「ニート」って言うな! を読む2006-01-19 22:54

「ニート」って言うな!
本田 由紀 内藤 朝雄 後藤 和智
光文社 (2006/01/17)

私たちの世代は、若い頃、三無世代と呼ばれた。
無関心・無気力・無責任の三無であると。

すごいネーミングです。もう人間扱いされていませんな。
でも、この概念、1970年頃なんですよね。

そして、いまの若い世代には、「ひきこもり」や「ニート」や「仮想現実と現実との区別がつかない」などとレッテル付けをしている。
そうしたネーミングするのは、学者であったり、マスコミであったりするわけです。

「AC(アダルトチルドレン)」、「負け犬」、「トラウマ」などと使い捨てのネーミングは次から次とうたかたの泡のように現れる。

そしていまの旬?は「ニート」かな?

この本は、「ニート」というおおざっぱな定義付けに対し、3人の論者が批判していくもの。
教育学者の本田由紀氏は、雇用構造や職業につくシステム論から、俗流・ニート論を批判する。

社会学者の内藤朝雄氏は、「ニート」に対する社会の憎悪のメカニズムを分析していく。

そして、東北大学学生・後藤和智氏はマスコミ(特に雑誌)に載る「ニート」論を、具体的に批判している。

わたし、最近、週刊誌をまったく読まないので、後藤氏の部分は興味深かったなぁ。
あいかわらず「AERA」は、週刊誌版・トンデモ本ですな。
どのような人が読んでいるのか、不思議。週刊ポストや現代を、どんなオヤジがよんでいるのかも不思議だけれど。だって、どこにも読みたい記事がないもんなぁ。

わたしは、いまの若い世代を私たちの世代よりも思慮深く、聡明な世代だと思っている。
べつに若者におもねっているのではなく、会社やその他で接していて、そう思うのだ。

なのに「いまの若者は、少年・少女は」などと声高にいう人たちを、よく理解できない。思慮深く、聡明な人々は,(わたしも含めてだが)わたしたち以上の世代には少ないように感じる。

いまベストセラーになっている「下流社会」に対する違和感も、そこから来るんですよね。
それにしても「下流社会」を出版しているおなじ光文社新書から、「下流社会」論を批判するこの新書がでるというのも、なかなかおもしろいですね。

参考
後藤和智氏のサイト
内藤朝雄氏のサイト

コメント

_ くろさか みわこ ― 2007-05-03 13:18

  はじめまして。
  Asyuu さんのことは何も知らないままにたどり着いて、この読書感想を読み、、とても同感するところがあるからです。 ありがとうございます。
  
  * そうですよね。ひどいネーミングですよね。
  * 「わたしは、いまの若い世代を私たちの世代よりも思慮深く、聡明な世     代だと思っている。べつに若者におもねっているのではなく、会社や      その他で接していて、そう思うのだ。」にも本当に、そうですよね。
 
 今、起こっている問題は、
  社会的な力や権威をもつ人たち、多額のお金を動かすことのできる人たちのモラルの崩壊が根本的な原因であって、若い人たちが原因ではないことに、むしろ、ニートとはベトナム戦争時代にアメリカの若い人たちが徴兵を良心的拒否したことに似ていて、健全な精神を保とうとするひとつの手段ではないだろうか、と分析する学者がいないのも不思議なことですね。

  私は今年で還暦、いわゆる団塊の世代に属しますが、この”団塊の世代”という表現も失礼な言葉だと、1976年頃に著名な方がネーミングしてから
ずっと気になり、怒っております。

  ネーミングの裏には、何か意図があるのではないでしょうか。

_ asyuu>くろさかさん ― 2007-05-04 06:55

こんにちは。コメントありがとうございます。
古い記事へのコメントなので、そういえばこんなコトを書いていたんだとわたし自身、気づいた次第です。

ニートという概念の一方で、正社員は長時間労働に就いているという現実があります。私としては、私を含めて上の世代は「若者の邪魔をしない」というのが大事じゃないかなぁと愚考しております。

現実にどうすればよいのかという特効薬を思いつくことはできませんが。
組織にはびこる「老害」という存在には、わたしはなりたくありませんもの。

ではでは、また。

*いただいたコメントが2重になっていたようなので、最新の方にさせていただきました。

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_ ニート・ひきこもりのためのせどり - 2006-01-23 16:21

「ニート」って言うな!

このサイトの右サイドバーにamazonのアソシエイトを入れさせてもらっているんですが、一応、「ニート」で調べたときの検索結果の書籍が出るようになってます。

ということで、「ニート」って言うな! という本が発売されてることを知る。
情報....

