山に物の怪はいるか ― 2005-11-06 20:04
おどろおどろしいタイトルですが、
わたし、霊感というものはまったくありません。
金縛りにあったことも、幽霊にあったこともない。
では、そのようなモノの存在をいっさい否定するのかというと、そうでもないんです。
数年前、友人と二人で鈴鹿の霊仙山(りょうぜんさん)にテント泊した。
晩秋の山で、出発が遅かったためもあり、適当な幕営地に達することができず、日が落ちてから森にテントを張った。
とにかく寒い。夕食をすませると、ふたりともひと張りのテントに入り、それぞれのシュラフに潜りこんだ。
重いザックを背負い縦走した疲れのため、わたしはぐっすり寝ていた。
夜中の2時頃、となりに寝ていた友人が私を起こす。
彼曰く、
「テント下の登山道を誰かが歩いている・・・」
その場所は、下からあがってきても、数時間はかかる場所。こんな深夜に、歩いてあがってくる人はいない。
「動物の足音じゃないの?」とわたしがいうと、
彼は「いや確かに人の足音だった!」という。
寝ぼけ眼で耳をすますが、そのような音は聞こえない。
稜線を風が吹き抜けているだけ。
「勘違いだよ。寝よ、寝よ」とわたしがいうと
彼は、
「勘違いじゃない。あれは絶対、人の足音だった」という。
わたしはあまりに眠かったので、かれによるとこういったとのこと(眠かったのでよく覚えていない)。
「だ・か・ら、山はなんでもありの世界なの。物の怪がおろうが、幽霊がおろうが、テントまで入ってこんやろ。寝よ、寝よ。」といっていびきをかいて寝始めたとのこと。
朝、目覚めると、彼はテントにいない。
あれから一睡もできず、夜明けとともにテントのまわりを徘徊していたとのこと。
彼は、いまでもあの時の足音を人のものだったと信じている。
森をひとり歩いていると、ふっと背後が気になることがある。もちろんそれは自分の脳内の感覚かもしれない。
でもね、そんなときは思いっきり唄を歌うとすっきりしますよ。
もし、単独行でそんな気分になったときは、ぜひお試しください。
わたし、霊感というものはまったくありません。
金縛りにあったことも、幽霊にあったこともない。
では、そのようなモノの存在をいっさい否定するのかというと、そうでもないんです。
数年前、友人と二人で鈴鹿の霊仙山(りょうぜんさん)にテント泊した。
晩秋の山で、出発が遅かったためもあり、適当な幕営地に達することができず、日が落ちてから森にテントを張った。
とにかく寒い。夕食をすませると、ふたりともひと張りのテントに入り、それぞれのシュラフに潜りこんだ。
重いザックを背負い縦走した疲れのため、わたしはぐっすり寝ていた。
夜中の2時頃、となりに寝ていた友人が私を起こす。
彼曰く、
「テント下の登山道を誰かが歩いている・・・」
その場所は、下からあがってきても、数時間はかかる場所。こんな深夜に、歩いてあがってくる人はいない。
「動物の足音じゃないの?」とわたしがいうと、
彼は「いや確かに人の足音だった!」という。
寝ぼけ眼で耳をすますが、そのような音は聞こえない。
稜線を風が吹き抜けているだけ。
「勘違いだよ。寝よ、寝よ」とわたしがいうと
彼は、
「勘違いじゃない。あれは絶対、人の足音だった」という。
わたしはあまりに眠かったので、かれによるとこういったとのこと(眠かったのでよく覚えていない)。
「だ・か・ら、山はなんでもありの世界なの。物の怪がおろうが、幽霊がおろうが、テントまで入ってこんやろ。寝よ、寝よ。」といっていびきをかいて寝始めたとのこと。
朝、目覚めると、彼はテントにいない。
あれから一睡もできず、夜明けとともにテントのまわりを徘徊していたとのこと。
彼は、いまでもあの時の足音を人のものだったと信じている。
森をひとり歩いていると、ふっと背後が気になることがある。もちろんそれは自分の脳内の感覚かもしれない。
でもね、そんなときは思いっきり唄を歌うとすっきりしますよ。
もし、単独行でそんな気分になったときは、ぜひお試しください。
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