会いたい人2020-05-02 21:37

2020年4月29日(水)
長男宅で夕食。GWには長男夫婦たちは奥さんの実家鳥取に、例年帰省するけれど今年は移動自粛中なので中止。その代わりだろうか、奥さんのご両親が地元の魚介類をクール宅急便で長男宅に送ってくれたので、ご相伴にあずかることにした。

子供や孫たちとは運命共同体なので、2時間ほど飲んで会食。
刺身、海老は新鮮、松江のしじみ汁も美味、しばし贅沢な時間。

帰宅後、Amazon Videoで「君が踊る、夏」(2010年公開)をじっくりとみる。

高知のロケ地が気になったので調べてみると、高知城・桂浜・はりまや橋と有名なところはさておき、
・主人公たちが通っていた高校=高知小津高校
 (正門が歴史的雰囲気があるんや、知らなかった)

・仁淀川の浅尾沈下橋
(沈下橋は高知には多いが、仁淀川の背景に山が迫っているのがよい風景)

・旧高知市立追手前小学校
(現在地はオーテピアになっている)

・高知競馬場
(旧競馬場に小学生の頃、父に連れて行ってもらった。新競馬場は行ったことがない)

・鏡川の河原
(格好のジョギングコース)

・琴ケ浜野外劇場

(安芸まで土佐らしい砂浜が続く。たぶんいちばん好きな砂浜かもしれない、それほど多くの砂浜を知っているわけではないけど)

など魅力的な場所がロケ地になっているね。

コロナウイルスの影響で今年のよさこい祭りも中止。よさこい祭りは私が生まれた翌年の1954年から開催されているが、当初は年寄りの盆踊りみたいな雰囲気だったが、私が19歳で高知を出てからは、次第に若くてより自由な踊りに発展していき、全国的な人気を獲得したようだ。いずれはよさこい祭りを観覧してみたいなと思いながら50年近く経ってしまった。

移動の自由が広がれば(いつになるんやろ)、とさでんバスはロードバイクを輪行できるので、土佐の街やロケ地もロードバイクで走ってみたいな。とさでんバスは現在は全面運休となっているけど。

火野正平の「こころ旅」、そして「グレートトラバース300名山」も現在は順延となっている(番組はストック分が放映されるようだ)。

4月30日(木)

友人と猪名川ウォーキング。クロモリロードで待ち合わせ場所の川西能勢口まで出て、ロードバイクを押し歩きながら、猪名川左岸を園田まで南下。

友人は再雇用で働いているが、有給をとってくれて久しぶりに会う。
二人とはいえソーシャルディスタンスを確保して、河川敷や公園でサンドウィッチなどをほおばりながら世間話。「互いにより爺さんになって、あのときコロナウイルスのため定番の居酒屋昼飲みができなかったなと昔話しようや」と話す。

生き延びて、老化で死んでいくのが順当な世界になってほしいね。
そして会いたい人には、風の通り抜ける場所で会う機会も作っていったほうがよいだろうね。人は無造作に別れるけど、それが永遠の別れとなることも多いから。

5月1日(金)
風薫る五月。ジョギング&ウォーキングでドンキ伊丹店まで。
UMPCのNANOTEの実機を見てみたいなと訪れたが、ドンキってぐちゃぐちゃした店内構成なんや、平日なのに比較的客も多く、こんな時期だからかなり三密に緊張する。

通りかかった店員さんに確認するとNANOTEは箱のみで陳列されており、残り1台しか在庫がないとのこと。買おうかどうか逡巡したが、「Linuxを動かすことを達成したら、使い勝手が悪いので、結局文鎮化するな」と理性が働いて購入を見合わせた。

現在、ガジェットとして日々利用しているのは、Ubuntu Gnome 16.04 on ThinkPad X220,HP Proslate8,そしてスマホと3台のみだし、古いThinkPadがゴロゴロと数台転がっている状態だ。


