「糞石」と初ラン ― 2018-01-06 20:07
仕事始めで二日働いて、3連休なり。最近、「今年度(3月末)で退職されるけど、寂しくありませんか?」とよく尋ねられる。隠居生活に入ることは1年前に家族の了承も得て決めていたことなので、迷いはない。
組織人としての仕事はモラトリアム世代としての生き方でもあったわけで、もう組織にしがみつく世代でもないだろう。
今日は妻といっしょにママチャリで西宮北口の図書館へでかけた。
池内紀氏のエッセイを数冊借りた。池内氏のエッセイを読んでいると「糞石」という言葉がよく出てくる。
組織人としての仕事はモラトリアム世代としての生き方でもあったわけで、もう組織にしがみつく世代でもないだろう。
今日は妻といっしょにママチャリで西宮北口の図書館へでかけた。
池内紀氏のエッセイを数冊借りた。池内氏のエッセイを読んでいると「糞石」という言葉がよく出てくる。

「「糞石」の詩人によると、一度それが人間の中に入ったが最後、どんなにイキんでも出ないという。そして腹の中で糞石は、だんだん瑪瑙(めのう)のように光っていって、その分、人間はだんだん気分が重くなる。下剤をのんでもダメ、ことばを習ったり、哲学を勉強してもダメ―――」
<…最近の学説によりますと三十歳を過ぎた人は平気でヘラヘラ笑つたりしてゐるが、みんな糞石が詰つてゐて、そのため人間は古くなつてくたびれて、寿命がちぢんでゐるのに笑つてゐる。さうして死ぬまで誰にも見られないところで真珠貝の中に光る真珠のやうに、糞石ばかりがピカピカ輝いてゐる。>
(那珂太郎(なか・たろう)「糞石」)
組織人として長くいると自分のなかに「糞石」みたいなものが沈殿しているのだろう。ましてや私のように凡庸で狭量で短気な性格な人間は、イヤな爺さんになる要素を抱え込んでしまっている。
だから組織人としての自分を卒業しようと思ったし、壮年期と異なり黄昏時期が近づいてきている自分には残りの人生をもう少し伸びやかに生きてみたいと思う。
帰宅後ちょっと読書して、夕方に30分ほどジョギング。コスモス園近くの武庫川河川敷をのんびりと走る。武庫川河川敷は西宮側がランナーも多いけれど、私の住む尼崎側はジョガーはほとんどいない。これはたぶん都市間格差のせいだろう(苦笑
コスモス園の柔らかい草地を周回して、武庫川の地道を走る。夕日と六甲の山並みを眺めながら走る。今日は次男のお古のTシャツ、ウインドブレーカーで走る。やはり軽い。あっというまに汗をかき始めて、30分ちょっとのジョギングなのに、帰宅すると汗びっしょりだ。
走ったあとのストレッチをしてから入浴。
今年の初ラン。5km
サブスリー様の次男も昨年11月に子どもが生まれたけれど、昨年末からランニングを復活させたようだ。子どもの成長を楽しみにしていくには、次男もジイジもお互い元気なほうがよろしいでしょう。
子育てが9割以上プライベート時間を占めるだろうし、趣味は1%程度という生活も続くかもしれない。でも彼らの人生を走って欲しいなと思う。
明日はカーボンバイクで走る予定。
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