ダンスの輪から遠く離れて2007-11-01 00:00

もう芒が盛りだ(北摂にて)
いま仕事が佳境に入り、平日は残業ばかりの日々だ。でも、時折ふっと微笑んでしまうほど充実感がある。それは私が仕事を通じて「必要とされているんだ」と感じることができるからだろう。

人は「必要とされているんだ」という想いをプラスのエネルギーにして生きていくのだろう。
仕事、友、恋人、家族などを通じてそれをリアルに感じていくのだろう。

「必要とされていないんだ」
「軽んじられているんだ」
「切り捨てられているんだ」
というマイナスの磁場からは憎しみや嫉みや歪んだ自己主張しか生まれないだろう。

マイナスの磁場は連鎖していく。それがいっとき、誠実さや愛や思いやりの衣装をまとっていてもマイナスはいくら掛け算してもマイナスだろう。

30年近く今の組織にいると、人としてこんな人になりたいなぁと思う人も多くいた。同じくらいこの人は何を守りたいんだろうと首をかしげる人も多くいた。

言葉は美しく、誠実そうな雰囲気を漂わせているのに手のひらを返したような態度をとる人を見た。最初は憎しみや軽蔑する思いを押し止めることができなかった。
でも彼ら・彼女らはそういう傾向の人なのかもしれない。彼らの生き方の流儀がそのようなものなんだろう。


・偉そうにしない
・誠実そうにしない
・重い荷物を持つ人には少しは手を貸そう
・憎しみよりは「そのようにしかできないんだ」とも考えてみる

そんなことを考えていると、この数ヶ月の人への失望感もすこし和らいでくる。
おもわず微笑している。

村上春樹の小説「ダンス・ダンス・ダンス」を読むと、こんな表現が出てくる。

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「でも踊るしかないんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊りつづけるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことを考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなことを考えだしたら足が停まる」(講談社文庫上・182頁)。
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そう、人生はダンス・ダンス・ダンスかもしれない。人から見られ、自意識の中でステップを踏みながら生きていく。でもダンスも終焉に近づく。人はいつまでもステップを踏みながら踊り続けることはできない。

ダンスの饗宴の中からすこし離れて壁にもたれて、ちょっと微笑もう。
そして,憎しみや嫉妬や愛や恋や誠実さを競うようにサークルの中で踊る人々から次第に離れていこう。きちんとした言葉、きちんとした態度、きちんとした自然のシャワーを浴びていこう。

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