梅雨明けまぢか?2010-07-14 21:13

強い雨が降り、仕事の関係でバテ気味。今日はこんな本を読んでいた。
荻原魚雷「活字と自活」
活字と自活
高円寺に住み、フリーライターをしながら古本への偏愛を語る。
脱力系エッセイとも違い、情けないけどなぜか懐かしいような羨ましいような文章が続く。
無意味に尖った10代、20代を通過してそれなりに社会や組織に同化しつつも、どこか落ち着きが悪い。たぶん何歳になっても、居心地の悪さはずっと続いていくのだろう。

この本で詩人の中桐雅夫が紹介されている。

懐かしくなって本棚から彼の詩集を取り出してみる。
会社の人事―中桐雅夫詩集


「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」
顔色をうかがいながらおべっかを使う、
いわれた方は相好をくずして、
「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす。

「あの課長、人の使い方を知らんな」
「部長昇進はむりという話だよ」
日本中、会社ばかりだから、
飲み屋の話も人事のことばかり。

やがて別れてみんなひとりになる、
早春の夜風がみんなの頬をなでていく、
酔いがさめてきて寂しくなる、
煙草の空箱や小石をけとばしてみる。

子供のころには見る夢があったのに
会社にはいるまでは小さい理想もあったのに。

中桐雅夫「会社の人事」(1979年)

日本が高度経済成長し、高度資本主義に向かう頃に書かれた詩。
同意するところもあるが、自己陶酔的な批評家然した詩に今の私なら違和感もある。
「選択」という機会も私たちにはあるのではないか。

そしてこの詩が今では牧歌的に思えるほど、現代は欲望資本主義(効率と合理性信仰)が貫徹されているのかもしれない。

彼の詩集の隣に並んでいた小松弘愛詩集「どこか偽物めいた」も読み返す。

無造作に

その女を人を見送りに行った
駅の時計を見ると
長針がわずかに動いて短針にぴたりと重なった

午後一時五分
二つの重なりから目を離した後
その女の人の横顔をちょっとのあいだ見つめた
わたしの視線に気づき
どうしたの?
と その女の人は怪訝な表情を見せた

わたしは時計を指さし
「時計の針Ⅰ(いち)とⅠとに来たるとき・・・・・」
という白秋の歌のことを話した
ただ これに続く下の句については
笑いのなかに言葉をにごして

やがて
特急列車の窓ガラスを隔てて
お互いに手を振り 無造作に別れた
下の句は
「するどく君をおもひつめにき」だった

駅の時計から二十数年たって
たまたま再会したとき
その女の人は
「わたし知っていたわ あの白秋の歌」
と言って笑った

いや
「再会」したというのは作り事
人は無造作に別れる
そして
それが生涯の別れとなることも多い。



1995年の年末、故郷の高知の書店で購入した詩集。
人と出会い、無造作に別れてそれが生涯の別れとなることを人は経験し続ける。

本を読んだあとはいつもボーッとしてしまう。
会社からの帰路、雨に濡れた生け垣をデジカメで撮影。
CIMG0048
CASIO EX-G1はギミックでコンパクトなので持ち歩きが楽だ。

週末はいよいよ梅雨明けか?
本を読んで、美味しいモノをときおりいただいて、森に潜り緑の海を泳ぎ
ロードバイクですこしロング走り、効率や合理性ばかりを重んじない友と時に会う。

そんな生活をしたい。

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