余生2020-02-20 21:13

長男夫婦の次男が発熱したりして、そのヘルプに入ることが多かったこの週。

ちまたではコロナウィルス対策で不要不急の外出は控えるようにとのこと。
まぁ現役と違い、年寄りはウロウロするなということか、とはいえ2009年新型インフルエンザ時の騒ぎと同様なのはいかがなものか。



読了した本。


老いが増すと時間のスピードが速くなると言われているが、年齢×時速Kmという感じになるのかな。4歳の孫は時速4kmで日々を生きている、だからまわりの小さなものも新鮮に見えるし1年が長く日々新鮮だろう。年齢が上がるほど、1年があっというまに過ぎる。

優雅なのかどうか、わからない
題名がいいね。離婚して昔の彼女と再会、でも彼女には痴呆傾向のある同居の父がいる。
介護小説でもなく、純愛小説でもなく、年をとっていくことに戸惑う中年男ということか。別の主題は、主人公が住む旧い借家。

「焦げ茶の木枠の窓が下からだんだんとあらわれる。 たぶん五十年前のままの、ゆがみ のある板ガラス。二枚のガラス戸をとめる鍵は子どものころ実家にもあったネジ式だ。 母に戸締まりを頼まれたものの、ぴったり窓を閉めずにぐりぐりまわして、鍵穴からはずれたネジで木枠を傷つけてしまったのは小学二年か三年のときだった。」

こんな家にもういちど住みたいな。


杉浦日向子氏のエッセイを数冊読む。後智慧として作者が若くして亡くなっていることを知っている今、そして彼女が若い頃から難病とともに生きてきたことを反芻すると、以下の文章は凛としているが、やはり哀切だ。


「なんのために生まれて来たのだろう。そんなことを詮索するほど人間はえらくない。三百年も生きれば、すこしはものが解ってくるのだろうけれど、解らせると都合が悪いのか、天命は、百年を越えぬよう設定されているらしい。なんのためでもいい。とりあえず生まれて来たから、いまの生があり、そのうち死がある。それだけのことだ。綺堂の江戸を読むと、いつもそう思う。
うつくしく、やさしく、おろかなり。そんな時代がかつてあり、人々がいた。」
(うつくしく、やさしく、おろかなり 同書15頁)


「余生、と言うと、世に何事かを成し、名を遂げた後の、余りの生、の認識が一般ですが、それは経済偏重による視点です。
生まれ落ちた時から以降、死ぬまでの間の時間が、すべて余生であり、生まれた瞬間から、誰もがもれなく死出への旅に参加している訳です。
ー中略ー

「いつまでも若々しく健康で、より良い人生を長く生きよう」という思想は、少なくとも、放蕩の人、風流の人にはなかった筈です。「年相応に老け衰えつつ、それなりの人生を死ぬまで生きる」という当たり前の事が、遠くなりました。」

(無能の人々 同書36ー37頁)



今日はかかりつけの病院で特定健診と肝炎ウィルスを検査を受診。
まぁそれなりの余生を過ごせたらいいね。



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