Vine Linux4.0で転(こ)ける2006-11-25 10:54

ThinkPad X20にいれてあるVineLinux3.2を4.0にアップデートした。
http://www.vinelinux.org/
VineLinuxは枯れたディストリビューションで、もっとも使っているLinuxだ。

2年ぶりのバージョンアップということでdist-upgradeしたが、みごとにこけました。
死亡までには至っていないがX window systemが起ちあがらない。
ThinkPadのトラックポイントが動かない。外付けマウスも認識しない。
無線LANカードも認識しない。

クリーンインストールするしかないのかなぁ。

嵌るとわかっていて突撃する悪癖はなんとかしないとあかんけど、
頭の体操みたいに問題を解きほぐしていくのもおもしろいかも(苦笑。

こちょこちょいじっていたら一時VineLinux4.0の青空の画面がでたので(トラックポイントは認識せず)、
設定でなんとかなるだろう。

でも、この膨大な時間はなんのため・・・・。

青猫家族輾転録 を読む。2006-11-25 11:37

青猫家族輾転録

冒頭からこう始まる。

「初めに断っておいた方がいいと思うのだけれど、僕は十七歳でも二十歳でも、また今の世の中ではまだ成人前だという説もある三十歳ですらなく、だれも美しいとは言わないし、なりたくてなった人間は滅多にいないという五十歳もうかうかと通り過ぎて、現在五十一歳の男なのである。」

作者の伊井さんは私と同学年。団塊の世代と比較され、三無主義(無気力・無関心・無感動)といわれた世代だ。
主人公の矢島は商社を飛び出し、小さな会社を経営し、そして妻と高校一年の娘がいる。

おじさんの感傷的な、あるいは家族との軋轢を描いた家族小説かというとそうじゃない。

この小説は「教養小説」なんじゃなかろうか。
非行に走った一人娘を論理で説得しようとするところなんか、この世代の特徴を表している。
親会社の怜悧な経営者と共同経営を巡って、かれがいう言葉が青臭い。

物質的、金銭的に自分と家族を守らなくてはならない。自力でね。そのために必要なら金儲けだってやる。だけど、僕は公正で公平な社会がこの世にあり得ると思っていたいんだ。そうでないと、僕の生きる気力は削がれる。」(同書201頁)。

そう、「公正で公平」という言葉を私たちは好きだったのかもしれない。

親会社の経営者のいうように

「公正や公平を大事だと考えるのは、中流の流儀だ。だってさ、上のクラスは、社会から益を吸い取る立場だから、そもそも正義なんかじゃありえない。当然、社会が正しかろうが正しくあるまいが、ほんとうはどっちだっていい。下のクラスは、社会が公正で公平だったところで、どのみち自分たちには益は回って来ない。」(同書200頁)

というのが現実かもしれない。

などと理屈っぽくなるのもこの世代の特徴(苦笑。

団塊の世代である関川夏央さんの初期の小説にある過度な感傷(感傷というのはじぶんの感情に身を任せながらも、でもどこか醒めたところがあるんだ)と較べると、この小説はやはり感傷的ながら教養小説なんだろう。

自分を裏切った友の死、その友の別れた妻との友情、少年の頃出会った虚無を漂わせる叔父さんとの交流、家族のゴタゴタ、会社でのビジネスライクなやりとり。

過去と今、今と過去、それらを巧妙に織り交ぜながらストーリーを展開していく。

はじめて伊井さんの小説を読んだけれど、なかなか私たち世代の特徴を描いているなぁと勝手に思ってしまう。

それにしても五十歳を過ぎたのか。おもえば遠くへ来たもんだ(常套句・・・。


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