読み通すことは割愛(設定沼に嵌るし)。

PCに向かいすぎると神経が高ぶるのだろう、夜はうまく眠れなかったので遅くまで音楽を聴いていた。

今朝、妻から「天気いいから京都へ鯖寿司を食べにいかへん?」と提案があったけど、睡眠不足だし、隠居は腰が重い(苦笑
ネットで店を確認すると、祭日あけなので臨時休業も多いし、個人店はネットでは確認できない。
来週にいくことで家内の了承を得た。

午後からはクロモリロードで散策。緑陰で樋口恭介「すべて名もなき未来」を読了。

上田岳弘「旅のない」に続いて若手作家の作品を読んだ。樋口氏はSF小説家、上田氏は純文学作家とは分類できるかかもしれないけど、そんな範疇化は意味のない時代になっている。樋口恭介氏はiPhoneで口述筆記もしているので、模倣してみたがGoogle音声入力がまだまだ未熟なのか、加齢により滑舌が悪くなっているのか(たぶん後者だろう)、とんでもない文章がディスプレイに羅列されていく。老人にはキーボードをタイピングするほうが有効な入力手段なのだろう。
隠居なので喋ることがすくないし、静かにキーボードをタイピングするほうが好みでもある。

EmacsやRegolithはキーボードを使うことに肝があるしね。ところでRegolithってなんやねん?と調べてみると、

regolith
名《地学》表土
<用例>
lunar regolith
月のレゴリス、月面の表土
covered with loose regolith
《be ~》粗い表土で覆われている

背景画像の種類が「月面」が多いので、そこからイメージされたものかな。
でもやっぱよくわからないウィンドウマネージャー名やね。今日は夕食後、うたた寝。これから読書して、音楽を聴く予定。




三田市波豆のコスモス畑まで2021-10-29 19:51

先週末、友人と久しぶりに甲山周辺をハイキングして15kmほど歩き、神呪寺門前の茶屋でおでんと瓶ビール、夕方に立ち飲み屋を2軒はしごして、ぐだぐだととりとめのない話をした。一軒目は「ここは東南アジアか」と思うほどDeepな店。二軒目は小洒落たお店で客層がはっきりと異なる。そこがおもしろい。人づきあいから離れた隠居なれど、数少ない友人との会話はやはり心地いいね。

今週も凡庸な生活のなか、Emacsの設定ファイルを試したり、2日で4冊も本を読んだり、夜は録画していたTV番組やAmazon Videoを観たりしていると、なにか自家中毒めいた気分にもなるので昨日はカーボンバイクで里山を走ってきた。


午前10時半に発進。天気予報アプリでは北風4〜5mの予測なので、猪名川を北上すると向かい風。でも十分にエネルギーのある往路で向かい風、帰路は追い風のほうがありがたい。

道の駅いながわから県道68号線を上っていく。向かい風と思ったら、山間では風向きは変わることが多いので、追い風となって気持ちよく上っていくことができる。


上佐曽利の地区会館で休憩。バックポケットにミカン2個、妻が作ってくれたふかし芋をおやつとして入れているので、まずはミカン1個を補給。上佐曽利のダリア園が開催されているので、地区会館にトイレ表示の案内がある。会館横にトイレがあることを今まで知らなかった。さっそくトイレも利用させていただいた。

ロードバイクに乗りはじめた14年前のこの季節に、鬱屈した気持ちを抱えながら、このベンチで休憩していたが、すべては遠い昔だと思うと、歳月は人を自然に癒やしていくだろうし、ロードバイクのある生活をしてきたことが、自分の救いになったような気もする。
そして私のなかでベストコミックの「珈琲時間」の一場面をふっと思い出したりする。

先日、スケートボーダーの本を読んだけれど、自由さと個性を重んじることができるのはロードバイクと共通するところがあるね。

小さな峠を越えると三田市波豆地区に入り、コスモス畑があるので立ち寄ってみた。
10万本のコスモス畑という案内が表示されているが、もう盛りは過ぎたのだろう、名残のコスモスが咲いている。



