骨は折れても、心は折れていない2023-03-22 10:04

川沿いをリハビリ散歩。新緑の季節には高知旅行したい。
右上腕部骨折後3ヶ月、手術後2ヶ月半、三角巾を外してリハビリ開始後1ヶ月半が経過した。

装着したチタンプレートとボルトに問題はなく、骨折部に仮骨(骨の赤ちゃんと言えようか)も出現してきた。
ただ負荷能力は低いままで、ロードバイクに乗るには体幹能力が対応できず、まだ無理っぽい。

月1回、総合病院で術後検査、週に2−3回、整形外科でリハビリ通院をしているが、リハビリの進捗度はミリ単位(苦笑
2−3時間、戸外でのウォーキングに加えてマッサージ、可動部を動かす、ストレッチなどを行っているが、帰宅後は疲れて30分ほど昼寝するのが日課。
現在の状態は前にならえで、やっとこさ90度、横には45度くらいしか右腕は上がらない。肩関節部はまだまだギシギシとした感じ。

スイスイと苦もなく上がる左腕と比較してしまうと、「もったいないことをしたな」という「小さい後悔」がともすれば現れてしまうけど、それは詮無きこと。
全身麻酔で4時間の手術を終えた際、「あのまま死んでいても自分自身はまったく後悔はなかったな」と思ってしまった。40歳以降、楽しいことだけを数えてきた人生だったので、それほど心残りはないし、65歳以降はとくに「おまけの人生」と思って生きてきたので、いまここにいるのは「おまけの人生」をしばし伸ばしてもらった感じだ。

40歳以降、山歩き、ロードバイクと身体を動かすことを習慣にしてきて、アスリートのような身体の酷使もしなかったので、それなりに長持ちしてきた身体。
70歳近くで初めての骨折なれど、骨は折れても心は折れていない(苦笑

幸いなことに足腰はしっかりしており、疼痛などの症状はないので、地道にリハビリしていく。
次第に暖かくなり、桜の季節、新緑の季節へと向かうので、心もなんとなく前向きの気分。私の右腕以外は、家族も友人もみな元気そうでなにより。
静かに誠実に生きていく道筋が、自分の中でより明瞭になってきた気がする。

文字通り「骨が折れる」2023-02-23 20:11

リハビリ運動していると草むらにテントウムシ
右上腕部骨折後2ヶ月、手術後1ヶ月半、三角巾外してリハビリ開始後3週間が経過した。

リハビリは進んでいるが、手術で装着したチタンプレートとボルトがまだ骨に安定して固着していないので、可動域を広げる運動はどうしても限定的だ。
・服の着脱、入浴などで不便を感じることは少なくなり、
・緊縮した肩も、日々リハビリ運動でほぐすようにしている(リハビリ運動は多岐にわたり、けっこう飽きない)
・左手を添えれば90度まで右腕を上げることができるが、補助がなければ45度くらいか(苦笑
・骨折前の体重から4kg減の65kg(身長173cm)。筋肉も落ちたが、お腹の贅肉もとれているので、うまく筋力を回復していけばいいかな。



三角巾をとってからのリハビリと並行して、義母の介護付き有料老人ホームを妻と一緒にさがしていたが、現時点で義母にあるていど機嫌よく暮らしてもらえそうな有料老人ホームがあったので、先日入居手続きをおこなった。
ホテル、教育機関、損保会社、電機会社などを母胎とする有料老人ホームやサ高住(サービス付き高齢者住宅)も見学したが、介護「ビジネス」という「ビジネス」に重点を置いた施設が多い印象を受けた。


今回、見学・面接・入所した有料老人ホームは、有名な社会福祉法人が運営しており、比較的利用者の自由度が高い施設だったので、お世話になることにした。
そのぶん利用料金は高く、義母が100歳まで健在だとすると、数千万円の出費となる。遺族年金・義父が残した貯蓄などで、なんとかやり繰りできそうだが、いざとなったら私たちが援助することになるかもしれない資金計画。

そこで長らく親の世話(金銭面も含めた援助を一切していない)をしていない義弟(妻の弟)と電話で、援助について話し合った。
私は憎しみに捕らわれることはよほどのことがない限りは意味はないと思っているので、それに骨折していて怒るエネルギーもないので、義弟に我慢強く、援助の依頼をした。そのせいもあったのだろうか、義弟からそれなりの援助のお金が義母の口座に振り込まれていた。

義母が有料老人ホームに入所して数日、それなりに快適のようだが、義母は他罰的で、楽しいことよりイヤなことを覚えている性格なので、まだまだ「骨が折れる」関係は続くだろうな。とはいえ義母との同居は解消されたので、じぶんなりのリズムを取り戻しつつある。

