「石田衣良の三冊」キャンペーン当選2006-06-01 22:43

「石田衣良の三冊」のキャンペーンに応募していたところ、当選して下記のモノが送られてきた。

■石田衣良さんが「今週のことば」を書き下ろした特製手帳
■直筆サイン入りポストカード

手帳には石田衣良さんの写真が多く載っている。
石田さんの小説は好きなんだけど、いやー、かなり微妙。

くじ運はあまりよくないんだけど、当たってしまったので今年のくじ運をすべて使い果たしたかな・・・・。

独り言しかいえない夜2006-06-02 23:48

職場を異動してから1か月が経過した。やりがいもあるが、不安材料も多い。2年間という長丁場の仕事なので、どうなるか不透明な部分もある。だが、いままでの職場で、よき先輩たちに教えられた仕事の仕方の集大成としたいという思いもある。
ザックを背負い、ストックをもち、森を歩いていく。そんな気持ちで、しばし生きていこう。
walking in forest 1

次男の引っ越しと私が生きた時代(感傷編)2006-06-03 23:28

walking in forest

今日は、次男の引っ越しにつきあう。それほど多くの荷物はないので、赤帽に依頼して引っ越しをする。
彼の新しい住居は、鉄骨造りのマンション。大学通りに面し、日当たりもいい。
実は物件を見たときに、わたし自身がこの部屋を気に入ったので、彼の決意を後押ししたようなものだ。

変形(台形)の部屋だが、フローリング張りでトイレ・風呂も清潔。大学に通う学生通りに面しているので、活気があるし、コンビニ・飲食店も多い。若いときは、どちらかというと雑然とした環境の中で生きた方がよいのではないかと思う。
私は、18歳まで高知で過ごし、そして関西に出てきた。高知の自然を愛しているが、街の魅力もスキだ。

18歳までに自分が育った家庭は、けして居心地のよい家ではなかった。計画性のない父と嫉妬深く陰鬱な母。
高校を卒業してさっさと家を逃げ出し、まず新聞配達店に住み込みで勤めた。新聞広告で見た大阪近郊の新聞配達店に住み込みで働いた。当時は、いまほど新聞休刊日はなく、朝4時起床。200軒ほど新聞を配達する。坂の多い町で、エレベータのないマンションでは狭い階段をひたすら上り下りする。7時頃に配達が終了し、皆で食事。
夕刊は4時頃から配達し、それが終わると翌日の折り込みチラシのセット作業。折り込みチラシを手作業で、ひとつにセットして朝刊に差し込みやすくするのだ。現在は、折り込みチラシを機械処理できるようだが。

新聞配達店のご主人は30代前半だったろうか。奥さんが私たちの朝食・夕食を作ってくれる。余談だが、確か、作家の田口ランディさんは若い頃、新聞配達店に住み込み、食事の担当をしていたはずだ。
昼間は、店が用意してくれた文化住宅の一室でひたすら本を読んだり、雑文を書いていた。

ふと思い出した。新聞配達をしている一軒に豪邸があった。ある日、その家のおじいちゃんが新聞配達する私を玄関先で待っているのだ。おじいちゃんは、おそらく会社経営を息子に譲り隠居生活をしているような雰囲気。私が新聞を手渡すと、彼がそっと小袋を私に手渡す。中を見ると、小遣い程度の金銭が入っている。彼は、「私も若い頃は、とても苦労したんだ。君も頑張りなさい」と私に話しかける。もう70代後半だろうか、小柄な好々爺のような彼を見ていると、私が苦労していると言われるのが不思議だった。私には、若さがあり、根拠のない自信があり、そして将来とはあまりにも漠としていた故に、不安感があまりなかったのだ。

彼からのこころざしをいただいて、配達店の主人に話すと、「うん、あそこのおじいちゃんは若い人が配達に行くといつもそうしてくれるらしい。若い頃、苦労されたんだろうね。」とのこと。

その後、私はフリーターのような生活をやめ、新聞配達店で貯めたお金をもとに、予備校に通った。予備校の学費や生活費をその貯金でまかなった。進学した大学は国立大学だったので、当時の学費は年間36.000円(月額3000円!)。確か私立大学の学費は、年間2〜30万の時代だったと思う。大学進学後も、狭いアパートに住んでいた。風呂はなく、共同トイレ。日本育英会の奨学金とアルバイトで稼いだお金で生活をしていた。いろんなアルバイトをしたけど、唯一しなかったのは水商売だけかな。