佐曽利カルデラの秀麗がこのあたりは連なっているので、里山の雰囲気が色濃い。

さあ帰ろう。

県道68号線へ合流する前に、上佐曽利から小さな林道を越えていくことにした。
以前、この入り口でトラブったとき以来の林道越え。



荒れた路面なので、パンクに注意しながら上っていく。加齢とともに心肺機能は確実に低下しているので、小さな上りなのに心拍は160になっている(スマートウオッチで確認)。
年齢からいくと(220−68=152)とこのあたりが限界値、なんとか足をつかずに斜度のある上りを終える。静かな林の中でしばしぼーっと過ごす。


荒れた路面を慎重に下り、県道68号線に合流して一気に道の駅いながわまでノーブレーキで下る。斜度は緩めなので、きもちよくカーブを曲がっていく。

阿古谷集落を経て、県道12号線旧道に入る。天気予報通り追い風。


午後4時前に帰宅。短い距離なのに、やはり疲れがあるも、ここちよい疲労感。78kmちょっと走った。



夜は太田和彦さんの居酒屋番組を観ながら、日本酒をゆっくりと飲む。
そしてロードバイクの本を流し読みすると「距離を走った人ほど身体ダメージが蓄積されている」とか「加齢とともに体幹・心肺能力が低下するのはやむを得ない」とか「ディスクブレーキが主流となり、乗り方も前乗りやハンドルも狭めというのが流行となっている」とか、そうなんやと時勢に疎いことを知る。



そこでトレーニング方法が開陳されるわけだけど、もうね、事故なく故障なく里山を走れたらいいだろうね。

昨夜はぐっすりと眠る。とはいえ隠居なのでだいたい日付が変わる頃に寝て、午前7時半頃に起床するという習慣になっている。想像力が貧困なのだろう、夢を見ることはまずない。
珍しく昨日朝はお通じがなかったけれど(いつもは朝食後にお通じがある)、昨日、ロードバイクで走ったおかげだろう、すっきりとお通じがでて自己満足。ロードバイクに乗ったりして身体活動をすると腸が適度に刺激されるんやろうね。

今日はクロモリロードで街を散策。緑陰でこの文章をタイピング。バックパックに入れたのはLinux Mint 20.04 on ASUS X205TA。この機種にはEmacsの設定ファイルを反映させていないので、VScodeでタイピング。



明日は定例の孫守の日。秋晴れが続きそうだ。



老いのゆくえ2021-10-22 21:26

急に寒くなったので、コタツを出して、蜜柑を食べながら読書している。
Emacsの古い本を読みながら、本の奥付をみると2004年7月5日初版。17年も前になぜEmacsを使ってみようと思ったのだろう、まったく思い出せないし、通読した記憶もない。


ブログの更新頻度は低下したが、今年の5月末頃からエディタで日記をつけている。凡庸な隠居生活なので「ハレとケ」の色合いは薄く、図書館の本の貸し出し記録、クロモリロードで散策してどんな本を読んだとか、それに連鎖して著者のブログのURLをコピペしたり、Web記事を引用したり。
テキストファイルとはいえ、だらだらと文章が蓄積していくと、検索や整理にとりとめなくなってくる。
そこでEmacsのorg-modeというアウトラインプロセッサの存在を知った。

いつかはプログラミングもしたいなと妄想していたが、プログラミング所作を覚えるには残りの人生は少ない。上記のEmacs本もプログラミングへの憧れで購入したのかもしれない。でもそんな動機では、Emacsを使う梃子にはならないだろう。

「今やEmacsはテキストエディタではなく、Org modeのフロントエンドと考えたほうが良いのではないか。」

と解説されたブログ記事に触発されて、自分のテキストファイル(日記)を整理することにした。文章移動のコマンド、org-modeのコマンド、Emacsの対話型の処理を拡張するhelmなどを自分の日記で試していると、なんとなく乾いた幸福感みたいなものを感じる。

Emacsで日記を読み込むと、折りたたまれた状態。

helm-miniでバッファの状態を確認できる。



** TODOで図書館関係の簡易貸し出し表を作成している。テキストファイルなのにたやすく表を作成できるのが便利。




昨日の凡庸な日記。



今日もクロモリロードで散策して、緑陰で読書。昨夜から春日武彦氏の著作2冊を読了。薄暗い書斎で書かれたような湿度のある文章は嫌いじゃないけど、連続して読むと妙に疲れる。ただ引用されている本がなかなか興味深い。