骨折あるあるで、「小さな後悔が続く」ことがリハビリ時に生じやすいけど、
「腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。 悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。」(村上春樹)という感じで、リハビリしている。
孫の子守ができて、「楽しく」ロードバイクに乗れて、ひとり旅・女友達らと旅行して、70代をリメイクできればいいな。

ありがとう、三角巾2023-02-05 10:21

病室にて。1ヶ月半使った三角巾
落車で怪我してから1ヶ月半、やっと三角巾を外した。

2023年2月2日
総合病院で術後経過観察。

主治医から
・経過は良好。手術したプレート・ボルトもズレなどの問題はない。
・現時点での右手の耐荷重はペットボトル500ml。(戦闘能力、めちゃ低っ!スライム以下。)来月には2Kgほどの予定。
・斜め45度方向で右腕を90度上げることを今月はめざすように。それ以上、上げる必要はない。最初難しければ、健常である左腕で押し上げるようにする。
・肩周りの拘縮があるので、ウォーキングして意識的に腕の振り子運動をして拘縮を緩和するように励むこと。
などなど説明をしてもらう。


夜は、ひさしぶりに右手に箸をもって食事。いままで左手に箸、フォーク、スプーンと三歳児のような食事の仕方だったけれど、右手がかなり自由になったのでやはり楽だ。服の着脱もずべてひとりでできるようになった。

2月3日
リハビリウォーキング。武庫川河川敷を歩く。きもちがよい。
だが足腰を鍛えるためではなく、腕を振り子のようにして歩くリハビリなので、猫背にならず、腕が自然に振り子のように動くようにウォーキング。
意識しすぎると、肩に力が入るので、できるだけ無心で歩く。

肩周りの拘縮があるので、それなりに負担を感じるので、1kmほど歩いたら、立ち止まって肩甲骨まわりのストレッチおよび右腕の90度上げ運動を取り入れる。
いまの自分にはけっこうハードで、気分だけ怪我から復帰するアスリートモード(苦笑

11kmほどリハビリウォーキング。といっても途中、喫茶店で珈琲休憩あり。

2月4日
怪我、入院・手術、長い三角巾生活のなかで、身体のバランスが確実に崩れていた。
それが如実に現れたのがお通じ。ずっと身体を動かす生活をしてきたので、便秘になるという経験をしたことがなかった。ところが三角巾と運動不足の生活のなかで、人生初の便秘。すっきりとしたお通じがない。

この日も、トイレに入るも腸の中にビー玉が何個も重なって詰まっている感じで、すっきりしない。昨日、怪我後、はじめてそれなりの運動をしたのに、まだ効果ないのだろうかと落胆。それでもお腹や背中をさすったり、トイレ内でリハビリ運動をしたりしていると、何個かのビー玉のようなうんちが続き、満を持して見事なバナナ形状のうんち(しげしげと眺めたが、ここ数年では最上の形と色ー苦笑ー)が登場。

トイレで自分のうんちに感動したのは、人生で初めてだ。

整形外科でリハビリ受診。担当療法士に、術後経過観察結果を説明して、今後のリハビリ指導をお願いする。他動による可動域を広げるリハビリと、右腕の運動の指導を受ける。この整形外科の療法士は、趣味がロードバイクの人が多く、担当療法士も「ヒルクライムが好き」とのこと。たしかにヒルクライム体型をしている。
とはいえ、趣味談義のために通院しているのではないので、もっぱらリハビリ関連の話が当然、主になっている。

いつもの喫茶店で妻と合流して、お茶。妻はジムへ、私は武庫川ウォーキング。

8kmほどリハビリウォーキング。帰宅すると、ぐったりと疲れており、入浴までちょっと休む。

入院して以降、禁酒生活が続いている。骨折状態ではアルコールは血のめぐりをよくして炎症を引き起こすかもしれないので自制。
ノンアルのビールで夕食。禁酒してみると、アルコールというのも習慣みたいなもので、とくに飲まなくても人生に支障はない。
まさしく怪我の功名、生活スタイルも変わっていくだろうな。

寝る前に軽くリハビリ運動。ベッドで音楽を聴く。そして早めに就寝。

カップの底は「大吉」2023-01-29 19:10

今週は4回、整形外科にリハビリ通院。現在はまだ他動可動域訓練(療法士に肩関節を動かしてもらう)であり、総合病院で来週、術後経過観察があるので、骨の癒着検査結果により、自力可動域訓練に進むことになるだろう。そこからが本格的なリハビリ開始って感じかな。

通院後は、ジムに行く妻と待ち合わせて、駅前の喫茶店で雑談。最近はもっぽらこのカフェを利用しているが、妻がレシートを眺めながら「カップの底に大吉ってあると、もう一杯、珈琲無料サービスがあるんやて」と話しかけてきた。

「ふーん、何回もここ、来てるけど、なかなか当たらへんやろ」と答えて、珈琲を飲み干して、カップの底を見てみると「大吉」の文字が現れた。
嘘やん、そんなことってある?

