顔文不一致2005-12-08 01:28

勢古浩爾の「ああ、顔文不一致」(洋泉社新書)を読む。なんかすごい題名ですね。
でも、勢古浩爾の本をよく読んでいる。

「自分をつくるための読書術」
「こういう男になりたい」
「思想なんかいらない生活」
「わたしを認めよ!」
「まれにみるバカ!」
「ぶざまな人生」
「この俗物が!」
「自分の力を信じる思想」
「おやじ論」
「ああ、自己嫌悪」
「女はどんな男を認めるのか」

なんか書名をあげていて、恥ずかしくなってきた。うーん、オヤジくさすぎる。
文章の中にダジャレが頻繁にでるところもオヤジそのもの。これだけ勢古の本を読んでいるのに、ほとんど覚えていない。
これは、何だろう?と考えると、勢古の本は、居酒屋でかなり教養はあるのに偏屈といったオヤジと飲んだときのあとみたいな感覚なんだ。
このオヤジ、いいこというんだけど、翌日にはこちらは、ほとんどそのうんちくを覚えていないといったところ。

今回は、顔と文章は一致するのかという題目で、例によってダジャレと悪口のオンパレード。
「そりゃたまりまセブン、こりゃ攻めアグネスチャンだと思った」(同書27頁)にはこけそうになった。
「まだ懲りずに書いとるとです渡辺淳一、丸顔の寺尾聡か村上春樹、文学界のイケメン石田衣良」というネーミングも、悪口かほめてるんかわからない
 でも女性の作家がでてきませんね。山田詠美とか田口ランディとか柳美里とか、勢古は、読まないのかなあ〜。
後半は、脱線して顔と字やら服やら性やらごったにの語りが続く。いやー、やっぱり居酒屋で語る教養あるオヤジモード満開。

じつは、勢古はお酒を飲めない体質らしい。で、顔は俳優「大門正明」に似ているらしい。
「大門正明」といっても今の人は、知らないか。以前の著作での彼の写真を見ると、わたしは、西岡徳馬に似ていると思ったけど。
勢古浩爾は、でもきまじめな人なんでしょうね。だから、読むとすぐ忘れてしまう本なのに、つい買っちゃうのかも。
居酒屋でホントに教養ある人の、脱線話を聞くのは楽しいもの

ところでわたしは誰に似ているんだろう。
高校時代は、フォークルセイダーの北山修(いまは九州大学の教授)、大学時代は「松本清張の若い頃」といわれた。
いまは、「桂文珍(吉本の落語家)をちょっと男前にした」顔らしい。
きわめつけは、職場のバイトさんにいわれた「織田裕二がもうすこし老けて、田舎臭くなった顔」。
でも、それって「猿」ということですか・・・。
いずれにしても「男前じゃない」のは確かだ。
まあ、「ちょいもてオヤジ」のレオン編集長みたいには、なりたくないですね、はい。


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