そして夜に、日記を書く。

コンピュータの乾いた文章と晩秋の天気。承認欲求からは遠く離れているのが心地よい。

明日は孫守ヘルプ、明後日は友人と近場をハイキング。今週、女友達と食事会と思っていたら、自分の勘違いでLINEのやりとりを再確認すると、来月下旬だった。加齢とともにこうした失敗も生じる(だから仕事を辞めて、隠居生活に入ったわけで)。勝手に枯れ木のように老人になっていくと夢想していたが、多くの現実は「プラスティックのように薄汚れてひび割れていく」のが老人ということか。
老人に先達はなく、年寄りにスタンダードなし、と思うので、最近は「望ましき隠居」イメージをひとり妄想するのみだ。


1969年の川ガキ2021-09-07 22:40

9月、猛暑も峠を越えたようだ。長雨であまり夏っぽい季節ではなかったけれど、猛暑でなくなるのは助かる。
夏大好きとはいえ、最高気温35度・太陽ギラギラの下、ロードバイクで走るのはしんどくなってきた。
68年使ってきた心肺機能は確実に劣化している。途中、熱中症気味(頭痛、息が上がるなど)になったり、真夏の太陽のもとで走って帰ると、声がかすれるようになった。以前は200kmほど走るとそんな状態になったけれど、加齢とともに排熱処理が低下しているのだろう。

今日は最高気温30度くらい、そして曇りがちの天気。カーボンバイクで走るには、適当な天候。
午前10時頃、カーボンバイクで発進。脇腹の痛みもなくなって、ダンシング・下ハン体勢でも違和感がない。完全治癒には1ヶ月ほどかかった。ロードバイクはある程度体幹がないと、走るのがしんどいからね(ゆるゆるとはいえ)。

「猪名川町・川遊び」で検索すると、親水公園のような場所が多いけれど、メープル猪名川近くの川を紹介しているサイトがあった。旧県道12号線や歴史街道沿いの猪名川で、おもに中学生くらいの男子が泳いでいるのを見たことがあり、そういえばここもけっこう泳いでいる子たちがいたな。

あらためて橋から見てみると、小さな森から川に向かって階段があり降りることができる。けっこう深さもある川やね。



「川ガキ」という本を先日読んだ。全国の川で遊ぶ子どもたち(川ガキ)の姿を撮ったフォトエッセイ。

私のふるさと高知の川としては
・高知県本山町 汗見川
・高知県四万十市 四万十川
・高知県安田町 安田川
・四万十川支流 黒尊川
・高知県仁淀川町 土居川
などが紹介されている。

著者のサイトにも写真が紹介されている。

川ガキ | Kawagaki

とくに安田川は魅力的。来年の夏は、その川で泳いでみたいな。
この本を読みながら、遠い記憶がよみがえった。

高校1年の夏(16歳だ!)、クラブの同級生の自宅へ、もうひとりの同級生と泊まりがけで遊びに行った。友人のおばあちゃんが縁側に座る猫みたいな感じで「よーう、きたね」と声をかけてくれて(ニャーとはいわなかった)、夏祭りの始まる前に近くの物部川に3人で魚取りにいった。友人の手作りのヤスを借りて、川に潜って鮎をねらう。鮎は川のなかで俊敏だ。けっきょく川に慣れている彼が鮎を2匹、ヤスで突くことができた。

河原の石を集めて、枯れ木を下に敷いて点火。鮎やその他の魚に醤油をかけて、石の上で焼いて食べるのだ。
あれはうまかったなー。

夜は地元の夏祭り、多くの露店が出ていた。いまでいう古民家ような彼の自宅で、そして蚊帳のなかで3人で何かを遅くまで話していた。何を話したかは記憶にない。

2016年の夏、高校の同窓会名簿が届いた。4年にいちど同窓会が開催されるのだが(私は40歳のころ一度参加したのみ)、その名簿の彼の欄には「逝去」となっていた。クラブも辞め、クラスも私は文系・彼は理系と分かれた高校2年からは彼との交流はまったくなくなった。
鮎を捕ることには敏捷だったが、16歳としては物静かな男の子だった。川での彼の笑顔を50年以上経っても、くっきりと覚えているのは、そこに豊穣な川があったからだろう。

