奈良で能に出会うー過剰とノイズの排斥(2) ― 2005-12-20 23:44
能舞台を観るのは、初めて。2時間半の間、途中に狂言をはさみながら「敦盛」「黒塚」と観る。
古典芸能にふれて、日本の古い文化も大事にしなくてはと思いました。
これからは、このような日本文化にも触れたいと思います。。。。
と書くと、小学生の作文になるので、印象などを。
正直、期待はしていなかったけれど、2時間半、十分に楽しめた。
シテ方(主役=敦盛)、ワキ方(主役の相手=熊谷直実)、地謡(斉唱を担当する役)、囃子方(楽器=鼓、太鼓、笛などの演奏)が相互に作用しながら、進んでいくのだ。
せりふのみですませれば、10分ほどですむだろうが、あるときはゆっくりと、あるときは力強く謡(能の声楽)がなされ、1時間ほど「敦盛」は演じられた。
声高で自己主張のつよい表現にならされてしまっているわたしにとって、能という所作・方向が、「過剰とノイズを排斥する芸」と思われた。
でも、違和感もひとつあり。
「過剰とノイズを排斥する芸」であるならば、演じる者の肉体・精神も「過剰とノイズを排する」ものであって欲しいというのは欲張りか?
面を着けることによって、鬼を、翁を演じるのではなく、より面と沿うことによって能の面白みが出てくるのではないか?
門外漢でありながらも、今回の上演ではそれを感じた。
このように感じるのは、わたし自身が、「過剰とノイズを排する」所作・方向を望んでいるからかもしれない。そのような想像力をかき立てるのは、能の侮れないところかも。
帰りに、梅田紀伊國屋書店に立ち寄り、世阿弥の「風姿花伝」(岩波文庫)を購入。
いま、読んでいるところです。
で、まだ(3)に続く。
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