泣かない子どもと人生の秋 ― 2006-05-13 15:33
関西地方は、肌寒く、冷たい雨。しずかな雨で、家でゆっくりとPCに向かっている。
昨夜、飲み会が終了してから、酔いを醒ますためひとりで街の路地を歩く。ちょっと素敵なレストランやBarをチェック。最近は、予約したレストランよりは、店のたたずまいが気に入った店に入る。初対面の人に会ったときの印象と同じく、たたずまいのよい店は外れが少ない。
金曜の夜、ときおり携帯にメールが届く。
読むと、今年、職場を変わった友人からのメールが多い。みなすこし孤独で、すこし不安なのかもしれない。
先日、友人とダイニングバーで飲んでいたとき、ひさしぶりに、ほんとうにひさしぶりに涙を流してしまった。
私は、子どもの頃に「泣かない子ども」になりたいと思っていた。だから、大人の感情の法則を計算し、彼らの感情の流れを予測し、読み取ることに熱心な子どもだった。要は、かわいげのないイヤな子どもだったわけだ。
三つ子の魂百まで、陳腐な表現ではあるが、真実を多く含む。私は、「泣かない大人」になることができた。
でも、それは錯覚だったかもしれないと、最近は思うことが多い。ドライな合理的な自分を演じたかっただけかもしれない。
ひさしぶりに涙を流したのは、悲しいからではなく、この数年の旧職場での悔しさみたいなモノがこみ上げてきてからだ。
仕事をしていく上で、つまらない意地や意味のない軋轢はつきものかもしれない。しかし、不器用な人、真摯な人を大切にしない組織を私は忌み嫌う。
旧職場での悔しさを、たぶん私は忘れないだろうし、悔しさを表現できなかった人たちを忘れないだろう。
精神科医の野田正彰は「人生の秋は美しい」という本の中で、中年の心得として以下のようなことを挙げている。
■喜怒哀楽をはっきりすること
■人を操作的にみないこと
■自分の隠していたコンプレックスときちんと向き合うこと
■明日のために今日を我慢するというライフスタイルを見直すこと
ちょっとやんちゃ坊主(喜怒哀楽をはっきりと)であろうと、人を利用しようとしたり、自分のコンプレックスを隠すために寛大にあるいは強圧的に振る舞ったりするライフスタイルからは、とおく離れて生きていきたいなぁと、静かな雨の日に思う。
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