「短歌の友人」と雪の歌2008-02-09 22:26

「東京の積雪二十センチ」といふけれど東京のどこが二十センチか
奥村晃作

逃げてゆく君の背中に雪つぶて 冷たいかけら わたしだからね
田中槐

雪だった手と手をあたため合うなんてことむろんなくバスを待ってた
五十嵐きよみ

雪まみれの頭をふってきみはもう絶対泣かない機械となりぬ
飯田有子

穂村弘「短歌の友人」から「雪に関する歌」をランダムに引用させてもらった。
短歌には不案内だが、短歌がアニミズムとリンクしたり、社会派を標榜することもある。たとえば朝日新聞の読者歌壇などはステレオタイプな歌があふれかえっている。政治を批判し、反戦を歌う。正しいのだが、そこにはためらいが希薄なのではないか。

穂村弘は
「・・生のかけがえのなさに根ざした表現が詩的な価値を生むとしても、それが生の全体性にとっても常に最善とは限らないのだ。むしろ、日常的な生活や社会的な生存の現場においては不利に働くことが多い。例えば、新聞記事やビジネス文書に新鮮なオノマトベやメタファーが充ちていてはまずいだろう。
(中略)
そう考えるとき、今日では徹底的なリスク回避の意識が我々の生活から死を遠ざけ、同時にその言葉から詩を遠ざけているとも云えるだろう」(同書95頁)
と短歌の〈リアル〉の構造を分析している。

「口語短歌」として雪を詠う若い歌人たちの孤独さは、私たちの孤独さとリンクしているのかもしれない。
しかし正しさやアニミズムのみに安住するのではなく、すこし乾いた孤独のようなものにリンクしていくことに私は魅力を感じる。

仕事や日常生活に収まらない自分の思いの往き場所を、どこかに持っておくってコトは大切なことかもしれないのだ。

そんなことをふと考えてみた。

短歌の友人

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