森見登美彦「【新釈】走れメロス」を読む ― 2007-03-15 23:10
森見登美彦さんの新作読了。文句なくおもしろい。
「山月記」では未完の小説を書き続ける男が挫折して虎になるのではなく大文字山の火床に居つく「天狗」となり,たらたらと訪れるものに「唾を吐き」つける。
「走れメロス」では、なんと約束を守らないために京都の街を疾走しつづけるお話。
友情のために走るのではなく、友情のために「約束を守らない」という逆転した発想。
とにかくスピード感があって、どんどん森見ワールドに引き込まれていく。
「藪の中」も「桜の森の満開の下」も人を愛する息苦しさといった陳腐なものではなく、つまらない純愛物語など消し飛んでしまうようなお話。
森見作品を読んでいて気づいたこと。
■京都の街、とくにあまり有名でない場所を歩き回った人だととても感情移入できる。私は予備校時代、20代、そしてここ数年は京都の街を偏愛している(奈良も好き)。
蹴上から森を抜けて大文字の火床にでると、京都の街が眼前に広がる。ー「山月記」
・真如堂付近を夕方訪れると異界に迷いこんだような気持ちになるー「百物語」
・哲学の道、鹿ヶ谷山荘付近、そして半木(なからぎ)の道、白川疎水の桜を眺めていると桜をみる焦燥感と孤独を理解できるー「桜の森の満開の下」
■コミュニケーションスキルなどというあざといものではなく、4畳半に引きこもって妄想する楽しみ(大学時代の自分がそうだった)を思い起こすことができる。
森見作品とじぶんのなかに親和性が強いんだろうなぁ。
もちろん今回の作品も彼の文学的力量がみっしりと感じられる。
悩むことが高尚かのような小説にはあまり興味がない。
いやー、ほんまおもしろかったですわ。
コメント
_ juan ― 2007-03-15 23:53
_ asyuu>juanさん ― 2007-03-16 00:20
Blog名変更に伴い、Linkも手直しさせていただきました。
juanさんは恐らく京都で大学生活を送られたんだろうなぁとブログを読みながら推察しておりました。
私は大学は京都ではなかったのでちょっと羨ましいです。
長男が京都の大学に行ったのに、結局彼はあまり京都には興味を持たなかったようです。時代のせいかもしれません。
ではこんごともよろしく。
(juanというお名前の方がステキかなと勝手に思っております)
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_ しんちゃんの買い物帳 - 2007-03-16 17:13
近代文学を森見風に独特の文体でアレンジ。 そして場所は京都の街。
時代も現代で、出てくる人物はやっぱりあの大学の学生たち。
それに一編ごと
では改めて、見守りくださいませ。