石田衣良「フォーティ 翼ふたたび」を読む。 ― 2006-03-02 00:26
一気に読みました。「アキハララ@DEEP」ではサーチェンジを創り出すオタクたちが、「東京DOLL」では天才ゲームクリエイターが、登場した。
今回は、なんとブログが登場する。40歳となり、広告代理店を辞め、フリーランス・プロデューサーとなった吉松喜一(よしまつきいち)が、主人公。彼は、じぶんの仕事を広める手段として、ブログを書き始める。
そして、凋落したIT長者とAV女優の「純愛」、大学時代の同級生だった銀行員の「出世に生きてきた末の結末」、
17歳から引きこもりを始め40歳になった男の悲しみなど、次々と同世代の人々と、遭遇していく。
「人生の半分が終わってしまった。それも、いいほうの半分が。」という40歳。
石田衣良のストーリー展開は、あいかわらずうまい。
今回は東京の街を歩くシーンがたびたび現れる。季節の色や、匂いをうまく切り取っている。
主人公が同世代と出会うことによって、「40歳から始めよう」というイベントを企画し、成功させる。
そこにはいままで出会った彼・彼女らのストーリーが演劇として上演される。
この作品は、大人のおとぎ話なんだろう。でも、へんに深刻ぶった小説よりは、ずっと好ましい。
もっとも印象に残ったのは、23年間引きこもって40歳になった男と主人公が、夜の街を歩くシーン。
彼が、17歳の時に自殺した同級生の現場で泣く場面には、わたしも涙が流れた。
今回の作品、登場人物がよく泣きます。
一方、石田衣良は、オタクとエロチシズムについても描かせるととてもうまい作家だ(今回の、作品にエロチシズムは希薄だけど)。
ファッションも、丁寧に描かれている。
春になったら、すこしおしゃれな上着も買いたくなるような小説ですね。
アサブロ、ご乱心? ― 2006-03-02 01:14
突然のアサブロインフォメーションのコメント欄閉鎖、アサブロ、ご乱心?
大風呂敷を広げ、あれもやります、これもやりますと言った手前、忸怩たる思いでいることは理解できる。
しかし、突然のコメント欄閉鎖とは、殿!ご無体な、としかいいようがない。
いままでコメント欄でコメントしていた人たちも、なにか非常識な、ユーザー至上主義的なことを言っていただろうか。わたしが読む限り、そのような発言はなかったと思う。他のブログサービスのユーザーに比べても、ずいぶん我慢強いとさえ感じた。
今回のアサブロの措置は、「目をつむれば世界は存在しないんだ!」と強弁しているように感じてしまう。
ブログという機能を自ら殺していると言うのは、言いすぎか!?
弱小ブログとはいえ、いままで書きためた記事もあります。ブログ機能を放置するなら、せめてエクスポート機能はつけていただきたい。ビジネスマンである以上、残務整理するのは、会社としての常識ではないでしょうか。
東野圭吾「時生」を読む ― 2006-03-02 23:04
わたしは、ストーリーのある長編小説をあまり好まない。色彩とか匂いとか、感情の流れが、思いもかけない言葉で表現されている短編小説が好きだ。だから、村上春樹の短編集(ベスト1は、「象の消滅」か)を愛読している。
ストーリーがあり、長編小説というと、ミステリー小説が代表かな。
今回、読んだ「時生」は、じぶんからは手に取る小説ではない。友人に「これはおもしろい」と薦められて、読み始めた。
これが、とんでもなくおもしろい。
難病であることを宿命づけられた時生という少年。彼の病が進行し危篤状態となり、父親の回想が始まる。
父親(拓実)の23歳の時に時代は、さかのぼる。拓実は、実の母親に捨てられたという負の遺産を抱えて、自堕落な生活を送っている。仕事にも就かず、恋人千鶴の用意したガードマンの仕事も面接段階で面接官とケンカして反故にしてしまう。そのころ、拓実はトキオという青年と出会う。
トキオは、じつは時を超えて(たぶん危篤状態の時生)が、父親である拓実に会いに来ているのだ。
父親である拓実と、母となる麗子が出会うまでのさまざまな出来事のなかでトキオがキーパーソンとなる。
23歳の拓実は、世をすね、虚勢を張り、短気なあかんたれ(ダメ男という関西弁)だ。
最初、拓実は、トキオに反発する。しかし、恋人の千鶴が、闇の組織にうごめく事件に巻き込まれていくなかで、次第に拓実の出生の秘密が明らかになり、生き方が変わっていくことになる。
千鶴の女友達、その恋人の元ボクサーである黒人、やくざな連中らが登場する大阪でのストーリーの展開はスピーディー。作者の東野圭吾は、大阪府生まれ、大学も地元の大阪府立大学なので、さすがに鶴橋や難波などの大阪の場面を描くのには臨場感がある。
拓実は、トキオを媒介に、次第に自分の生まれてきた意味を悟るようになる。
そして、時生が危篤状態になったとき、拓実は息子である時生(トキオ)と出会う運命であったことに気づくのだ。
ある意味、この小説は、みごとな「輪廻の物語」なのだ。
最後に、拓実がもう息をしない息子時生(トキオ)に、叫ぶ言葉は、「輪廻」へとつながっていく言葉だ。
雑誌「ASAHIパソコン」休刊 ― 2006-03-03 02:26
雑誌「ASAHIパソコン」が休刊となった。1991年6月にパソコンを購入してから、当初はよく読んだ雑誌だ。
1988年11月創刊だから、まだMS-DOSの時代だ。
