大きな字 ― 2020-07-03 22:36
孫守のヘルプと気分転換のロードバイク。
2020年6月30日(火)
神戸市に大雨洪水警報や暴風警報が出る荒天。長男が急遽、東京に出張に行ったので、5時過ぎに孫たちの保育所迎えに行く。迎えの時には、幸いなことに雨が止み、孫1号を私が自転車に乗せ、妻が孫2号を抱っこして帰る。
すぐに食事。孫2号は最近、ミニトマトがお気に入りで、食欲旺盛。妻が二人を入浴させた頃、長男の奥さんが仕事から帰宅。
孫1号は長男の奥さんと寝室に行き、孫2号は最近は寝るのが遅いとのことで私たちとしばし遊ぶ。犬の玩具を抱いて、孫2号は9時20分頃、就寝。
長男の奥さんが孫1号を寝かせたので、長男宅を辞する。
7月1日(水)
長男は東京滞在。朝6時半過ぎに長男宅に行き、仕事で早出の長男の奥さんを見送って、妻とともに孫二人を保育所まで連れて行く。孫2号が別れ際、すこし泣く。私たちの息子二人も保育所育ちなので、すぐに機嫌を直して保育所で彼らも遊ぶだろう。
午後、7kmほどジョギング。
夕方、孫たちの保育所迎え。長男の奥さんが午後6時半頃、仕事から帰宅。
まもなく5歳と2歳の孫二人、無駄に走り回るのが特徴の男子(息子たちもそうだった)、そして荒っぽくこちらにパンチとか蹴りを入れてくるので、ジイさんは加減が解らず四苦八苦する(苦笑
午後9時前に、長男が東京出張から帰宅。長男夫婦ともかなり疲れている。
午後9時20分頃、孫2号は例によって犬の玩具を抱っこしながら寝る。
長男宅を辞する。
2020年6月30日(火)
神戸市に大雨洪水警報や暴風警報が出る荒天。長男が急遽、東京に出張に行ったので、5時過ぎに孫たちの保育所迎えに行く。迎えの時には、幸いなことに雨が止み、孫1号を私が自転車に乗せ、妻が孫2号を抱っこして帰る。
すぐに食事。孫2号は最近、ミニトマトがお気に入りで、食欲旺盛。妻が二人を入浴させた頃、長男の奥さんが仕事から帰宅。
孫1号は長男の奥さんと寝室に行き、孫2号は最近は寝るのが遅いとのことで私たちとしばし遊ぶ。犬の玩具を抱いて、孫2号は9時20分頃、就寝。
長男の奥さんが孫1号を寝かせたので、長男宅を辞する。
7月1日(水)
長男は東京滞在。朝6時半過ぎに長男宅に行き、仕事で早出の長男の奥さんを見送って、妻とともに孫二人を保育所まで連れて行く。孫2号が別れ際、すこし泣く。私たちの息子二人も保育所育ちなので、すぐに機嫌を直して保育所で彼らも遊ぶだろう。
午後、7kmほどジョギング。
夕方、孫たちの保育所迎え。長男の奥さんが午後6時半頃、仕事から帰宅。
まもなく5歳と2歳の孫二人、無駄に走り回るのが特徴の男子(息子たちもそうだった)、そして荒っぽくこちらにパンチとか蹴りを入れてくるので、ジイさんは加減が解らず四苦八苦する(苦笑
午後9時前に、長男が東京出張から帰宅。長男夫婦ともかなり疲れている。
午後9時20分頃、孫2号は例によって犬の玩具を抱っこしながら寝る。
長男宅を辞する。

縦走すると一泊二日のコースといえようか、シクロクロスだと何とか一日で走破できそうな気もする。
7月2日(木)
梅雨の中休み。曇天で気温も30度を越えないようだ。昼前にカーボンバイクで軽く走ってこようと発進。
猪名川ー県道12号線と北上。ゴルフ橋の工事が終わったようで、畦野方面へ抜けることができる。久しぶりに一庫ダム周遊道路を走る。龍化吊り橋の通行止めは、あいかわらずのようだ。
千軒からゆるい坂道を上って民田集落へ。台風のため法面が崩れて、1年半ほど通行止めだったようだ。
7月2日(木)
梅雨の中休み。曇天で気温も30度を越えないようだ。昼前にカーボンバイクで軽く走ってこようと発進。
猪名川ー県道12号線と北上。ゴルフ橋の工事が終わったようで、畦野方面へ抜けることができる。久しぶりに一庫ダム周遊道路を走る。龍化吊り橋の通行止めは、あいかわらずのようだ。
千軒からゆるい坂道を上って民田集落へ。台風のため法面が崩れて、1年半ほど通行止めだったようだ。
あいかわらず隠れ里のような雰囲気。
上阿古谷からの道(短いが傾斜のキツい坂だ)も昔は裏山道しかなくて、東へ抜ける千軒方面の道が主交通路で、ほとんどの家が能勢の女性を妻に迎えていたとのこと。
民田八幡神社入り口にて。
上阿古谷からの道(短いが傾斜のキツい坂だ)も昔は裏山道しかなくて、東へ抜ける千軒方面の道が主交通路で、ほとんどの家が能勢の女性を妻に迎えていたとのこと。
猪名川町 三矢の儀式 令和二年、困難を乗り越えて3年ぶりに...
民田八幡神社入り口にて。
丹州街道の説明板の文字が薄れて読みにくくなっていたが、補修されている。
いっきに上阿古谷まで下り、阿古谷集落を経て、帰路の道につく。民田ではちょっと肌寒いかなと思ったが、雲が取り払われると日差しがきつくなり、やはり暑い。
午後4時過ぎに帰宅。62km
7月3日(金)
雨。ウォーキングがてら伊丹市図書館へ。借りていた本を返却して、何冊か本を借りる。喫茶店で読書。
著者の体調が悪かったせいもあるかもしれないが、なにか寂寥感が漂う静かな文章。
2014年に息子さんを事故死で亡くしているのも陰を落としているかもしれない。
人生で子供に先立たれるほど痛ましいことはないだろうから。
「私は何年も文芸評論を書いてきた。そうでないばあいも、だいたいは、書いたのは、メンドーなことがら、こみいった問題をめぐるものが多い。そのほうがよいと思って書いてきたのではない。だんだん、鍋の料理が煮詰まってくるように、意味が濃くなってきたのである。
それが、字が小さいことと、関係があった気がする。
簡単に一つのことだけを書く文章とはどういうものだったか。それを私は思い出そうとしている。
私は誰か。何が、その問いの答えなのか。
大きな字で書いてみると、何が書けるか。」(同書7−8頁)
著者の文芸評論を何冊か過去に読んだはずだが、印象が薄い。もちろん私の頭脳が明晰でないことが原因だろうが、「小さな字」を読むことに次第に倦んでいたこともあるだろう。若い頃は、稚拙とはいえ大きな伸びやかな字を書いていたのに、組織人として組織言語を読んだり、書いたりしていると、どんどん字も萎縮していったような気がする。
もちろんそれは私の狭量さにもよる。
いまはPCで文章を書くので、自分の字を眺めることが少ない。「大きな字」の余生を過ごしたいものだ。
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