帰宅後、Xubuntu 16.04 on ASUSU X205TAに電源を入れると起動しない。
昨年3月の高知旅行に持参して以来、長らく使っていなかったのでバッテリーが放電していたようだ。充電して、Update。X205TAは960gと軽量で、バッテリーも10時間ほどもつ。キーボードもそこそこ打ちやすいので、携帯用にはこれで十分かな。

ポメラDM100もX205TAも常用していないので、玩具を増やすのは余生を考えると意味がないかもしれない(苦笑

「ubuntu-support-status」コマンドでチェックするとX220,X205TAとも来年の2021年4月までサポート期間がある。しばらくはこのままの状態でよいだろう。

初夏のような天気、新緑も綺麗になっていく季節だ、緊急事態宣言は延長されてしまうが。

5月2日(土)
飽きることなく今日も武庫川左岸をジョギング&ウォーキング。
甲武橋から宝塚方面に北上するが、このあたりは道が不規則なこともあり、歩いている人などが下流方面より少ない。

初夏めいて、ハーフパンツ・半袖Tシャツでジョギングする。気持ちいいね。

木蔭で休憩していると、テントウムシがハーフパンツに止まる。

長男夫婦の子ども達も、自宅のベランダで水遊びして楽しむ天気だったね。

帰宅後、シャワーを浴びてトレイルランの本を読む。

NANOTEの誘惑に勝ったので、バックパックを新調してもいいかな(爆



冷たい水の中をきみと歩いていく2020-04-28 21:27

昨日はクロモリロードで、義母宅にマスクを届けて、調子の悪いという電話機の子機をチェック。電話の子機はバッテリー部分の接触が悪かったようだ、問題なく動く。我が家の在庫のマスクをいくつかを渡した。マスク不足は十分に承知しているので、長男の奥さんが勤めている医院がマスクを購入するとのことなので、それに便乗させてもらい購入し、ネットでも比較的マシそうなサイトでマスクを注文している。

ほとんど人的接触はない隠居生活だが、外出するとマスクをしていないと非国民みたいな厭な雰囲気だ。帰宅後のうがい・手洗いが効果があるような気もするけどね。

マスクは咳エチケットなんやろね。

義母宅を辞して、クロモリロードで街ぶら。自粛!自粛!!と相互監視と他罰的な傾向がある空気感、ロードバイクで能勢(大阪です)の峠などで落車して救急車など呼んだら「自粛中なのに越境して勝手に事故ってけしからん!」などと言われるんやろか。

ほとんどの人は最後は情けなくだらしなく、病や老いで死んでいく、他罰的な人はいつまでも生きる自分を妄想しているのだろうか、ようわからん。

本を2冊購入。


継続して読んでいるコミックの新刊。


いまの空気感が形成される前に発刊された本だけど、他罰性はどこから来るのかを考える上で示唆に富むね。いずれにしても卑しい生き方はしたくないな、せっかく60年以上生きて、いまのところ身体性を維持している甲斐がない。

今日も午後から武庫川河川敷を例によって10kmほどジョグ&ウォーキング。

河川敷のバスケットコートで、中学生や高校生らしい若者がバスケに興じている。その姿を見るのがけっこう好きだ、ばかばかしいほど元気なのが当然に眩しい。

昨夜は、早めにベッドに入り、眠る前に谷山浩子・N.S.P・大瀧詠一の音楽を聴いていた。
「冷たい水の中をきみと歩いていく」の唄など聴いていると、夜の闇とあいまって、これが詩だね、孤独への親和性。

閑話休題

ドンキから「NANOTE」なるUMPC(超小型ノートパソコン)が5月1日から発売されるそうな。構成をみるとCPUは今更ながらのIntel Atom Z8350,そしてメモリ:4GB,ストレージ:eMMC 64GBとなるとWindows10をやっとこさ動かすことができて、マルチタスク作業は鈍重になるやろうね。ただ税別19,800円(税込21,780円)と廉価なので玩具としては面白いかも。

コロナウイルスで消費をほとんどしていないので、この2ヶ月の小遣い未消費分としても十分買うことはできるかな。ただ好事家がLinuxなどインストールしてLinuxマシーンとして活用報告してくれるまで、待つのもありかなっていう気もする(他力本願)。




