1970年代のSummer in Kyoto2006-06-20 23:02

昨日のエントリで京都・ほんやら洞のことを書いたら、30年以上前の京都を思い出した。
当時は、私は同志社大学(今出川)の近くにある近畿予備校の後期授業に参加していた。バイトで蓄えたお金を使って、晴れて?専業受験生になっていた。

そのころ予備校で親しくなった男の子は、俳優の松田優作にそっくり。背が高くなかなか男前なのに、ちょっと神経質。まぁ、2浪目だから、神経質になるなというのが無理だったのだろう。
「(予備校の)授業がないときは、同志社大学の図書館で自習してるけど、高校の同級生がいたりしてイヤなんだよなぁ」と、彼は嘆く。結局、彼の進学先も知らないまま時が過ぎた。彼は、いまはどうしているのだろう。

当時、同志社大学に通っていた高校時代の同級生の下宿先に遊びに行くと、人気のあった麻田奈美のヌード写真が壁にピンナップされていた。北白川は、いまのようなおしゃれな店はどこにもなかった。

いまの会社に就職してから、80年代前半、よく京都に通った。

一乗寺近くにある映画館「京一会館」では、ぶっとおしでいろいろな映画を見た。
学生が多く、若いサラリーマンである私が紛れ込んでも違和感はなかった。

円山野外音楽堂の宵々山(よいよいやま)コンサートにも通った。いまは九州大学の教授になっておられる北山修さんが、現役で歌っていた。

高野悦子が過ごしたジャズ喫茶「シアンクレール」でコーヒーを飲んでいた。高野悦子が、ひっそりと座っていた店の雰囲気はどこにもなく普通の喫茶店になっていた。いや、私がすでに変わりつつあったのかもしれない。

京一会館もシアンクレールも、今はない。
当然、宵々山コンサートもなくなっていると勝手に思っていたが、なんと、まだ続いていたんだ。
宵々山コンサート

今年の夏は、ひさしぶりに京都の夏を味わおうか。


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