1984年の村上春樹とSKK ― 2021-10-03 22:14
隠居には祝祭的日々はあまり必要ないので、のんびりした時間が過ぎていく。クロモリロードで散策したり、緑陰で読書したり。
日常使いのノートパソコンは、ChromeBook(IdeaPad Duet)なので、Android,Linux(仮想コンテナ)、Chrome OSが混在した状態。
最近、はまっていたこと。
無線ルーターのUSBポートに128GBのUSBメモリーを装着して、簡易NASを設定。Dropboxなどと同期させて、日記などのテキストファイルを保存。テキストファイルだとわたしの凡庸な一生分の記録でも数十メガバイトだろう。
アンドロイドアプリのTermuxを導入して、Ubuntのデスクトップ環境を構築。lxde,Xfce4などのデスクトップ環境作成にけっこうな時間をついやす。
Anthyをインストールすると日本語入力ができる。
そしてtmuxのマルチターミナルを気にいっている。でもtmuxは日本語入力環境が貧弱なので、そこから起動するVim,EmacsでSKKの日本語入力をできるよう設定。
SKKが他の日本語インプットメソッドと大きく異なるのは、かな漢字変換において形態素解析に基づいた変換を行わないこと。かな漢字変換は連文節変換、同意義語変換などの精度を向上させてきたが、その反面、インプットメソッドに指示されている感じになってきた。やれ「読点がおおい」、「おなじ助詞が連続する」とか指摘され、勝手に漢字変換するので漢字のおおい文章になりがちではないかな。
自分で書いているのか、インプットメソッドの連文節変換により定型的な文章を書かせてもらっているのか判然としなくなることはないか。
SKKは、例えると、万年筆で白い紙に思考しながら文章を書いていく感じ。
BRUTUS(ブルータス) 2021年 10月15日号 No.948 [特集 村上春樹 上 「読む。」編] を読んでいると、1984年のBRUTUSドイツ特集でのレアなエッセイ集が復刻掲載されている。
このエッセイの文章がとても若い作家らしく瑞々しく、万年筆で書かれた文体だなと即座にわかる。
とてもすてきな文章なのでSKKで筆写してみた(SKKだと筆写という感じになるのが不思議)。
1984年だからワープロや、ましてやパソコンで書かれた文章ではないだろう。
若くして読みやすい、されどまねしがたい文章が万年筆で書かれたんだろう。
1987年にワープロ(シャープ書院520だっけ)を使いはじめ、1991年6月からパソコン(EPSON PC286VG CPU16bit RAM4M HDD 80MB MS-DOS 3.1)に出会った(総額50万円もした!)。コンピューターの進歩は、私などの予測をこえたものだったけれど、ネット社会には夾雑物がまじりすぎたような気もする。
SKKのような変態日本語入力が簡易で単調でスローな日々にはふさわしいかもしれない。
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