閑話休題

くろまんぷを北から通過。定点観測。

栄養補給として、道の駅いながわで焼き餅を2個購入(白餅とヨモギ餅)。ぱくぱくといただく。



阿古谷などの里山では稲刈りが始まっている。

気持ちよく83kmほど走った。余力はあったが、腹八分目がいいだろう。午後4時頃、帰宅。



夜は和田誠「ほんの数行」を読む。


和田誠氏が装丁した本のうち100冊を簡潔に、でも魅力的に紹介している。和田誠氏はちゃんとその著作を読んでいるようだ。
色川武大「うらおもて人生録」にはこんな紹介文がある。


表題は「九勝六敗を狙え。」

「色川さんの基本的な考えは、人間の運は誰だって長い目で見ればプラスマイナス・ゼロになる、というものだ。大儲けするやつは健康を害し、儲けて丈夫なやつは性格を破綻させる。どっちみちトントンなのだ、という考え。」(同書27頁)

荻原魚雷氏もたびたび、この「九勝六敗を狙え。」に言及している。私はいままでの人生を何勝何敗だろうかと計算したことはないな。たぶんそれは20歳以降は計算に悩まされる生活を、あまりしてこなかったからだろう。
ロードバイクで走れるこんな日が、そして来年の夏は「川ジジイ」として遊べる日があればいいかな。


「お祭り資本主義」から遠く離れて2021-08-29 20:26

2週間ほどにわたる長雨も終わって、夏らしい残暑が戻ってきた。
そのあいだに落車による脇腹の痛みも治って、日常生活には支障がなくなった。くしゃみするとまだまだ痛いけど(老人になるとくしゃみがなぜか多くなる)。長雨のあいだに2週間で治ったのだから、骨折やひびは入っていなかったのだろう、多分。

オリンピックは興味のある男女マラソンをTVで観戦したが、それ以外はとんと興味なし。
スポーツはするもので、昭和のオヤジの人生を重ね合わせるものじゃないし。
手のひら返しのマスコミのオリンピック狂騒報道眺めていると、日本は金と効率と異性という「欲望資本主義」から、日常生活にハレを与えておけば国民は熱中するだろう、そしてそれに関係するものたちが利益を得るだろうという「お祭り資本主義」を主眼にしているようにも感じる。

そういった風潮から、隠居生活はかなり遠い。

コロナ蔓延状況の先が見通せない。コロナによって、わたしが制約を受けたことは、気のおけない友人らとの飲み会、自由な海外・国内旅行の機会。この状況はまだまだ数年は続くという予測もある。うんざりする感もあるが、コロナ前の生活スタイルに戻るのはなかなかむつかしいだろう。

高知の野根山街道を歩きたい、そしてその計画も立てていたが、高知もまん延防止等重点措置対象実施区域になった。ワクチンを2回接種しているとはいえ、いま高知を訪れるのは妥当ではないだろう。

隠居生活は家族以外、ほとんど人と接しないので、コロナに感染する確率は低い。
老人になると、「執着」「孤独感」「自己顕示欲」のバランスが崩れて「老害」になりがちだ。そういったものとは離れていたいので、なにもない穏やかな日常(睡眠を十分にとり、決まった時間に毎日お通じがあり、本や音楽に親しむ、そしてときおり孫たちの成長を楽しむ)があればいいのだろう。

あと数年、このような制約された生活が続くとしても、老人なりの楽しみを見つけていくのがよいだろう。昨日は女友達らとのLINEグループで、2022年にはスペイン旅行開催と幹事の女友達から提案があった。このグループで国内旅行のみならず、ソウル4回、台北2回、そしてイタリア・フランスと旅行してきたが、コロナ禍のため旅行が中断している。2022年に現在の状況が改善されるかどうか微妙だが、楽しき予定をたてることは大切だろう。

