キーボードを打つ夜、「わがタイプライターの物語」を読む。 ― 2006-06-13 22:41
もともとキーボードを打つとことに憧れていた。1986年(昭和61年)に、はじめてワープロ専用機を購入した。シャープのWD530。CRT一体型で125,000円だった。当時、受験していた司法試験のノート作成に活用することと、生来の悪筆のため、あとになると自分の書いた字なのに読み取ることができないことに閉口していたからだ。
使い始めると、数行の文章を打つのに、1時間ほどかかった。キーボードの配列を暗記して、なるべくキーボードを見ないように打つ練習をした。そのせいか、今ではタッチタイピングにはあまり困らない。
その頃は、「じぶんの脳のスピードと同じくらいにタイピングできればよい」と考えていたが、いまでは退化はすれ脳のスピードがアップすることはないので、じぶんのタイピングには満足している。
キーボードのあの不自然な配列をクリアさせる意欲は、ATOKなどの日本語入力システムの向上にもよるのだろう。
いまでも日本語入力はATOK(Linux版もある)を愛用している。
さて、この本はアメリカの作家によるタイプライターへの偏愛を描いた小篇。村上春樹との対談集も多い柴田元幸さんが訳している。タイプライターを打ったことはないが、無機質な打音がステキなのかもしれない。
挿入されているタイプライターや作家の肖像画も、力強くて印象深い絵画だ。
この本のサム・メッサーの挿画は、NIELSEN GalleryのHPで見ることができる。
サム・メッサーには、愛機ThinkPad X21などのNotePCも描いて欲しいなぁなどと夢想する。
タイプライターじゃないけれど、ThinkPad X21などのNotePCを、私は偏愛しているから。
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