長びく2020-04-25 23:27

なんやら新しい英語メッセージばかり発表されるね。なんで日本語やとあかんのやろ。

自粛態勢は、長びく雰囲気になってきた。長男夫婦も以前は毎週末には孫を連れて我が家で食事していたが、私たちに感染させないように来宅を自粛。もし長男夫婦たちがウイルスに感染したら、孫の子守に出動しなければならない状況も生じるので、確率論的には正しい選択かもしれない。

午後からは10kmほど武庫川河川敷をジョグ&ウォーキングしている。サイクリストもランナーもマスクやスカーフをしている人が増えてきた。


Mi Smart Band 4を入浴時・充電時以外は装着する生活が2ヶ月経過したが、不具合もなく軽くて装着感がなくて、トラッカーとしてはとても優れている。
2ヶ月前、体重が67.5kgあったが、現在は65.4kg。2年前に隠居生活に入り、禁煙して仕事もしないと一挙に体重が70kgを越えた。

隠居2年目くらいに、朝・夜の一日二食生活に移行、そして自粛生活でランやウォーキングの途中に銭湯で入浴して立ち飲みで飲むという生活が無くなったら、身体は絞られてきた感がする。



ロードバイクにガッツリと乗ることを控えているので、この本を読みながら、以前走ったコースを脳内で再現している。

昨夜はBSで放映された「呑み鉄本線・日本旅」第20弾/京都丹後鉄道を、日本酒を飲みながら観た。友人らとの伊根旅行を思い出したね。



旅行も、飲むことも、文化を楽しむことも不要不急といえばそうなるだろうけど、私の人生はなべて不要不急ともいえる。

いまは淡々とジョギングなどしながら(武庫川左岸河川敷は風も吹いて、人は少ない)、しばらく事の推移を見ていくしかないかな。昨日は妻と自転車で宝塚方面に向かい、小浜周辺をジョギング。静かな宿場町だ。




いわし坂を下りると、街中とはとても思えない渓谷めいた大川の流れが現れる。

小さな花もめでる、そんな生活。



はじめての町2020-04-20 21:54

人生100年時代だとか、「孤独のすすめ」とかが遠い昔の戯れ言のように感じられるような、なにか鬱屈した雰囲気が漂っている。

今日は午前中は長男宅に出向いて、孫と小一時間遊ぶ。長男の奥さんが通院したいが、このご時世、子ども達を一緒に連れて行くことができないのでLINEを通じて助力の相談があったので、すぐにママチャリで応援に行った。

私たちも保育所に息子たちを預けてフルで働いてきたので、助力することにやぶさかではない。でも長男夫婦も高齢者である私たちにコロナウイルスを感染させることを危惧して、以前よりは交流は少なくなっている(現在はすべて自分も保菌者であるかもしれないという距離の取り方が必要な段階だろう)。

今週は長男の奥さんも有給を何日か入れており、長男も在宅勤務が難しい職種とはいえ、会社がコロナ対策として特別有給を認めたようで、週一日はその特別休暇を取得する予定とのこと。

私たちは人的接触が少ないので、息子たち夫婦が疲れ切って免疫力低下することをかえって危惧している。できる範囲で助力は必要だろうね。

平日はソーシャルディスタンスを十分とりながら、武庫川河川敷などを10kmほどジョグ&ウォーキングしているが、人が近づくとジョグを止めてウォーキングにして息を吐かないようにしている・・・

神経症的だが、それくらいするほうが互いにストレスが生じないかもしれない。

TVの下品で扇情的なワイドショー・情報番組を見てもしかたないので、読書したり、スポーツ系の録画番組を見たりする。NHK・BS1で放送された「高知龍馬マラソン」の特集がとても魅力的で、私でも走ってみたくなるほどだった。


京都新聞Web版で「黒田百年桜」がほぼ満開になったことを知る。
なんどかロードバイクでこの百年桜の前を通っているが、開花した桜に出会ったことがない。今年の桜は人に見られることも少なく、ひっそりとその花を山里で満開にさせていたのだろう。






