白石一文「永遠のとなり」を読む2007-12-18 00:37

永遠のとなり
白石一文の「永遠のとなり」を読了。彼の作品は何冊か読んでいるが、人物設定がなじめなかったり性描写が唐突に現れたりして、正直魅力的な作品には出会えていなかった。 だが、今回の作品は出色の出来ではないか。

小学時代からの親友津田敦(あっちゃん),青野精一郎(せいちゃん)のおじさん(48歳)が主人公の物語。あっちゃんは肺ガンを患い、なんどか再発しながらもそのたび回復し4度の結婚を経て、いまだに女性に好かれるという性格の男性。せいちゃんは、損保会社に勤め部長の役職になるが、吸収合併され親会社のリストラ・組織の横暴さの中で部下に自殺され、彼自身もうつ病となり退社し、妻子とも別れ郷里の福岡に帰ってくる。

これはある年代の自画像の物語なのだろう。
田舎から都会の大学に進学し、そして大企業に就職し、それなりの経済生活・社会生活を送りながらも、次第に衰退と死の影を感じる世代となっている。つまらないが強固な組織の原理、人の気持ちなど結局わかりあえないのではないかという諦観、そして病、そのようなものが色濃く彼らを染めていく。

あっちゃんは、子どもの頃別れた父が孤独死した時を回顧してこういう。
「人間なんてみんなそうで、誰のことも知らんで、バラバラに生きてそのくせ誰が好きやとか嫌いやとか勝手なことばかり考えとるだけにすぎんのやなって分かったんよ」(同書109頁)

一方、せいちゃんは自分がうつ病になった原因をこう分析する。
「そして、自分でも意識してこなかった意外な内面の真実に突き当たった。
私は、私という人間のことが本当に嫌いだったのである。
そう気づいた瞬間、何だそうだったのか、とすべてが了解できる気がした」(同書124頁)

「落ちていく私には、どこにも掴(つか)まることのできる過去がない。
自らの過去をあまりにもないがしろにしつづけていたのだな、と覚った。 現状への不平や不満ばかりを募らせて、いつも性急によりよい自分になろうとし過ぎていた。だからこそ、こうしてずっと厭いつづけてきたかってのじぶん自身たちから強烈なしっぺ返しを受けているのだ、と」(同書126頁)

不幸や病に合理的な理由や因果応報などというものはないのだろう。森の動物たちは死の概念というものを持たず生き,滅んでいき、私たちは存在が有限なのを知っている。だからこそ迷い悩むかもしれないのだ。

登場人物はすべて何らかの陰影を漂わせている。でも、暗い小説になっていないのは博多弁のおおらかさ、自由闊達さもあるのではないか。そして出てくる女性たちは強く、賢い。やはり男はダメだなって思ってしまう。

ガンが転移したあっちゃんとせいちゃんが病室で交わす会話は秀逸。ひさしぶりに本を読んで涙を流した。 若い頃、歳を取るということが理解できなかった。だが過去の初老の人々を思い出すと、わたし自身も十分に年老い、十分に哀しさも知ったのだろう。

表題の「永遠のとなり」とは彼らの友情の物語を描いているようにも思える。だが、どうしようもないが取り換え不可能な「自分」というものかもしれないなと読了して思った。

ある程度の年齢の人にはお勧めの本ですね。


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