「愛と死をみつめて」と青年の孤独 ― 2006-03-18 19:26
本を整理していると、ついつい久しぶりに出会う本たちを読み始め整理が中断してしまう。読んでしまったのは、「本よみの虫干し」(関川夏央 岩波新書)。
今日、TVで「愛と死をみつめて」が放映されるらしい。最近、書籍も新版が発刊されている。「純愛」「泣ける本」人気の影響だろうか。
関川夏央は、この本を紹介する表題にー「幼児化」と「成熟への拒絶」ーという言葉を選択した。大島みち子さんと同い年の河野実さんをこう表現する、「彼女の強さと気高さが感じられる一方で彼の子供っぽさ、軽率さがここでは印象的だ」(同書242頁)。
「愛と死をみつめて」は、1964年中に135万部売れ、同年9月吉永小百合主演で映画化された。1964年は、東京オリンピックが開催され、日本が「もう戦後ではない」と宣言した年だ。
社会学者の見田宗介は「現代社会の心情と論理」(1971年発行)という本の中で、「花と球根」という一題を設け、「みこ」の孤独をすくい取った。見田宗介は、彼女の日記の中にある静謐な、そして絶望的なほどの孤独と、1960年代前半の青年の孤独を重ね合わせたのかもしれない。
もうどのような表現であったか失念したが、「誰にも知られず球根は地中の中でじっと孤独だ、だが地上に花を咲かせる、それは球根の本意でもあったかもしれない」(正確ではありません)というようなことが書かれていたような。「純愛」というカテゴリーに括りきれない「みこ」の孤独を抽出した文章だったという印象がある。
見田宗介も「まこ」の軽率さと「みこ」の深い孤独を対比したのかもしれない。
関川夏央はこう言う、
「高度経済成長下の日本人はたしかに「オリンピックによって人間の身体のもつ美しさを知り、大島みち子によって精神の勁(つよ)さを知った」(井上ひさし)のであり、また「まこ」の「無謀さ」が彼女の記録を世にとどめさせたものであるけれど、戦後日本社会の度しがたい特徴、青年の「幼児化」と「成熟への拒絶」は、早くもここにあわらになっている」(同書243頁)。
そして「愛と死をみつめて」の発行された1963年から6年後の1969年、高野悦子は「二十歳の原点」の元となる日記を残して、自死した。
わずか6年の間で、孤独は「難病」というものを媒介にしなくても、青年を覆い始めたのかもしれない。
いま青年の孤独は、どのように形作られているのだろうか。
おじさんになった今となっては、わからない。
うーん、それにしても、本の整理が進まない一日になったのは確かだ。
岩波書店 (2001/10)
売り上げランキング: 47,014
いたるところに新発見
最近のコメント