「これで今年のよい運勢は使い切ったって、かえってイヤやなぁ」と妻と笑いあう。

妻はジムへ、私は久しぶりに電車で西北ジュンク堂へ。新刊をチェック。まだ右手が使いにくいので、けっきょく電子書籍を読んでいる。

帰りはウォーキング。右腕を振れないので、途中肩甲骨に歪みを感じる。立ち止まって肩甲骨を伸ばす運動をしながら、6kmほどあるいて帰宅。

今日はテレビ買い換えのため、バスで家電量販店へ。15年ほど使った42型プラズマテレビの液晶に滲みが出てきて、リモコンによるスイッチオンもときおり稼働しない。最初の量販店では希望するテレビの在庫がなく、3週先でないと納品できない。提示された販売金額も、他店より高い。
そこで散歩をかねて別の量販店へ。私はロードバイクでよく走る道だが、妻は初めてで「ここの桜並木は4月になると綺麗やろうね」と話しながら歩く。小さな川の土手には水仙の花の群落。歩かないと、このようなことには気づかない。

別の量販店でも希望のテレビの在庫はない。店員さんに有機ELの55型テレビを薦められ、予算額範囲内なので、いったん喫茶店で妻と検討会議。
最近の液晶テレビは画質はかなりよくなっているが、有機ELと比べるとやはり劣る。この際なので、有機ELのテレビを注文。録画用HDDなどは検討のうえ、ネットで注文してもいいだろう。

最近のテレビは見るべき番組はあまりないんだけど、ネットに繋がるしアレクサとも連動しているようなので、新しいスタイルを試してみるのもいいだろう。

そんなこんなで歩いていると、右肩骨折しているのを忘れそうになったが、まだまだ右腕自力可動域運動ができていないので、リハビリはこれからが本番(苦笑

リハビリと散髪2023-01-25 16:48

X220は名機やね、やっぱり。
総合病院で術後通院した際に、あわせて夫婦で申請していたマイナンバーカードも市役所で受領していた。
昨日は、ネットでマイナポイントを申請。カードリーダーはないので、スマホ(Androidアプリ)のマイナポイントアプリで手続き。
案の定、使いにくいアプリやね。私のポイントはDポイントに付与しようとするも、エラーで進まない。
Dポイントアプリを起動して登録すると、すんなりといけた。

妻はポイントカードに付与させたが、こちらはIDやパスワード不要なカードなのであっさりと手続きがすんだ。
セキュリティがあるカードほど、登録しにくいのかな。ようわからん。

今回の怪我については、加入している自転車保険に電話で事故届けをして、必要書類を送付してもらっていたが、メールで「その後の状況・通院状況等」について問い合わせあり。いくつか確認事項も合ったので、現在の状況を回答するとともに質問事項もメールした。

左手のみでタイピングしていたが、現在はThinkPad X220+Bluetooth トラックポイントキーボードで文章を作成。トラックポイント(赤ぽっち)は左手人差し指で操作して、指の移動範囲が必要最小限になるので、骨折した腕には優しい、たぶん。

今日は昼からリハビリ通院。理学療法士に右腕を持ち上げてもらったが、まだまだ痛い。適度な痛みとともにリハビリを進めていくことになるんだろうな。
通院後、喫茶店で珈琲を飲んで、徒歩で帰宅。10年に一度の大寒波とマスコミは大騒ぎだが、こちらはうっすらと雪が積もった状態。とはいえ日陰では路面凍結している場所も多いので、慎重に歩く。骨折した身には、バックパックや手提げカバンを振り回しながら歩く歩行者、スマホを見ながら、あるいは歩道をむりやりすり抜けていく自転車はなかなかリスキーな存在。そこに路面凍結が重なり、転倒するとしゃれにならない。

途中、なじみの散髪屋さんに立ち寄り、いつもの短髪にしてもらう。三角巾姿だったので、ひととおり状況を店の方に説明。「ガツンと右肩をアタックしない限り、普通に散髪してもらってけっこうですよ」と説明して、散髪してもらいすっきりした気分。

