南木佳士「トラや」を読む2008-11-05 23:59

トラや

南木佳士の小説「トラや」を読了。陰鬱な曇天のような文章が続くのになぜかこの作家の作品には惹かれるものがある。終末医療に携わる医師と芥川賞作家としての二足のわらじを履くうちに、南木は鬱病を発症する。その回復過程の中で家族の統合点となる猫のトラとの生活を描いたものだ。だが単に猫愛好家としての独りよがりでもなく、また私小説でもない。

高知の少年時代、犬を飼っていたことがある。最初の犬は当時の田舎では当たり前のように路上に捨てられていた子犬。今のように犬の避妊などの習慣がない時代、飼い主は子犬が生まれると川に流すか、路上に放置していた。黒ブチの雑種犬で母に頼んでも受け入れられないだろうと、家近くの竹林に段ボール箱を置きそこで牛乳を飲ませたりしていた。母に泣きついて結局飼うことを許されたが、すぐに農薬を含んだものを口にしたようで狂うように嘔吐した後、死んでしまう。
落胆している私を見て、父が親戚の家で生まれた子犬を家に連れ帰ってきた。当時、よく飼われていたスピッツの雑種でこの犬は私が小学2年から19歳になるまで11年生きた。亡骸は里山の斜面、町を眺めることのできる場所に埋葬した。大人になって帰郷してみると里山は切り崩されゴルフ場に変貌していた。

「中途半端に言葉で分かりあえていたつもりになっていて、じつは何も共通のものは持ち合わせていなかった人間関係もあったよな、とトラに語るたびに思い出す。ならば、誤解なぞ生じようもないトラとの無意味な言葉での関係のほうが風通しがよくていいではないか。」(同書152頁)

今年の晩夏の夜、帰宅途上の家の近くで柴犬の雑種のような小型犬が路地から現れ、私に付いてくる。首輪をしているし汚れもないので、近所の放し飼いの犬かなと思っているとひどく喉が渇いているようだ。器に水を注ぎ与えると、あっというまに飲み干した。玄関のドアを開けるといっしょに入ろうとする。叱ると怯えるでもなく、お座りをしてじっとこちらを眺めている。聡明な顔つきの犬だ。犬も人間と同じである程度成長するとその聡明さが顔に顕れる。笑っていても目が笑わない人、涙を流しても心はそこにはない人、いろいろな人を見ると犬の律儀な聡明さに惹かれることがある。

すこし食べ物と水を与えて玄関に放置した後、覘いてみると犬はいない。飼い主の元へ帰ったのだろうか。もう一度帰ってきたら飼い主を捜してみよう、もし見あたらなければ家で飼ってもよいなと勝手に思っていたが、犬は戻ることはなかった。

あれだけ聡明な犬との出会いを自ら反故にしてしまうほど、自分は感受性を犠牲にしてリアルを生きているのかなとその時は思ったほどだ。

60歳になれば私は当然のように孤独になり、そして組織や世間からもより遠ざかっていくだろう。その時、犬を飼ってもいいなと思っている。あとは犬と私がどちらが長生きするかの競争になるだろう。嫉んだり羨んだりする競争ではなく、生き物としての存在を互いに続けていくということ。

そして
「永遠の不在は、遺された者の内に不在という形で残る。そして、それも遺された者の永遠の不在によって消滅する。」(同書189頁)
永遠の不在は平等に訪れる。それを充分にわかった今、こんな妄想をしてみるのもよいかもしれない。

コメント

_ juan ― 2008-11-07 00:34

こんばんは~。
私も幼い頃犬を飼ってました。田舎なので鎖をつける必要もなく放し飼い状態でした。
難しいことはよくわかりませんが、犬と対座して独り言を延々と続けたいな、と今思っています。

それでは、おやすみなさいませ。

_ asyuu>juanさん ― 2008-11-08 00:38

こんばんは、juanさん。
オヤジが犬を欲しがるようになるのは老化と周りに相手にされなくなったからだという意見もあります・・・(苦笑
60歳頃の生活は夢想として
しばらくは自転車や山や本で遊びます。
週末は寒そうなのでお互い自愛しましょ、オヤジですもん。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
コメントいただく場合にはスパム防止のため、半角数字「0813」を入力してください。

コメント:

トラックバック


はてなブックマークに追加はてなブックマークに追加
Blog(asyuu@forest)内検索

Copyright© 2005-2025 asyuu. All Rights Reserved.