_ フリーターが語る渡り奉公人事情 - 2006-01-24 23:54

ひとつ前のエントリーにひきつづき、ニートの話をお送りします。

「愛知県の指導で名古屋市内の精神鍛錬所と昭和塾堂が『最低生活デー』の見本献立をつくり、県当局はこれを普及させようとしたが、それは同県御殿村では、一般農家の「最上の御馳走よりも尚高価なもの」であったため、人々のひんしゅくをかった(吉見 義明 「草の根のファシズムーー日本民衆の戦争体験」東京大学出版会1987、1988 第一章 デモクラシーからファシズムへ 第一節 戦争への不安と期待 10p)」

フィギア萌え族のブログ
に記録されたニート塾のTV報道では、入塾費は3ヶ月で60万円、うち30万は公的扶助だという。
ひとくちにニートといってもいろいろな状態の人がいるだろう。なかでも、貧しい家庭のニートには、こういった塾の費用は払いきれないものではないだろうか?

たとえば、わたしの知っているあるニートの人の場合。十代の男性で、ときどき仕事があるときだけはアルバイトに行っている。じゃあアルバイターかな、と思いきや、本人の自己申告ではニートだと言う。
彼は十代のころに父親をなくし、母子家庭である。母子家庭の平均年収は、一説によると250万円。統計調査をするときに、あまりにも年収の低い人は回答拒否をしたり、こころもち多めに自己申告するであろうことも考慮すれば、実際にはもう少し低いと考えたほうがよいのかもしれない。

彼は、電車よりも自転車を使う。ふだん穴の開いた服を着ている。誰か経済的にゆとりのある人にごはんをおごってもらおうとしたがる。高校のときには、いじめがすさまじく、今でもその不安・恐怖が残っているそうだ。

こういう人にも精神鍛錬のためのニート塾を、と訴えはしない。ただし、ニート塾というのは、経済的な問題を過度に精神鍛錬主義にすりかえており、こっけいな産業である。料金もまた、人助けというよりも主催者らの自己満足か、純然たる金儲け主義であることも物語っている。
このようなところに政府の予算を使うべきではない。

十分な間取りのある低所得者向けの住宅の建設、最低賃金の引き上げ、労働基準法をじっさいに遵守させるための人手、フリースクールやホームスクールも含む奨学金の充実……などなど、他にいくらでも予算の使い道はある。

これは、本田由紀さんほかいろいろな人が指摘していることだが、そもそも、ニートを問題にすること自体、間違っているのではないだろうか。






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http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/
http://d.hatena.ne.jp/coma18/
http://d.hatena.ne.jp/demian/
http://d.hatena.ne.jp/ryozo18/20051205/1133767230
http://d.hatena.ne.jp/kaoru3_16/20050317
http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/

_ フリーターが語る渡り奉公人事情 - 2006-01-24 23:54

(これはすなふきんさんへのレス兼トラックバックです)

すなふきんさんがコメント欄で問題提起をしてくださった。それへの答えにならなくても、ヒントになるものを記事として書いておく。

以前コメント欄で、派遣・アルバイトは、都会の中の出稼ぎ労働者と言いかえられるとわたしは言いました。経済的に一部を除いて衰退し、疲弊する都市の中で、ひとつの会社だけでは食べられない。なので派遣やアルバイトに出かける。そこには、自営業や土方、サラリーマン、OL,主婦などいろいろな職業で食い詰めたり食い詰めかけたりしている人々が集まってくる。

そこで、何らかの事情で働いていない/働けないと一括して「ニート」と呼ばれる。そこには悪者を責めるようなニュアンスがこもっている。だけど、働かないことがひとくくりに悪だと言えるのだろうか。今の経済について何かよいことをやろうとしすぎるあまり、あせって、冷静な判断を失ってはいないだろうか。

「わたしはこの臨時工労働組合の活動家たちと何回か会って話しあううちに、かれらの多くが自動車工場の経験があることを知って驚かされた。それは、自動車産業が、いかにこれら浮遊労働者に依存し、かれらの若い労働力を使いすててきたかを物語っているし、さらにまた、相対的に高い賃金で狩り集められてきたとしても、いちどはたらけば、たいがいの労働者たちはもうコリゴリになってしまうことをも証明していた。(鎌田慧 「ドキュメント 追われゆく労働者」 第四章 巣篭り pp97)」