「がんばってくださいね」と散髪屋さんに励まされる。

いろんなところで励まされるのは、素直にありがたいことです。

印は「○」と「×」2023-01-23 17:07

スマートウォッチでなぜか睡眠状態が高得点
昨夜は1ヶ月ぶりに浴槽に入る。ふと骨折部の右肩を見ると、「×」のサインがされている。整形外科でリハビリを受ける際に、超音波機器をあてるポイントとして書き込まれたようだ。そういえば、総合病院での手術前夜に私たち(妻と長男も同席)に手術の説明をしてくれた担当医は、最後にいままで筆記具として使っていたボールペンで「手術の部位、間違いないようにここにサインしておきますね」と右手甲に大きく「○」をその場で書き入れた。

整形外科って、システマティックで嫌いじゃないな。なんとなく自分の気性に合う。

今日はリハビリ2回目。右腕の張りをマッサージでほぐしてもらい、まだまだ右肩から肘にかけて張ったままの状態なので、現時点でできる自宅リハビリを療法士に確認する。1ヶ月、肘を内向きに畳んだ状態が続いたので、その強ばりを緩和していくために、肩を動かさずに「手のひらを外側に開いていく」運動もするようにとのアドバイス。

自宅で積極的に行っているリハビリは、

・肩甲骨を伸ばす
・手のにぎにぎ運動で腕の血流をよくする
・手のひらを外に開いて肘付近の強ばりを緩和していく

といったところ。腕を脱力し振り子のようにする「振り子運動」は難易度が高いし、肩が動いてしまいそうなので敬して遠ざけた。

今年、最強の寒波が今週はやってくるとのこと。

寒さを過ぎれば、お水取りがあり、4月には桜が咲き、5月には新緑の季節となる。
リハビリとともに、楽しい予定もいくつか計画のなかに入れ始めた。そういったことも今の自分には大切なことだろうな。

リハビリ開始2023-01-21 15:33

親戚からお見舞いにいただいた高級イチゴ。
術後、2週間が経過。
先日、手術した総合病院で抜糸(といっても溶ける糸と接着処理しているので、テープを剥がしただけ)と術後の経過観察。
術後の経過観察は総合病院で、リハビリは自宅付近の整形外科で、と並行受診していくことになる。

今日は紹介状をもって、駅近の整形外科を予約の上、受診。
総合病院でいただいた画像データなどの記録されたCD-Rも提出しているので、スムースにリハビリ計画が提示される。とはいえ、まだ骨の融合が進んでいないので、本格的リハビリはもうすこし先。超音波治療器で骨の融合を促進して、腕の可動域を徐々に広げていくリハビリ開始。
専門スタッフ(理学療法士)によってリハビリしてもらうが、怪我をしてからちょうど1ヶ月、ほとんど右腕を動かしていなかったので、痛気持ちよい(苦笑

術後、初めて病院でシャワーをしたとき右腕の肘から手首にかけて、棒が一本入っているかのように硬直状態だったことに、予想はしていたとはいえ衝撃を受けたけど、いまは想定内の可動域といえようか。もちろんこれから次第に苦労していくだろうけどね。

今回の手術で全身麻酔を体験したが、スピリチュアルな体験もなく、ただただ「無」な世界がそこにはあっただけ。4時間の手術だったけど、じぶんの感覚ではソファで10分ほどぐっすりと寝落ちしたかのよう。「死」というのは、かくのごとき「無」の世界にいってしまうことかもしれない。信仰心もなく、現世利益に執着するほどの自分ではないけど、「死」が限りない「無」だとすると、まだこの世界に生きていくことは、ある意味「苦ではなく、恩恵」ではなかろうかと感じた。「我存在あるが故に、我あり」っていう感じ。
もちろん人は平等に滅んでいくけれど、人に愛され、家族や友人、そして自然を愛した記憶をしばし自分のなかに蓄積させていくだけで十分に贅沢な時間だろうなとより思うようになった。

リハビリ開始したとはいえ、怪我前の自分に戻ることはできないだろう。入院中に看護師さんから毎日「術後直後の痛みを十とすると、いまはどれくらい?」と尋ねられた。手術翌日は、3−4くらい、翌々日からは2−3くらい、退院直前は「0に近い」と答えていた。事前に説明を受け想定していたより、痛みは少なかったな。

ただ現在の自分の体力は怪我前の3割ほどかな。体重は2Kg減。浴室でシャワーを浴びるとき、鏡にうつる自分の腕、胸は確実に筋肉が落ちている。リハビリをしても、可動域を含めて、8−9割しか復活できないかもしれない。でも悲観することばかりでもなく、他の部分(内臓や心臓など)に意味ある生活習慣を付与してあげれば、しばらくは騙し騙し自分の身体を使っていくことができるかもしれないね。

受診後、同行してくれた妻と喫茶店でお茶。妻はジムへ、私はのんびりと公園経由で徒歩で帰宅。

まあ、そういうことでリハビリ開始ですわ。

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