いまさらながらに「されど われらが日々ー」2007-12-19 23:44

今宵はオヤジ仲間のIくんと仕事が終わってからすこし飲んでいた。互いに忙しいのでダラダラとは飲まず、短時間一本勝負。来月(来年)の山登りの約束をする。

キリッとした夜の道をひとり歩いていると、小説の一節がふいに浮かんできた。
されどわれらが日々ー (1964年)

確か「あなたにとって誠実さとはどんな意味があったのでしょうか」という言葉だったか。

気になり帰宅して本棚から文庫本を取り出すと、すでに茶色に変色しており奥付には読んだ日の日付が書かれている。1974年6月9日。私はまだ20歳だ。
気になった箇所は赤鉛筆でラインが引かれている。

「あなたは私の心の痛みを自分の心の痛みのように感じていらしたに違いないのです。けどれも、それでも私は一つ、ただ一つあなたにおききしたいのです、そうしたあなたの誠実さにはどういう意味がありえたのかと。」

この言葉はときおり思い出すことが多かった。「誠実さにはどういう意味がありえたのか」。ときには自分に問い、ときには相手に問うことが多かった。

この小説は1963年に書かれ、1974年に文庫化されている。日本共産党の組織が革命武装路線から平和的革命へと路線転換し,無邪気に路線を信じていた政治的青年の挫折と虚無を描いている。一時期の日本のインテリの脆弱性を描いていたのだろう。

だがそれよりは、節子という女性が、過去を否定し今を生きるために恋人(主人公)に宛てた上記の手紙の一節がずっと印象に残っていたのだ。

社会や人との関係の中で、一種のあきらめ、距離を置く主人公は最後にこう語る。

「やがて、私たちが本当に年老いたとき、若い人たちがきくかも知れない、あなた方の頃はどうだったのかと。その時私たちは答えるだろう。私たちの頃にも同じような困難があった。もちろん時代が違うから違う困難であったけれども、困難があるという点では同じだった。そして、私たちはそれと馴れ合って、こうして老いてきた。」

20歳の私は、この本を読みながら、私も同じように老いていくのだろうとなぜか感じた。そして事実、時代と、人と、社会と馴れ合って生きてきた。1974年6月9日、そして2007年12月19日。本というのは、おそろしいほど時間を経ながら生きていくものなのだ。
この本を捨てなかったのは、別の理由もあるがそれはまた気が向いたときにでも書きます。

ちょっとほろ酔いの夜に。


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