派遣会社は現在の〝人夫だし〟会社だと言えば、いま30代のわたしよりも少し上の世代の人たちにはイメージしやすいだろうか。
派遣ということでこれまでわたしは荷物はこびや半導体の検査、焼肉の鉄板洗い、それにただチラシを何枚か集めて所定の位置に持ってゆく、機械に従ってチケットを封入するといった職場で働いた。
そこでは、あまりにも単調でつらく、なおかつ身体破壊的な労働がアルバイトや派遣に押しつけられていた。おどろいて、1日や2日で仕事をやめる人がほとんどだった。ある職場では一ヶ月勤務しつづけたわたしは、例外的な忍耐力の持ち主だったそうだ。

「『どうですか、出稼ぎに行かないで家にいる気分はどんなもんですか』
『いいもんだ』西成さんはそう簡単にこたえた。わたしたちは炬燵に入ってはなしあった。『奥さんはどうですか』彼女も短く『安心できる』とこたえた。西成さんは二町五反の田んぼと、それにりんご畑を三反歩ほどもち、この村でもっとも大きな農家なのである。だから、7年間つづけてきた出稼ぎを、ことし休んだとしても、それほど生活にはひびかないそうである。むしろこれを機会に、ゆっくり農業について考えているようなふうだった。さいきん6頭ほどの肉牛の飼育も始めたという。『出稼ぎしないで、こうして炬燵にあたっているほうがいい』かれは奥さんのこたえにつづいてそういった。
『出稼ぎでいちばん悪いことは何ですか』
『バカになることだな』
わたしは、たちどころにかえってきた、この言葉の確信ある響きに感嘆した。それは、ながい間考えてきた結論であることを感じさせた。『バカになるって、どういうことですか』わたしは膝をのりだしてきいた。
 西成さんは言うのである。出稼ぎに出ると百姓のことを考えなくなる。毎年、何の努力もしないで、同じことをくりかえすだけになる。春さき、家にかえってくると農作業が待っているので、そのときは気がはってやるが、田植えがすんで一段落すると拍子抜けして病気がちになる。そのあとはもう、新しい経営についての意欲が湧かなくなってしまう。(中略)出稼ぎに行くときには農業の本を持っていってても、むこうで読むのは週刊誌のマンガばかりなのさ、西成さんはそう苦笑するのだった。(同上書 第一章ジプシー工場 PP24-26)」

アルバイト、特に派遣労働に行くと、疲れ果てて本も読めない時期があった。勉強するぞと思って、電車の中やわずかの休憩時間に目を通そうとして、英語やスペイン語の本をバッグに入れておく。
しかし、だんだんと集中して読めなくなってしまう。仕事をやっていれば、とても本など読めない。また、軽い雑誌以外の本格的な本らしい本を持ってゆくことは、それだけで周りから白い目で見られる。一度、派遣でつとめることになった工場の休憩時間に、サル学の本を読んでいたら、まるで犯罪者でも眺めるような視線で正社員からにらまれ、萎縮してしまったこともあった。
どうやら組織は、上のほうの1%とか1割の例外以外は、おろかであることを求めるようだ。一般の正社員でもそれを求められる。アルバイト、女性といった条件が重ねれば、なおさらである。
それはほとんど、愚鈍労働といっていいような、身分が下のものに割り振られるシャドウ・ワークであり、アンペイド・ワークなのだ。人間性・創造性を破壊する、サディステイックでアビューシブな労働である。その役割をこなさなかったり、表立って違和感を表明こと、組織不適応とされる。
 そこにハマってしまうともう、将来のことも、もうすぐやってくる公共料金の支払いのことも、ファッションというよりも最低限の身づくろいのことも、考えられない。風呂に入ることも、一日3食食べることも、歯をみがくことも、友人との待ち合わせも、脳裏から消えてしまう。初対面の人の名前を失礼にも忘れてしまい、何度もたずねかえして不快にさせてしまうこともあった。なんと、自分の名前を打ちまちがえてメールをしてしまい、知人から「ワタリさん、ものすごく疲れているみたい。休んだほうがいい。」と強く忠告されたこともあるほどだ。
 ただし、会社が求めるのはそうして組織に埋没して自我を破壊された労働力なのだ。ヘンにNGOの会議や、動物学の好きなアルバイターどうしでラテン語(原生動物の学名に使われる)のまじった会話を楽しむことや、ましてや会社への批判を語り合うことなど、論外なのである。
 このへんの事情を、フリーターやニートの「やる気のなさ」や「自意識過剰・自信過剰」や「無知」をまことしやかに語る「識者」たちは認識しているのだろうか? 日本国憲法も、労働基準法やILOの条約も、現場においては「絵に描いたモチ」状態だというのに。
 鎌田さんの上記の本は、1976年に日本評論社により「逃げる民ーー出稼ぎ労働者」として上梓されたものを、ちくま文庫に再収録したものである。もし、70年代にニート談義がさかんであれば、「ここにもニートがいる! 富裕層型ニートだ!」「農村型ニートの例では〜」などとマスコミやシンポジウムなどで騒がれていたのだろう。
しかし幸いなことに、まだそんな言葉もない時代だったので、西成さんは、(農業というもうひとつの職もあったとはいえ)自分を否定したり、家族から寄生虫扱いされたり、教育・訓練施設に閉じ込められずにすんだ。玄田有史のような労働経済学者から「朝早くおきて、あいさつをしましょう」「もっといいかげんなほうがいい」「かたく考えてばかりいないで合コンでもやろう」といった失礼でばかげた指導(実態は恥辱?)を受けずにすんだ。
 ニート、ニートと騒ぐ人々、それにマスメディアは、どうにかしている。視聴率のためか、予算のためか、スキャンダル集団をでっちあげる新手の「やらせ」なのか。

