「ウェブ進化論」を読む ― 2006-02-11 13:08
「ウェブ進化論」を読む。著者の梅田望夫さんは、αブロガーで、はてなの非常勤取締役でもある。Netとの親和性は非常に高い方のようだ。
ウェブ進化論というのは、コンピュータの世界を「こちら側」と「あちら側」に二分論で語っていくこと。「こちら側」では、スタンドアローン的なコンピュータの使い方が中心となる。クローズドな基幹システムにしろ、オープンソースなLinuxにしろ私たちの手元にパーソナルコンピュータがあるということ。
一方、「あちら側」ではNet市場で島を形成しようとする(同時にそれはユーザーの囲い込みも目指す)楽天、Yahoo!があり、WEB2.0に近くなるAmazonがある。
Googleは、人の手の入らない検索アルゴリズムで、Netの世界政府的な役割を果たそうとしている。
そして、著者の姿勢はOptimism。「便所の落書き」「悪意と邪悪と無責任なスカばかりの」ブログと批判する既存のメディアの態度には与しない。
1991年、わたしがコンピュータと出会ったとき、その世界は閉じられていたと思う。
OSは、MS-DOS。通信環境は、2.4キロバイトのモデムでパソコン通信。まだ草の根BBSがあり、NiftyもPC-VANも孤島であり、ユーザーはその島内の村民にすぎなかった。牧歌的であったが、村社会でもあったわけだ。
そして95年、いっきにインターネットの世界に入っていく。
パソコン通信ではなく、Netの世界が出現したのだ。島ではなく、国境を越えて情報が飛び交う世界。そのころ、よくこのような質問をNetを始めた人から受けた。
「アメリカのサイトに繋がったんだけど、国際電話料金がかかるんじゃない?」
ADSLや光ファイバーが普及した今、このような質問をする人はいない。
わたしは、個人的にはスタンドアローン的なコンピュータの使い方が好きだ。
だが、ブログを書き、Netで他の方のブログを読み、そしてGoogleの検索にさらされて生きている。Netにものを置くということは、その時点でわたしたちの手から離れていくのだ。
そして、GooleアドセンスやAmazon APIの登場。RSSリーダーが、ブログを鳥瞰していく。1991年から、遠くにきたことを痛感する。
著者は牧歌的な時代を懐かしむのではなく、若い世代に可能性を感じている。
既成のエスタブリッシュメントがおそれているのは、「自分の既存の優位性」を脅かされること。
それを世代間対立ではなく、世代間対話になっていけばとわたしも思う。
「恐竜の首」と「ロングテール現象」の分析も興味深い。
読み応えあるウェブ論です。
技術評論社 (2005/09/23)
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