着替えるメガネを試す2006-04-22 11:26

1番下が、老眼用メガネ。ちょっと目立ちすぎ?

人事異動で、職場も仕事の内容も替わるので、思い立ってメガネを買い替えることにした。 以前から気になっていた「alook」で、メガネを見てみる。この店は、若い子で賑わっていて、おじさんにはちょっと入りにくい雰囲気。でも、平日の昼間だったので客が少ないし、スタッフものんびりしている。

スタッフからアドバイスを受けて、結局、近視用2本、老眼用1本、計3本のメガネを購入した。
40代後半から、悲しいかな、老眼がだいぶ進んできてたけど、だましだましPCなどをしていた。

しかし、老眼用を使って、PC画面をみると、おーっ、クッキリ・ハッキリじゃないか。ThinkPad X21の画面がぼやけていたんじゃなくて、私の目がぼやけていたんですねぇ。

「alook」は「着替えるメガネ」をコンセプトに店舗を増やしているようだ。
いまのところとくに不具合はないので、しばらく使ってみるつもりだ。

それにしても老眼用のメガネフレームは、なんか関西芸人風になってしまった。 老眼用にと自分に認識できるように、目立つものにしたけど失敗だったかな?

無機質な神Vs領主 文春新書「グーグル」を読む2006-04-22 13:27

「ウェブ進化論」、「Web2.0 BOOK」と読み進めてきて、今回はこの本。
書籍の帯に「Google 破壊者か、全能の神か」というエキセントリックな字句が使われている。

すでにブログでは、この本に対してさまざまな優れた論評が掲載されている。 弱小ブログを書いている者として、個人的な感想を書いてみよう。

「ウェブ進化論」は、「あちら側」に対するオプチミズムが基本的なスタイル。しかし、この本は、Googleが無機質な神として君臨するのではないかという危惧も中心に据えている。Googleは無機質なアルゴリズムで、検索エンジンのトップに躍り出た。だが、「グーグル村八分=Googleの検索エンジンの対象外とされること」、「中国政府の検閲容認の受容」など、かならずしも無機質なアルゴリズムだけで動いていないのではないかとの問題提起も、この本ではなされている。

わたしも、さまざまなGoogleのサービスを利用している。Google Search Google Adsense Google Calendar・・・。私のブログにも、Google検索結果で訪れてくれる人もいちばん多い。
以前のホームページ型、Yahoo!のディレクトリー型の検索なら、この弱小ブログの存在自体ももっと孤島化していただろう。

一方、Googleは無機質な神として、Net上の情報をデータベース化していっている。あらゆるサービスを無料で提供することによってNetの住人を信者にしている。 たまたまMSのビル・ゲイツ会長が来日して、記者会見での発言が朝日新聞に載っている(4月22日版朝刊)。ソフトウェアの重要性は変わらない、という趣旨の発言だ。MSは、OS、オフィスソフト・ブラウザを制することによって、ユーザーから年貢を取り立ててきた(それも年貢を取り立てていると認識させないほど巧妙に)領主のような存在ではないか。

いま起こっているのは無機質な神(あちら側)Vs領主(こちら側)の争いのようなイメージを感じてしまう。
私自身は、OSやオフィスソフト・ブラウザをMSに依存しすぎるのは望ましいとは思っていない。OSに依存しない「あちら側」の台頭に、興味をいだく。だが、GoogleなしでNetが存在しないという状況も、いやだなぁと思う。だが、Googleが、Netのすべてを支配していくというのは困難なのではないか。Googleは、無機質な神である故に、一神教にはなりえないのではないか。私たちは、Netを離れて、無神論として生きていく選択肢をもっているのだから。
Netが生きる上でのすべてなどということ自体が、偶像崇拝であり、人生のリアルからは遠ざかる面もあるからだ。

いずれにしても、この本はそのような想像を巡らさせてくれる良書です。
各章の扉に引用されている書物もユニーク。「すべてを再生していく」という章の扉に、村上春樹「スプートニクの恋人」の文章が引用されている。また「すべてを発信していく」という章の扉は、村上龍の「憂鬱な希望としてのインターネット」の文章だ。


グーグル―既存のビジネスを破壊する

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