「今回、わたしが経験した職場の仲間の多くは(中略)能力以下の仕事を押しつけられていた。(中略)彼らを過小評価するのをやめればすぐにでも力を発揮しはじめるに違いない。(中略)今回、さまざまな仕事を体験するなかで、そのことが否が応でもはっきりしていったのだった。(ポリー・トインビー著 椋田直子訳「ハードワークーー低賃金で働くということ」東洋経済新報社 2005 90P)

 この本の著者は、ジャーナリストの仕事を一時停止して、取材のために荷物運びやケーキづくりなど多種多様な低賃金の職につき、その様子を報告している。
 上記の指摘は、日本でアルバイターとして似たような職種を経験したわたしの観察とも一致する。たとえば、あるシンセサイザーのプロの音楽家をめざす30代初頭のアルバイターは、お弁当の箱詰めのパート労働にでかけて、いっぺんで嫌になったと語ってくれた。あの仕事はひどい、わたしの創造力を壊してしまう。ワタリさんも絶対やらないほうがいい。文章を書くとか、作曲するとかいったことをやりたいのなら、絶対に行ってはならない職場だ、と険しい行状とかたい声色でわたしに警告してくれた。
そのほか、交通調査の仕事で、タイムやニューズウィークの英語版を、辞書もたずに読みこなす20代のアルバイターもいた。彼もまた、能力以下の仕事で生活を支えようとしていた。喫茶店を経営するご夫婦も、正社員として働くOLやサラリーマンも、明らかに能力以下の仕事をこなしていた。
また、以前は正社員だったがリストラされて、ひ孫受けの派遣から関西で強い大手電気会社の子会社に出向いたある派遣アルバイターも、半導体の検査という、誰にでもできるが目の神経をやられる危険な仕事についていた。
<2005/1/5付記>こんな人もいる。高校中退の20代のアルバイター。中国系3世の彼女は、仏教に関心が深い。お経やマントラも読めるし、サンスクリット語も勉強している。恵まれない父子家庭の出身者だが、アルバイターとして誠実な仕事ぶりで、勤務中のブテイックでは信頼されている。英語だけではなく中国語も学習している。しかしある日を境に連絡がとれなくなってしまった。現在、行方不明だ。<2005/1/5付記>

「かなり苦しいがみなこれで耐えている。病院や学校や地方自治体で、レストランやバーや厨房で、社会がまわってゆくには欠かせない仕事をしながら、報酬はごくわずかで、世間並の暮らしをするには到底足りない。ジャーナリストとしてのわたしはレストランでの一回の食事に、ヘアカットに、ちょっとした楽しみに、こうした仕事で得る一週間分の収入以上の金をとくに考えもせずに使っていた。
 一度だけ本来の暮らしに戻って、BBCの対談番組に出演したことがあった。スタジオでくつろいで、保守党政権で大臣を歴任したケネス・クラークとの30分の対話を楽しんだ報酬は、チェスシー・アンド・ウェストミンスター病院で二週間、80時間ポーターの仕事をしたときの手取りとほぼ同じだった。目に見えない境界線をまたいで、あちらの世界に戻っただけで、時給が160倍にもなったわけだ。ジャーナリストとしてテレビに出ることと、病院の歯車を回転させつづけることの価値を正確に比較することなど不可能だが、両者の報酬にこれほどの差が有る事実を正当化することなどとてもできない。(ポリー・ウォーカー 同上書 98P)」