それまではクロモリロードで街を散策し、緑陰で読書し、秋になれば近場の山をひとりトレッキングする。そんな生活をしばし送っていきたいな。

先日、義父の入所している施設でリモート面会。義父も96歳となり、生き疲れている雰囲気があるが、食欲は旺盛のようなので、100歳まで生きるかもしれない。老いるということはなかなかにむつかしい。

義父との面会のあと伊丹の宮前の喫茶店で妻とひと休止。ジビエいりのピザと珈琲を注文して、ビザをシェアしていただく。「意識高い系喫茶店」なので、女性客が多くて、じいさんひとりでは入りにくい店だが、妻と3回目の入店。宍粟市から届いた野菜が店内で販売されていたので、いくつか購入。

最近読んだ本でおもしろかったもの。


ブックカフェなるものは、たしかに「本を読むためのカフェ」をメインとしているものではなく、なんとなく本も置いてある雰囲気の店なんやね。
自宅のソファか公園の緑陰で読書することが多いけど、自宅だとそのへんに配置されているスマホ・Chremebookなどでついつい「時間を溶かしてしまう」ことが多くなる。
このような読書のみする店ーひとりでの来店を前提としていて、パソコン・私語禁止、そして料金体系は2時間半程で2000円は最低支払うというシステムーは、店も経営維持できて目に鱗やね。

隠居生活に入った当初、ジョギングしたりウォーキングしたあと銭湯に入り、立ち飲み屋で飲むことが多かったけど(いまはできない情景)、いちげんさんの立ち位置(そんな店は昼から常連さんがかなり占めている)にやはり馴染めない。店の中にある厳然としたポイント制が、自分には馴染めないのだなとこの本を読んで得心した。

Kindleで「Meets Regional」のバックナンバーを読んだけど、カフェ特集などに対する違和感はそこがなんとなくおしゃれな空間を提供しているだけだからだろう。
余談だが「Meets Regional」に連載されている岸政彦氏の「大阪人になりたい」のエッセイは必読。関西に住む魅力が伝わってくるエッセイ。生まれ育った高知の倍以上、40数年の関西生活はけっこうおもろかったな。

昨日は、ひさしぶりに長男夫婦の次男(まもなく3歳)を預かる。いつものごとく部屋で遊んで、浴室で水遊び。午後2時過ぎから孫は午睡に入り、2時間半ほどぐっすりと寝る。夕方、長男が車で迎えに来たが、当初は「いやや」と帰るのをぐずっていたが、長男が「あめちゃん、あるで」と誘うといそいそと帰り支度を始める。かわいいもんです。

夜は、NHK BSの「大瀧詠一特集」をみて、日本酒を飲みながら読書。

今日は緑陰で読書。燃え殻「これはただの夏」
想像以上にうまい小説。夏の終わりに読むにふさわしく、映像や夏の匂い、都会の喧騒がイメージとしてわきたつ。たぶん映画化されるのを前提としているような小説でもある。


大貫妙子の「その日暮しは止めて」という曲が小説でチョイスされているのも渋い。

緑陰で読書していると、なんちゃってスマートウォッチのXiaom Mi Band 4がバイブする。
スマホに届いた家族アルバム「みてね」の更新通知がスマートウオッチにBluetoothを経て届いたのだ。スマホをみると、次男夫婦の次女(生後2週間)に長女(まもなく4歳)が添い寝している画像と動画。

わたしにとっては凡庸で静かな夏、されど「欲望資本主義」や「お祭り資本主義」に時間を溶かすことなく生きるライフスタイル。肩肘張らずに生きること、それでじゅうぶん。
伊丹の宮水をボトルに補充してポタリング



「PAPERSKY-KOCHI-」と土佐人の翳2021-05-22 20:01

2021年5月19日(水)
前日の天気予報は曇天だったが、予報より梅雨前線が北上してしまい朝から雨。
週に一度は平日にカーボンバイクで80kmほどは走ろうと算段しているが、それもかなわず。

午前中は読書。


なぜかフランス旅行の帰路の飛行機で見た北欧の夜景を思い出した。長いフライト時間だから機内は満席なれど静か、そして室内灯も灯りが暗めに設定されている。眠れずにシート前のTVでフライトレコーダーの画面を見ると、ちょうどスカンディナヴィア半島の上空を通過している。

