ロングライドに出かけよう,Over the Wind ― 2009-04-15 21:11
の続編
を読了。
ロングライドの距離は厳密な定義はないけれど、著者もいうように1日に300Km以上走る場合をロングライドといえるのではないか。平均時速20Kmとしても15時間サドルの上にいる。休憩時間をいれるとまるまる1日かかる。
400Km以上だと1日を越える場合が多いのではないか。
著者はブルベに魅せられた「距離感が壊れた人々」を紹介しつつ、ロングライドの魅力を語っていく。
最初に著者が「普通の人(スポーツとしての自転車を知らない人)に語ってはいけないタブー」を二つあげる。
ひとつは自転車の値段であり、もうひとつは走る距離。ホームセンターで1万円以下のママチャリが売られており、駅前まで或いは買い物で数Kmしか走らない人にとって、ウン十万円を自転車に費やしたり、週末に「ちょっと100Km走ってきた」と話すロードバイク乗りはやはり奇異に映るだろう。
私もロードバイクに乗るまではそう感じていた。金銭感覚と距離感がすこし壊れるのがロードバイク乗りの傾向かもしれない。でも著者がいうように「本当に壊れていたのはロードレーサーに乗る前の距離感」かもしれない。電車や車などで移動すれば長距離を稼ぐことができる。だがそこには点と点のつながりしかなく、風の匂いや、季節の移り変わりなどを感じることはできない。
ロードバイクだとすこし走れば自宅から琵琶湖まで達する。登った北摂の山々、比良山系を見上げながらロードバイクで走ることができる。ときおり会社まで自転車通勤すると、阪急電車から眺める街の路上にロードバイクでいる自分を想像できる。
ロングライドというのは、そのような想像力を私たちに与えてくれるのではないか。
だが私は体力的にはブルべには向いていないと思う。いままでの最長距離が近江高島から針畑川、美山を経て自宅まで走った189Km。平均時速21Kmだから9時間サドルの上にいた。先日の「福知山、丹波、篠山ライド」では162Km走っているが、平均時速20.3Kmだから8時間ほどサドルの上にいる。
我流の走りであり、アスリート的な走りはできないのでそれほど平均時速をUpすることはムツカシイだろう。
それに駄馬であれ事故に遭わず故障をしたくない。著者が言うように「カラダ壊さず、距離感壊せ!」ということか。
次第に私たちの世代の生き方は「足し算ではなく引き算」になっていくのかもしれない。有限の時間、体力から必要なものを引いていくしかない。だからこそロードバイクの自由を大切にしていきたい。
<前著に対する私のブログの感想>
自転車で遠くへ行きたい
ついで
も読み始めた。川西蘭「セカンドウィンド」外伝も載っている。近藤史恵「サクリファイス」外伝とともに、スポーツ小説は主人公が固定しないのがイイ。
「ひとりでは、越えてゆけない。」というアンソロジーの主題もちょっと心惹かれる。
週末は天気みたいだから余裕があれば五波峠を走ってみたい。
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