テンプレート(廃線跡)? ― 2006-04-16 09:59
おじさんはなぜ時代小説が好きか ― 2006-04-16 21:14
時代小説を、あまり読まない。幕末とか、明治維新とか江戸社会とかに時代設定をして人間模様を描くというスタイルにあまり興味がないのだ。
春になると、会社の機関誌上であらたに幹部に着任した人々が「愛読書は?」と聞かれている。
ほとんどの人が、司馬遼太郎や藤沢周平を挙げる。4,50代なんだから、「村上春樹や村上龍が好き!」っていう人がいてもおかしくないのに、判で押したように皆、司馬遼太郎などの本を愛読書として挙げる。
若い頃はPOPSやモダニズムに憧れるのに、人は歳を重ねると(正確に言うと地位を得ると)演歌や時代小説に回帰するんだろうか。いや、そんなに真剣には司馬遼太郎や藤沢周平の著作を読んでいるわけではないのかもしれない。
関川夏央は、今回「おじさんはなぜ時代小説が好きか」という直截な題名で、司馬遼太郎や藤沢周平の作品論を書いている。
近代小説は、過去を、後進国である日本を、そして大衆を忌避したのではないか。だから、まず依拠すべき外国文化があり、その外国文化は、ドイツやフランス、そして戦後はアメリカと対象は漂ってきたのではないか。
藤沢周平や司馬遼太郎の本を読むと、そこには会社の幹部たちがことさらに強調する「組織論」とか「男の出処進退」などというものは実は希薄なのだ。ほとんどの幹部たちは、意図的に誤読しているかもしれないのだ。
そうでないと、藤沢周平の「蝉しぐれ」に見られる人間としての諦観とか、司馬遼太郎の「街道をゆく」に見られる開かれた見識とかが、彼らにあってもよいはずだから。
まぁ、村上春樹や村上龍が愛読書です!(わたしは好きですけど)という幹部もなんだかイヤですけどねぇ・・・。
電子の海ではなく、いま手紙を書きます ― 2006-04-16 22:37
関西地方は、すっかり葉桜の季節だ。緑の葉が次第に桜の花を被っていく様を見るのも、新緑の季節を予感させる。
パソコンをするようになってから、手紙を書くということが少なくなった。PCや携帯からメールを送ることができるし、このようなブログなどを書いていると日常生活の一部分を公開しているような面もある。
Google Calendarのように共有スケジュールなどというものを採りいれると、シェアリングという概念が重要になり個対個というものは希薄になるかもしれない。
若い頃は、よく手紙を書いた。携帯もメールもなく、恋文も書いたような気がする。正確に言うと、恋文ではなく、知識を羅列する小論文みたいなものだったかもしれない。賢く見せるのが、モテるコツなどと勘違いしていたのだろう。
だが、やはり大事なことは手紙に書こうと思う。先日、敬愛する先輩からお手紙をいただいた。
メールでも送ることができたのに、電子の海にメールを流すのではなく、手紙にはまた違った趣がある。
封を切るとき、同封された便せんを開くとき、わたしたちは少し緊張し、そしてすこし高揚する。
いまの職場は、わたしにとって必ずしも座り心地のよい場所ではなかった。だが、敬愛する先輩に出会えたこと、何人かの友人を得たことは恵まれていたと、衒いなく言うことができる。
今から、手紙を書きます。でも、ご承知のように悪筆なので、パソコンで書いてプリントアウトしてお送りします。

(口永良部島でシュノーケリングをしながら岸まで泳いでいった。水と戯れるように、海を泳ぐことができた。そんな気持ちを持ち続けることができたら・・・)
最近のコメント