これは、わたしとしては、正社員、とくに総合職の人たちとつきあうときの金銭感覚の差から推論できる。その人たちが軽く買っている化粧品、ヘアカット代、ちょっとしたコーヒー代、本代、パソコンや音楽CD等に費やせるお金・・・・・・すべてがわたしにとっては別世界の出来事なのだ。そして、そのつどひとりだけ取り残されたような、つらい思いにとらわれる。
これで社会はフェア? ふざけないでよ! と言いたくなってくる。
資格も気休めというか、形骸化して久しいし、もし職業訓練をして職人になったとしても、それだけで食べられなくなったら、また派遣やパート・バイトで働くことになるだろう。
その席さえもたまたま空いていなければ、運悪く失業である。
その状態を無責任に叩き、公衆の面前で18歳以上の人間を幼児扱いして侮辱し愚弄し、教育と労働の二重のワークが人を強く自由にするだろうと予言する有識者たち。

あなたがたは、いったい誰について語っているのですか?
何もあなたがたの労働条件を大幅に引き下げろとは言わない。わたしたちに、あなたがたのせめて8割程度の給与を、保障を、最低限の社会的尊敬をくれませんか?
そうすれば税収も上がり、多くの人が消費すれば、一部の金持ちの浪費よりも着実に消費が伸び、経済も回復するでしょう。
わたしたちの給料を上げるとインフレが心配なのなら、経営者の取り分もこれ以上伸ばさないでいただきたいものです。それが嫌ならば、わたしたちが一日8時間ほど働けば自活できる給与を求めたいのです。

(2005/1/5情報を追加し、一部を読みやすく改めました。大意にちがいはありません。)


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_ 日本一わかりやすいビジネス系書評サイト - 2006-02-07 09:09

『下流社会』(三浦 展) 光文社、819円 オススメ度:★★★☆☆ ネガティブなことを口にしながら生きるのは私の好みではないので、「内容的にちょっと」という本に出会ったときは、「どうしたら活かせるか」を考えます。 この本は、「なぜ売れているのか」を研究するに..

_ フリーターが語る渡り奉公人事情 - 2006-02-13 21:56

「ニートって言うな!」本田 由紀、内藤 朝雄、後藤 和智 共著 光文社新書2006.1

やっと読みました。著書ひとりが一部を担当し、3部編成の書。

まず第一部。本田さんが「ニート」という概念のいいかげんさ、あやうさ、政治経済的な傾きを緻密にスケッチしている。
異論があるのは49Pの図です。これほどニートという言葉を厳密に用い、かつその問題性を鋭く指摘される本田さんならば、ひきこもりという概念も使うべきではなかったのではないか。「ひきこもり」もまた、そもそもアメリカの医学診断基準のなかの統合失調症のなかの一症状だった。それが、日本に輸入され、若い世代で学校に行かない子どもの成人版としてメディア等によってグロテスクに紹介・宣伝され、バッシングされることになっている。もう最近では学校や会社に行っていても、「心が引きこもっている」と他人を非難したり、自己にレッテルを貼ったりするのに使われて、意味が拡散・希釈されている。なのに、人にマイナスのレッテルを貼る機能だけは、継続して使われている。これは、ニートと同じまやかしの語ではないのか?
ニートは自己責任ではないということ、ニート(という概念とそれへの蔑視)を生み出す社会こそ変えなければという最後の提案には、賛成できる。

つづいて第二部。いじめ学者の内藤朝雄さんが、ニートを切り口にして、若者にマイナスのレッテルを貼って特定の集団を追い詰め、排除しようとするメカニズムを分析している。
また、教育が、まるで日本のキツネつきやヨーロッパのオオカミつきのごとく、若者にとりつくプロセスについても解説。「悪霊」としての教育、善意をかくれみのにした悪意の暗躍についてキッチリと指摘している。社会改良に関心のある方は必見だ。
統計を用いての若者の現状紹介は有益。読者が身近な若者とニュースのなかの若者の違いを認識する手がかりとなるだろう。
若者自立塾構想が、実は「プチ徴兵制」ではないかとの指摘は的確だ。実際、戦前を理想とする人々は、つねづねそうした構想を実行する機会を待っていたにちがいない。

さらに第三部は、ときおり拙ブログにトラックバックをくださる後藤和智さんが担当している。
新聞・雑誌などの若者報道の言説をつぶさに検証。ニート論の根拠のなさ・非科学性・思考停止ぶりに言及。さらに世代的または階層的・ジェンダー的利害の偏りをつぶさに批判して

_ 乱読日記 - 2006-03-23 20:14

本田 由紀, 内藤 朝雄, 後藤 和智
「ニート」って言うな!


いい意味でも悪い意味でもいろいろ突っ込みどころが満載の本でした…。

いい点は…。
NEETの基本的な意味定義の誤解を解こうと努力しているところ。
この本を読むと確かに今のニート論争が心理面に偏り

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