笠智衆とネットワークの科学2007-05-02 00:59

笠智衆(りゅう ちしゅう)ってご存じだろうか。映画「男はつらいよ」シリーズの御前様として住職役で寅さんを叱る人っていえば、わかるだろうか。

小津安二郎の映画「東京物語」(1953年)に出演したとき、彼はまだ49歳。すでに老境に達したかのような演技だ。
寡黙で淡々とした風情に、戦後日本の父親を想起させるものがある。
笠智衆を思い出したのは、この本を読んだから。

笠智衆のように枯れたい
まぁ、書かれていることは至極真っ当。
・枯れない男の気持ち悪さ
・今は「不機嫌が野放し状態になっている」時代
・蕪村の俳句「月天心心貧しき町を通りけり」、芭蕉の俳句「この道を行く人なしに秋の暮れ」にみる想像力の世界
・「型にはまる」から自由は始まる
など、なるほどと思う点も多い。

でも、この本は対談の形式だが、後半は「放談」になっているような。
そもそも笠智衆(が演じた日本の老人)は、こんなにおしゃべりじゃなかったはず。

なんだかなーって思いながら、次の本を読む。
私たちはどうつながっているのか―ネットワークの科学を応用する

ネットワークの科学というとSNSやTCP/IPなどコンピュータなるものを想像するが、人間関係を生身のネットワークから論じたもの。

あまり聞き慣れない概念が次々と出てくる。

・6次の隔たり(世界の誰とでも、短い知人の鎖を介してつながっている)。
・われわれは家族、職場、旧友などさまざまなコミュニティーに属し、そのなかで対(たとえば恋人同士)ではなく三角形(クラスタ)を形成することが多い。
・6次の隔たりには「自分と異質な人が情報源となる」ことがある。
・クラスターがあると利己的な振る舞いが抑制され、協力的方向に向かう。
・非常に多くの人と繋がっている人をハブという
・ハブになる3大要素は、能力、先住、運である。

概念だけを見ていると功利的なようにも見えるが、組織分析などは鋭いものがあると思う。とくに「ハブ」的な人という概念は興味深い。

でもね、「ハブ」になることはしんどさをも受け入れること(著者もそれを充分認識している)。人間関係にまつわるコスト(嫉妬、中傷、責任)をも受け入れる人でなければならない。その能力がないのに「ハブ」になろうとすると、器から水が溢れて収拾がつかなくなったり、器に穴が空いて締まりのないものになってしまう恐れがある。

「放談」を読むより、ずっと気持ちのいい本ですね、これは。
たぶん笠智衆(の演じる老人)は、語らなくても、これらのことをよりよく理解していたんじゃないかな、と強引にまとめてみる。
ということで明日もコミュニティーで仕事です、とまたまた強引にまとめてみる。


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