現在、私立大学の法学部に在籍している息子たちの年間の学費は二人合わせて200万円ほど。
お金の多寡ではなく、彼らには彼らの流儀で大学生活を送ってもらいたいと思う。所詮、生きた時代、生きている社会が違うのだから。そのためには「甘い親」という立場を甘受するのもよいのではないか。

それにしても、次男の部屋のような環境で学生生活を送ったら、もうすこし違う人生があったかなと、ふと夢想する。まぁ、私はいまの私になったんだろうけど・・・。

「図書館の神様」を読む2006-06-04 11:13

ありふれたことを言うんだろうなぁ、表現が読者受けを狙ってあざといんじゃないか?と、うかうか読んでいると思わず彼女の世界に引き込まれてしまう本。瀬尾さんの「図書館の神様」はそのような本だ。

高校時代までバレーボールひと筋に生活してきた主人公清(きよ)は、ある事件をきっかけにバレーボールをやめてしまう。小さな、しかし、深い心の傷。いつもいつも思い出すものではないけれど、思い出すとシクシク痛むような傷だ。
彼女は、大学卒業後、地方の高校で国語講師になり、望みもしないのに文芸部の顧問となる。文芸部の唯一の部員である垣内くんは、彼女に彼独特の表現方法で文学を紐解いていく。

この本はGirls Meet Boysの物語でもある。
彼女と同じように心の傷のある垣内くん。わがままで、でも繊細な不倫相手の浅見さん。センスの悪い彼女とばかりつき合う弟の拓実くん。同僚の体育講師で彼女を励ます松井さん。

彼らとともに彼女は、成長していく。

いやな人は出てこない。でも、いやな人ばかりがまわりにはびこるのは、じぶんが負のエネルギーで引き寄せているかもしれないのだ。「図書館の神様」というユニークな書名も、周到なストーリーの展開で「神様」の意味がよくわかるようになっている。
平易な文章だけれど、凝縮されているものは多いという本です。

図書館の神様
図書館の神様
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瀬尾 まいこ
マガジンハウス (2003/12/18)
売り上げランキング: 18,139
おすすめ度の平均: 4.29
5 そう、文学はおもしろい!
5 神様のいる場所
4 しあわせな放課後

坂道を眺める喫茶店で乙女らと話す2006-06-05 23:11

昨日の日曜は、入院中の先輩を乙女二人と一緒にお見舞いに行く。
ひさしぶりに映画のお話などを先輩らとする。やはり2001年頃から、日本映画って変わってきてるんですよね。
よい時期に、日本映画と再会できたと思う。だって、1970年代のあの辛気くさい・私小説めいた日本映画には肌が合わなかったものですから。

お見舞いの後、坂を眺める喫茶店で乙女ふたりとお茶。喫茶店の大きな窓から、ゆるやかにカーブする上り坂を眺めることができる。とても美しいカーブで、こんな喫茶店があったんだ。大好きなコロンビアコーヒーを注文。
京都のイノダコーヒーのような酸味の強いコーヒーは苦手だ。香りも味もコーヒーだ・って安心できるものがイイ。

そのあと、乙女ふたりと居酒屋でお酒を飲む。人の悪口をちょこっと言って、自分らの抱負をちょこっと宣言して、仕事の愚痴をちょっぴり漏らして、ほろ酔いになる。
ちょいわるオヤジでも、ちょいモテオヤジでもないので、たぶん私は乙女らと同等だ。もちろん彼女らは、年上の私に気を遣ってくれているのだろうけど。でも、説教オヤジにはなりたくないなぁ。

土曜日は、息子の引っ越しで自分の青春を思い出し、日曜は、敬愛する先輩、夢見る?乙女にお会いできて充実した週末でした。

嶽本野ばら+藤原新也、そして友との別れ2006-06-06 02:39

ロリヰタ。 いま、嶽本野ばらの「ロリヰタ」を読了。野ばらさんの小説は、精神の自立を描いているんですよね。「ロリータファッション」や作品中にちりばめられたブランド名は、主張としての記号のような気がする。ファッションって、結局、その人の生き方の主張みたいなものだから。オヤジ・おばさんになるのは、身体とファッションが、主張を無くしているからではないかな。勘違いオヤジと、はしゃぐおばさんは、ことごとくだらしないファッションスタイルになっていくというのは言い過ぎか・・・。

藤原新也の最新小説を購入。 渋谷
前回の「なにも願わない手を合わせる」から、ひさしぶりの藤原作品。 なにも願わない手を合わせる
「何も願わない手を合わせる」は、彼のサイトでの記事(菜の花電車など)を再構成したもの。「菜の花電車」は、友との出会いと別れを描いた文章だが、これを読むとYくんのことを思い出す。