若かったのでロング走ることができたな。

茨木のり子さんの詩「はじめての町」を読む。
いまコロナウイルスで私たちは移動の自由が制約されている。そしてそれがいつまで続くか現時点では不明だ。

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はじめての町  / 茨木のり子 

はじめての町に入ってゆくとき
わたしの心はかすかにときめく
そば屋があって
寿司屋があって
デニムのズボンがぶらさがり
砂ぼこりがあって
自転車がのりすてられてあって
変りばえしない町
それでもわたしは十分ときめく


見なれぬ山が迫っていて
見なれぬ川が流れていて
いくつかの伝説が眠っている
わたしはすぐに見つけてしまう
その町のほくろを
その町の秘密を
その町の悲鳴を


はじめての町に入ってゆくとき
わたしはポケットに手を入れて
風来坊のように歩く
たとえ用事でやってきてもさ


お天気の日なら
町の空には
きれいないろの淡い風船が漂う
その町の人たちは気づかないけれど

はじめてやってきたわたしにはよく見える
なぜって あれは
その町に生まれ その町に育ち けれど
遠くで死ななければならなかった者たちの
魂なのだ
そそくさと流れていったのは
遠くに嫁いだ女のひとりが
ふるさとをなつかしむあまり
遊びにやってきたのだ
魂だけでうかうかと


そうしてわたしは好きになる
日本のささやかな町たちを
水のきれいな町 ちゃちな町
とろろ汁のおいしい町 がんこな町

雪深い町 菜の花にかこまれた町
目をつりあげた町 海のみえる町
男どものいばる町 女たちのはりきる町

― 茨木のり子詩集 落ちこぼれ (理論社)
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コロナウイルス後の世界は、私たちのライフスタイルを変えざるを得ないだろう。
それが強圧的で排他的な世界ではなく、共生としての世界であることを、そして未来の子ども達にとって生きやすい世界であることを希求するのみだ。



ウォーキングと缶ビール2020-04-17 22:31

今日はジムが休みのため運動不足になっている妻と武庫川河川敷をウォーキング。

持参したツマミを食べながら、缶ビールを飲んだ。
本来ならば、立ち飲みで平日昼間からビールや日本酒をちょっと飲むのが隠居の楽しみだったが、さすがにこのご時世、リスキーなことはできない。

とはいえジョグ&ウォーキングの途中、何度か訪れた立ち飲みを外からのぞいてみると、常連さんらしいオヤジ達でそれなりに賑わっている。店にとってはありがたい存在だろうが、狭い角打ちで飲むのはやはり自制せざるを得ないだろうね。

グローバリズムや欲望資本主義を肥大化させてきた平成時代を経て、少子高齢化で人に優しくない社会作りに邁進してきた最近の日本は、オリンピック終了後の「祭りの後の寂しさ」を迎える予想より早く、コロナ後の世界をどのように生きるのかという分岐点を迎えたのかもしれないな。

凡庸な私にはその解決策をとてもながら鳥瞰できないけれど、生き延びて普通に老人として死んでいきたいと望んでいる。

昨日は長男や次男にLINEで仕事の様子などを尋ねた。なかなか在宅勤務をすることのできない職種だが、有給や時差出勤で対応しているようだ。

息子たちや友人らもキチンと生き延びて、そして当然ながら私と同様の普通の人々が生き延びて、コロナ後の世界を俯瞰できる市民として成熟できればいいかなと思う。

葉桜ジョギング2020-04-16 21:46

最近は武庫川河川敷を毎日10kmほどジョグ&ウォーク
ロードバイクに乗るのはすこし消極的だ、事故って医療機関のリソースを使わせるのはちょっとね。

保育所も特別保育(保護者の職種や勤務状況などを申告してもらい、受け入れ対象を限定)に移行している自治体が多くなってきている。長男夫婦・次男夫婦も奥さんが医療関係の仕事に従事しているし、息子たちも在宅勤務ができない職種、おそらく特別保育となっても例外に該当するだろう。