その後、百花繚乱のようにパソコン雑誌の発刊が続いた。中には、ずいぶんと粗雑な記事で構成された雑誌も多かった。それは自然淘汰されるものだが、やはり現在はパソコン雑誌は、あまり読まれない存在になりつつある。
編集長は、パソコン誌が売れない4つの理由を挙げる。
(1)パソコンのコモディティー(日用品)化が加速し商品として陳腐化した。
(2)インターネットの急速な普及により、一般ユーザーが製品や使い方の情報をすばやく、簡単に、無料で入手できるようになった。
(3)その雑誌の使命を終えた。
(4)出版不況によって、雑誌そのものを読む人が減った。
やはり、いちばん大きな原因は(2)ではないか。編集長も言うように、「Googleに負けた」ということだ。
Net環境の変化(ブロードバンド、Google、ブログなど)の前に、パソコン雑誌をあえて読む必要性がなくなったのではないか。それに、つねに広告媒体との関係を持たなければならない雑誌が、その商品の批判をすることはできない。パソコン本体にしろ、ソフトにしろ、その企業から借り受けたものであろう。
パソコン雑誌がユーザーを啓蒙するという時代は、とっくに過ぎたのだ。
老舗の「月刊アスキー」も最盛時の半分以下の厚さになっている。広告スペースが激減しているのだ。
Netで「無料で」いろんな情報を入手できるというより、ユーザーが独自の使い方を選べるようになったこともあるだろう。Linuxなどは、そもそもはじめから「無料」のOSなのだから。
(1)は、パソコンが家電化したことで、新製品のワクワク感がなくなったという。だが、ひととおりパソコンは行き渡り、ユーザーが成熟化したといえるだろう。わたしのように、新製品にはあまり見向きもせず、Used PC(Note PC)+Linuxという組み合わせで、パソコンを使う者も増えている(たぶん・・・)。
ただ消費をあおるだけの新製品紹介は、もう通用しないのだろう。
ひさしぶりにASAHIパソコンを読むと、「あーっ、昔、こんな学習雑誌読んだなぁ」というような感覚だった。
パソコンをお勉強するという時代は、やはり終焉したのだろう。
ブックカフェーのような「ポプラビーチ」 ― 2006-03-04 12:42
NetでいろんなWebサイトを見るが、ポプラ社のサイトがとても見やすくかっこいい。
「いつか、僕らの途中で」の出版社がポプラ社。で、そのサイトをのぞいてみると、サイトの構成が見やすいんですよねー。サイトの中身も、なかなか通のエッセイが連載されていて、読むのに飽きない。
トップにある「本のある風景」は、センスがよくて更新を楽しみにしている。
毎日更新の「日々短歌」の短歌も、読むのが楽しみ。
エッセイを執筆している人も穂村弘など、旬の人が目白押し。人気作家ということではなくて(失礼)、ふだんじぶんが接しないようなあたらしい感覚をお持ちの方が多い。
良質のブックカフェーを訪れたような気分になります。
そうそう「仕事人」では、映画「ジョゼと虎と魚たち」「メゾン・ド・ヒミコ」の脚本家渡辺あやさんのインタビュー記事も載っていますから、必読ですね。
Webマガジン ポプラビーチ
小回りのきく身体と禁煙 ― 2006-03-04 17:30
関西は、晴天。明日は、戸外遊びの予定。
最近、またまた「禁煙」を考えている。考えずに実践しろ!という非喫煙者のみなさま、ニコチン中毒の底深さをご理解されていないようで。短期間(数週間から数ヶ月)禁煙するのは、比較的簡単なんです。
でも、ほら、「中毒」ですから、意志の強さ・弱さというのはあまり関係ないんですよね。
実は、もう「禁煙」しても、ガン因子は形成されているという医学的な見方もあるようです。
だから、「健康」という観点からは、この歳で禁煙するのは、それほど効果的じゃない。
「酒も飲まず、煙草も吸わず、百まで生きた馬鹿がいる」という都々逸があったと思うけど、
喫煙者はみな、そう思っているんじゃないかな。
でも、しばらく禁煙=吸煙もとい休煙、します。
ひとつは山歩き用の筋肉をすこしつけたいこと。
それから、職場を異動する可能性が高いこと。
最近は、どの職場でも喫煙者に対しては厳しい。まぁ、当然です。煙は臭いし、煙草を吸う時間は仕事してませんモンね。いまの職場は、比較的煙草を吸うことのできる環境にあるけど、新しい職場では、ムツカシイような予感。
だから、いまから禁煙=休煙の準備をします。
身体も赤身(筋肉)より脂身(脂肪)が、多くなったので、下記の本を参考に筋トレもしなくちゃ(すぐ形からはいる・・・)。でも、百歳まで生きるつもりは、さらさらありません。小回りのきく身体を持ちたいだけです。あーっ、ブログに書いちゃった。参ったなぁー、じぶん(喫煙者の弱気::::)
口永良部島(7)薩摩硫黄島 ― 2006-03-05 09:11
朝起き、テラスで薩摩硫黄島を眺めながら、コーヒーをいただく。
煙草を吸いながら、ぼーっと薩摩硫黄島を眺めるのが、朝の日課だった。
いま某件で、もうれつな睡魔が生じている。
昨夜から眠気が生じ始め、いまがピークみたいだ。日曜で休みだったので、
早朝、目が覚めたが惰眠を貪っていた。でも、晴天なので、いまから街に出よう。
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