桜と「ランゲルハンス島の午後」 ― 2018-03-28 19:27
本格的な春、街中では桜が満開になりつつある。
組織人として働くのも残り二日となった。
クロモリロードで街中の桜を眺めている。
日曜は神崎川ー淀川右岸を経て背割り堤へ。帰路は大山崎から西国街道。
平地走で102km
今日は西宮の関学ー大池公園ー越水浄水場などを経て夙川へ。
夙川沿いは花見客で賑わっている。
夙川を南下して香櫨園浜へ。
村上春樹のエッセイ「ランゲルハンス島の午後」を思い出した。

素直な中学生だった村上春樹が、忘れた生物の教科書を自宅まで取りに帰り、気持のよい春の岸辺で寝ころぶ時間を「ランゲルハンス島の午後」と名付けた有名なエッセイだ。
夙川・葭原(あしはら)橋
「 僕の家と学校のあいだには、川が一本流れている。それほど深くない、水の綺麗な川で、そこに趣のある古い石の橋がかかっている。バイクも通れないような狭い橋である。まわりは公園になっていて、キョウチクトウが目かくしのように並んで茂っている。橋のまん中に立ち、手すりにもたれて南の方に目をこらすと、海がきらきらと光を反射させているのが見える。」
「まるで春の渦の中心に呑みこまれたような四月の昼下がりに、もう一度走って生物の教室に戻ることなんてできやしない。1961年の春の暖かい闇の中で、僕はそっと手をのばしてランゲルハンス島の岸辺に触れた。」
私ももう「会社の会議室に戻ることなんてできやしない」
新しい水(隠居後の生きるスタイル)は新しい革(老人として生きる身体)に盛らなければならないだろう。
「まるで春の渦の中心に呑みこまれたような四月の昼下がりに、もう一度走って生物の教室に戻ることなんてできやしない。1961年の春の暖かい闇の中で、僕はそっと手をのばしてランゲルハンス島の岸辺に触れた。」
私ももう「会社の会議室に戻ることなんてできやしない」
新しい水(隠居後の生きるスタイル)は新しい革(老人として生きる身体)に盛らなければならないだろう。
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