My son was born in 1983 ― 2007-05-20 22:54
長男が昨日誕生日を迎え24歳になった。
彼は今春から法科大学院に進学し、勉強をしている(らしい)。
所用があって彼と出かけたあと、帰宅のため二人で阪急電車に乗った。
彼が中学時代の頃だろうか、親と一緒に座ることがイヤで電車内ではいつも私とは離れて乗車口に立つことが多かった。
過度の自意識が芽生えてるんだろうなぁと思いつつ、同時にその自意識がどのように成長していくのだろうかとも危ぶんだ。
電車内にとけ込むように座る54歳の私と24歳の長男。
私たちのDNAを引き継ぎながらも、息子たちはやはり時代の子どもでもある。
時にはあぶなっかしいなぁと思いながらも、それは私が通ってきた道でもあるんだ。
わたし自身、昨日のことは忘れているのに、ヒリヒリとした10代から20代前半にかけての渇望感を忘れることができない。
だから、どんなに年老いても、どんなに外見が落ち着いたように見えても
その渇望感からはたぶん逃れることはできないのだろう。
すこしづつ自分の身体をシンプルにし、
背負うべき荷物を必要最小限にしてMTBで林道を走るように
軽量テントを詰め込んだザックを背負って森に入るように
具体的に生きてみたいなぁと妄想している。
息子と電車内で座りながらふとそんなことを考えていた。
彼は今春から法科大学院に進学し、勉強をしている(らしい)。
所用があって彼と出かけたあと、帰宅のため二人で阪急電車に乗った。
彼が中学時代の頃だろうか、親と一緒に座ることがイヤで電車内ではいつも私とは離れて乗車口に立つことが多かった。
過度の自意識が芽生えてるんだろうなぁと思いつつ、同時にその自意識がどのように成長していくのだろうかとも危ぶんだ。
電車内にとけ込むように座る54歳の私と24歳の長男。
私たちのDNAを引き継ぎながらも、息子たちはやはり時代の子どもでもある。
時にはあぶなっかしいなぁと思いながらも、それは私が通ってきた道でもあるんだ。
わたし自身、昨日のことは忘れているのに、ヒリヒリとした10代から20代前半にかけての渇望感を忘れることができない。
だから、どんなに年老いても、どんなに外見が落ち着いたように見えても
その渇望感からはたぶん逃れることはできないのだろう。
すこしづつ自分の身体をシンプルにし、
背負うべき荷物を必要最小限にしてMTBで林道を走るように
軽量テントを詰め込んだザックを背負って森に入るように
具体的に生きてみたいなぁと妄想している。
息子と電車内で座りながらふとそんなことを考えていた。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。