でもいざというときにはジジ・ババが助力することになるかもしれないね。公園などでは孫の子守をしている、私たちと同様の老夫婦がそこそこ見うけられる。

孫と遊ぶと4歳の孫(長男夫婦の男の子)が口癖のように「バアバはいつ死ぬの?」と無邪気に妻に聞くので、妻がちょっと戸惑っている。

「つーくん(孫)が結婚する頃かな?」と答えていたらいいんじゃないのと私は妻に話しているけれどね、孫にとっては当然ながら死というのは抽象的で茫漠としたもの。

コロナウイルスで世情がトゲトゲしいが、みないつかは死んでしまう、それが明日かもしれないけれどそれにとらわれすぎると今日という日を生きることはできない。もちろん老人になると孫と異なり、死は近しいものに次第になっていくのだろうけれど、平凡な日々を慈しむことがより大切じゃないかな。


山田風太郎の「人間臨終図巻3」を読む。65歳〜76歳迄に亡くなった古今東西の著名人が対象。ちょうど私が生き、死ぬかもしれない年齢なので、興味深い。ほとんどの人は情けなく死んでいくが、それが動物としての宿命だろう、人生100年時代は妄言にすぎない。

コロナ関連で鬱屈した気分になるので雑誌も読む。


この本は電子書籍としてダウンロード。

この歩く旅はとても参考になるね。
十津川バスでの運転手さんとの会話が素敵、犬連れなのに他の乗客の同意を得て路線バスなのに犬と一緒に乗車できる場面など、ギスギスしていない十津川村の雰囲気が良く伝わってくる。

また十津川へも旅行したいな。

今日は武庫川左岸を宝塚方面へとジョグ&ウォーキング。往復16kmほど。

小さな花や

葉桜のほうが好きかもしれない。




友人とSNS2020-04-14 22:44


家の近くに武庫川が流れていてよかったな。川は洪水などの災害をもたらすこともあるけれど、風が吹き抜ける地形はやはり気持がよい。

毎日午後から10kmほどジョグ&ウォーキング(ウォーキングのほうが中心だが)をしている。ロードバイクにしろジョグにしろ、クイクイとお尻を動すので腸が動くのだろうか、お通じが好くなる。快食・快眠・快便、そして身体に痛みがないというのはとても贅沢なこと、そのためには閉じこもりっぱなしではかえって健康には悪い。

でもこんなご時世、武庫川の河川敷は広くて風が通り抜けて、ありがたい場所となっている。

昨日は雨の中、傘をさしてトレイルランシューズでウォーキング。
名残の桜。

そして雨の公園には誰もいない。


今日は北風が強いながらも、快晴。

昨日の花散らしの雨にも耐えたようだ。

これから満開を迎える花もある。
よく見ると、蝶ではなく蛾が花の蜜を吸っている。



足下のタンポポ。

みな余裕がないのだろう、スーパーのレジでイライラしたおじさんが店員に苦情を言っていたと買い物帰りの妻が言う。街はマスク姿で溢れている、なにか既視感があるなと思ったら、阪神淡路大震災後の神戸の街がマスク姿で溢れていたな(その後、倒壊したビルや家屋の撤去が始まり粉塵がひどかった)。

阪神淡路大震災はインフラ(水・鉄道)が壊滅的打撃を受けたので、考えてみると現在の情況よりは危機的だったけれど、コロナウイルスは見えなくて、かつ先行きがより不透明なのでじわじわした不安感があるんだろうな。

元来、非社交的とはいえ、定期的に会っている友人たちと、飲んで食事して、バカ話をするという時間が喪われているのは、思った以上に空虚感があるんだと気づいた。

だからSNSなどでときおり、くどくならない程度にお互いの近況などを連絡しあうのもいいだろうね。

震災時にはいまのようなスマホは存在しなかったので、SNSは家族や友人を結びつけるツールとしては(くだらぬデマ情報を除いて)役立つものだろう。

今日も友人らとLine・メールなどで近況を語り合う。
どっかでリモートワークで自宅内飲み会ができればいいけどね。



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