やさしさのDNA2007-04-14 20:32

連日の残業の疲れのためか、今日は晴天なのにクロスバイクに乗る元気もなかった。
読書などをしてゆっくりと過ごす。

最近、「やさしさ」ってなんだろうと思うことがある。
仕事で余裕がなくなると、まわりの人に厳しくなっている自分に気づく。

いま組織や社会が余裕がなくなっているような気がする。
背広やスーツで武装した男女が組織の中に満ちあふれている。

しかしほとんどの人々は「やさしさのDNA」を持ってしまっている。

いつの頃からだろうか,「やさしさ」を恥ずかしいことだと思うようになったのは、
Lifehackやコミュニケーションスキルなどと表層的なところで競うようになったのは。

私は依存的なやさしさを主張する人を基本的に信用しない。
「やさしさのDNA」を持っている人々は、時には取っつきにくく強いようにも見える。
だが、彼ら・彼女らはそのやさしさゆえに、やさしさを避けているようなところがある。


組織の中では
・仕事が速く、人当たりがよく
・病気もせず、休まず働き
・決断も早い人がいいだろう。

だが、そうすることによってますます「やさしさのDNA」を減殺させている人のなんと多いことか。

私は、「やさしさのDNA」を持ちながら強い人が好きだ。
彼ら彼女らは、私に生きているっていいよなーと感じさせてくれる。

そのような人々はリアルに多くいる。

いま私の組織でも燃え尽きるように抗うことに疲れて、組織を去る人が増えている。
一方、定年を過ぎても組織にアドバイザーとして残り、若い人に意見をし、若い頃の自分の業績のみを主張する「老害」めいた人々も多くいる。

私の基準は、こうだ。
・もし私が彼らの人生だったら羨ましいだろうか
・うまく立ち回ったとしてなにを得ただろうか
ということ。

「老害」とは無縁の先輩を何人か見ることができたのもよかった。

いまの若い世代は「やさしさのDNA」をより持っているような感がする。
息子たちも含めて「やさしさのDNA」を私は大切にしていきたい。

ふと、春の宵、こんなことを考えた。

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