飛行機の窓から眼下を見ると、北欧の町の灯りが美しい。東京や大阪などの都市の夜景と異なり、淡い灯りが点在している夜景だ。

この詩集のようなコミックを読んでいると、その飛行機の場面も思い出したな。

午後からは小雨となったので、ウォーキングで西北のジュンク堂へ。新刊をチェック。
「PAPER SKY-KOCHI-」の新刊が出ている。特集は「海へ、山へ、大自然の懐へ、野性を刺激する “モダン・ノマド” の高知旅」


毎年一度は高知旅をしようと思っていたが、コロナ蔓延のため遠くへの旅行は自制している。

ウォーキング 10km弱

忘れられた玩具



5月20日(木)
午前中はかかりつけの病院で定期検診。雨なので散歩がてら病院へ向かう。事前にWeb受付しているので、自分の順番となる頃に病院へ到着。

先月の血液検査の結果を主治医から聞く。尿酸値が高め以外は、いまのところ異常な数値はなし。尿酸値は30代ころからずっと高め。ここ数年も高どまりのままなれど、投薬するまではないでしょうという主治医の意見。

あと10年ほどは、だましだだまし身体を維持できればいいかなと勝手に算段しているが、これはさすがに自分のおもうままにはならないだろう。

待ち時間のあいだ「PAPERSKY」Kindle版をダウンロードしていたので、スマホで読む。ローカルとしての高知礼賛の文章が続く。

19年間生まれ育った町がほめられることはよいことだろうが、同時にそれはあくまでも若い移住者や旅人からみた視点という小さく限定的な評価だ。

私は19歳で高知を離れる際、「こんなしんきくさい町には二度と戻ってこない」と密かに思ったが、それも自分の狭い生活史と価値観からくるもの。

司馬遼太郎はかって地元の史談誌に「土佐人の翳」という小文を寄稿している。

「私ども他郷の者の目からみるのに、土佐人の面影にはつねに淋しさの翳がある。孤独というか、虚無感というか、歴史上の土佐人だけでなく、いま私がつきあっていただたいている諸先輩や友人たちにもかならずそれがある。おそらく土佐人自身は自分のそういう特徴に気ずいていないにちがいない。

坂本竜馬が大政奉還後、新政府の役人になることをこばみ、西郷を鼻じろませたのもこの基質であり、かれが、「わしはそういうものになるためにいままで奔走してきたのではない」といったとき、その土佐的翳が一段と濃くなったことであろう。」


南方的明るさや、いごっそう(頑固で主義をとおすこと)はちきん(しっかりものではたらきもんの女性)が土佐人の特徴として強調され土佐人もそれをよしとする傾向があるが、司馬遼太郎は慧眼だったかもしれない。土佐に限らず、ローカルで生きるということはどこか翳を身体にまとわりつかせる、たぶん四国山地に遮られ太平洋は眼前に茫洋と拡がっとていることがかえって、人に翳をもたらすのではないのか。

19年間の高知でまわりの大人や同級生もこの翳とは無縁でなかったような気がする。


若い移住者は、小さく賢く生きるライフスタイルを選択していくだろうし、そのエネルギーは若さの力だろう。

老人のローカル暮らしは無理なので、旅人として今回紹介されている場所も訪れてみたいね。


「PAPEP SKY」のHPを見ていると、雑誌の特集にふさわしい音楽のプレイリストが聴けるようになっている。IdeaPad Duetでプレイリストを聴きながら、特集を読む。グラベルバイクやロードバイクでの旅の記事、石川直樹氏のエッセイなども連載されていて魅力的な雑誌。

5月21日(金)
昨夜は強い雨。今朝も雨が降りつづける。
午後からすこし小雨になったので、路線バスで阪神尼崎駅まで出て、自宅までウォーキング。
バス内ではブルース・スターリング「タクラマカン」を読む。乗り物内ではけっこう読書がはかどる。


庄下川沿いを北上。川沿いの遊歩道は昨夜以来の雨で、ところどころ水たまりができている。


10kmほどウォーキング。




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