「幸福な食卓」を読む ― 2006-07-04 22:07
家族というものは、いったんは壊れていくモノかもしれない。
瀬尾さんのこの小説を読むと、今風の家庭の悲惨さ・問題点がストレートに浮かび上がるわけではない。
中学生の佐和子の家庭は、かならず家族が朝に食卓を囲む。だが、そこには母はいない。
中学教師をしている父は自殺を図り、死ぬことができなかった。母は、そのために精神に変調をきたし、結局家を出て自活している。勉強も運動もよくできた兄は、大学進学を拒み、無農薬農場で働いている。
ある日、父が「父親であることをやめる」と宣言して、中学教師を辞め、大学受験(薬学部)を志す。
兄は、逆に「お兄さんと呼んで」などと急に家族意識に目覚めたりする。
佐和子が中学生から、高校2年になるまでの家族の変化を、柔らかい表現で描いていく。
佐和子と同級生のBF大浦君との別れ(彼の急逝による)の場面は、切なく、そして圧倒的な現実感をもつ表現力だ。瀬尾さんは、ほんとうの哀しみというモノを理解されているのかもしれない。
家族は、それぞれの道を選んでいく。だが、それはいったん壊れたモノから新しいモノを創りだしていくという再生の過程でもある。そのことは、また、佐和子たちの未来をも予感させる。とても余韻のある小説だ。
あまりぐちゃぐちゃした、自意識過剰の小説を読む気分ではないので、この本を読むとほんのりした気分になる。
小説中に出る、いろんな食事の場面も、なかなか秀逸。食べながら、会話していくって、人と人との基本だと私は思っているから。
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