Yくんは、大学時代に親しくつき合った友人。大学時代の私は、偏屈で協調性のない青年だった。
授業に出ても、同級生とはほとんどしゃべらず、大学・図書館と下宿の往復生活。ある授業を終えて、教室を出ると彼が話しかけてきた。
「いつもひとりで授業を受けているけど、どうして?」
片意地を張っていた私だけれど、会話には飢えていたのだろう、そのまま彼と数時間、本のこと、将来のことを語り合うことになる。

Yくんは、九州の某県の出身で、熱血漢だった。イメージ的には村上龍みたいな風貌かな。
一緒に中華料理店でアルバイトをして、ふたりでひたすら餃子を焼いたり、ラーメンをゆでたりした。
客の多い中華料理店で、食事付きというバイト。だが、私たちアルバイトは、ビルの天井裏みたいな部屋で「メザシと漬け物とご飯」のみという食事。なるほど経済合理性に富んでいる経営者は、「バイトに商品を提供するものではないんだ、商品に余り物がでたら捨てればよいと考えるものなんだ」と、妙に感心したものだ。

彼は、どんなバイトでも手を抜くことなく、よく働いた。
そしてある日、彼が深夜に私の下宿を訪ねてきた。
「実は、水商売のボーイをしようと思ってるんだ。俺は、このまま大学を卒業しても平凡なサラリーマンになってしまう。俺、金持ちになりたいんだ」と言う。
「なんで金持ちになりたいの?水商売の道に入るのが、金持ちへの最短距離とは思えないけどなぁ」

私には、彼が水商売のバイトをすることに反対だったのは、もうひとつの理由があった。
たぶん、彼はそこのホステスさんと仲良くなってしまう、熱血漢だが心優しい彼は、情にほだされる側面があった。
青年が、数歳年上の女性の性的魅力にあらがうのは難しいような気がしたのもある。

結局、彼は水商売のバイトを選び、準店長にまでなった。だが、勉強に身が入らず、大学は留年した。

私が就職が決まった頃、彼は、私を彼の故郷に案内してくれた。彼の町に着くと、兼業農家で実直そうな彼の父親・母親が、私を歓待してくれた。半島が伸びるその町には、多くの野仏が鎮座する場所であった。薪で炊く木風呂に入り、新鮮な野菜、そして心のこもった食事をいただいた。次の日、レンタカーを借りて、半島をまわった。二人で海を眺めながら、私はすこし上気した気分で、卒業後の仕事への抱負を語っていた。

彼は、海を眺めながら言った。
「俺、留年したし、いまのバイトに本腰を入れたいと思うんだ。実は、いま一緒に暮らしてる女の子がいるんだ。その子と新しい店に移ろうと思ってる。店長として採用されるし。あの世界は、肌に合ってるし、実力の世界だから、俺の力を試すことができると思う」。

私は、強いて反対はしなかった。正確に言うと、新しい仕事・新しい環境への思いで、余裕がじぶんの中になかったのだろう。
今の会社に就職して、学生時代とは違った忙しい新人生活を送っていた1年目の夏、彼から電話があった。
「やっぱり、大学を辞めるわ。彼女と水商売の世界に挑戦してみるわ」

私は、なにも言えなかった。私と彼の住む世界が、はっきりと分かれてしまったことにふたりとも気づいていたからだろう。
その後、彼の実家になんどか年賀状を送ったが、彼からの返信はなかった。

菜の花を見ると、つい彼とのことを思い出してしまう。それは友との別れの象徴のような花だから。

餃子は焼きあげるもの2006-06-06 21:03

今日は、家族みな用があるということなのでひとりで夕食。面倒なので、ひさしぶりに餃子の店に行く。
そこそこ有名な餃子専門店で、ひさしぶりに入ってみた。だが、なんとなく雰囲気が違う。以前はおじちゃんが餃子を焼き、おばちゃんがビールなどを出してくれた。 なんか若いバイトっぽい男女が、おそろいの黒いTシャツで接客している。

ビールを飲みながら、餃子が焼きあがるのを待っていると、できあがった餃子が運ばれてきた。 はーっ?!。これは、焼き餃子じゃなくて蒸し餃子じゃないか。

昔、夏休みのバイトで、中華鍋で餃子を焼き続けた私が断言する、水の量が多すぎて餃子をふやけさせてるんだよなぁ。餃子のパリパリ感がまったくなく、べちゃとした食感。餃子の焼きあがりも、客によってバラバラの状態。
この店、もうだめだなぁ。
それにしても、これだけぞんざいに餃子を焼きあげるのってある意味すごい!とヘンなところで感心した。
服装だけ、今風にしてもダメでしょう。


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