梅雨明けの夜、薪能を観る。 ― 2006-07-26 23:38
関西地方は、梅雨明けしたようだ。仕事を終えて、職場を出ると夕方なのに陽が強い。
今日は、尼崎・富松(とまつ)神社の薪能を見にいく。
仕事を終えてからなので、7時過ぎに到着するとすでに能の演目は始まっている。
小鍛冶(こかぢ)という能が演じられている。
能の世界に精通はしていないが、夏の夕べ、彼我の世界を感じる。夢でもない、現(うつつ)でもない不思議な感覚。
映画「博士の愛した数式」で、博士と兄嫁(二人には恋愛感情があったことが推測される)が能を見ながら手を重ね合わす場面がある。原作の小説にはない場面だが、彼我の世界を象徴しているシーンだと感じた。
男女の愛は、夢でもない、現でもないかもしれないのだ。
紺青の夜空、燃える薪から落ちる火の粉。なんか官能的ですね。
次回の古典芸能は、文楽「曽根崎心中」を見にいく予定。
今日は、尼崎・富松(とまつ)神社の薪能を見にいく。
仕事を終えてからなので、7時過ぎに到着するとすでに能の演目は始まっている。
小鍛冶(こかぢ)という能が演じられている。
能の世界に精通はしていないが、夏の夕べ、彼我の世界を感じる。夢でもない、現(うつつ)でもない不思議な感覚。
映画「博士の愛した数式」で、博士と兄嫁(二人には恋愛感情があったことが推測される)が能を見ながら手を重ね合わす場面がある。原作の小説にはない場面だが、彼我の世界を象徴しているシーンだと感じた。
男女の愛は、夢でもない、現でもないかもしれないのだ。
紺青の夜空、燃える薪から落ちる火の粉。なんか官能的ですね。
次回の古典芸能は、文楽「曽根崎心中」を見にいく予定。
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