中年の本棚2020-08-02 21:48

昨日は孫2号を午前8時半から午後5時半まで預かる。
妻が長男夫婦にLINEで送信した孫守内容。

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朝1時間ほど公園で遊び
帰宅後、バナナと牛乳
昼前に寝るかと思いましたが、今日は眠らず
お昼ご飯は、じゃこ卵うどん、ミニトマト、味噌汁の豆腐です
ウンチ(固くなかった)をした後、12時15分頃から昼寝
3時半に起きて、スイカを食べました
4時過ぎにお風呂に入って
4時半頃、おやつ置き場を物色し始めたため、卵ボーロを食べました
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子供は3歳までに一生分の親孝行をしているというが、孫2号(1歳10ヶ月)も育てやすい男の子で、昨日も終始ご機嫌さん。


孫と昼寝しながら、コミックと荻原魚雷氏の新刊を読了。


荻原氏の新刊はお布施の意味もこめて、西北のジュンク堂にてDポイントで購入。レジで支払を終えると、すぐにMi Smart Band 4にDポイントの支払明細通知の振動がある。ある意味、すごい時代やね。

荻原氏が43歳から50歳まで連載した「中年の本棚」。

私はまもなく67歳になるが、自分が老人となって

・20歳から39歳までは青年
・40歳から59歳までは中年
・60歳以上から老年の始まりと

ざっくり区別できるのではないかと勝手に思っている。

カクッと体力が落ちるのが、60歳以降だった(57歳の頃はフルタイムで仕事しながら、毎月1000km、ロードバイクで走っていた。)。そして老いは平等に皆に訪れる。

昔、このブログでこんなことを書いているな。


まだまだこの頃は気負いがありますね(苦笑

荻原氏の本は読書案内にもなっているので、今日はクロモリロードで図書館巡り。

何冊か借りる。

7月末で梅雨明けしたとたんに、なかなか暑い。熱風のなか、クロモリロードで走ると、汗をタップリかく。



いい自転車と土佐史談2020-08-03 21:22

起床後、DマガジンでBRUTUS(ブルータス) 2020年8/15号No.921[いい自転車。] を読む。

e-Bikeというのも古稀になれば有りという感もするね。

カルチャーとしての自転車という切り口もあるので、それなりに楽しめる構成。

パラパラと読んで、スマホで天気予報を眺めると、午後2時くらいまでは曇り空で酷暑ではない模様。今日は長男夫婦も孫2号の乳児健診のため仕事は休みなので、孫守の心配もない、ということで午前10時半過ぎにカーボンバイクで発進。

クロモリロードは街乗り用なので、ラフなスタイルだが、カーボンバイクは走り専用なのでサイクルウェアーでガチスタイル。

猪名川堤防道路から県道12号線を北上。道の駅いながわでトイレ休憩して、歴史街道をのんびり走る。

緑陰だと暑さがやわらぐ。

稲も順調に成長しているようだ。

楊津から槻並へと抜ける。気持ちのよいダウンロード。

それでも次第に身体が熱をもち始めて、休憩が多くなる。

槻並から阿古谷へと小さな切り通しを越えて、南下し始めると、太陽が照りつけ始め、ヘルメットから汗がしたたり落ちる。

午後3時頃、帰宅。走行距離62km

速攻、風呂を沸かして入浴。ビールを飲む。


昔は夏男でこんな走りをしていたが、さすがにもう無理やね(苦笑





帰宅するとポストに「日本の古本屋」にてNet注文していた本が到着していた。


土佐史談会が発行している機関誌だが、「土佐の歴史街道をゆく」特集号なので、注文していた。いつかは辿りたい野根山街道や、土佐藩の参勤交代と北山道、朽木越え・脱藩の道、松尾越え・宿毛街道など、土佐の主要な街道が紹介されている。

読むのが楽しみ。老年になると生まれ育った故郷が気になるものかもしれない。ただ何度も申し上げているように、ローカルでそれなりに生活するには「地縁・血縁、お金」が必要だ。ただそれは、ウカウカと阪神間で生きてきた自分の言い訳かもしれない。

ローカルでキチンと生きる人々は、黙々と土地へ尽くしてきたのだ、おそらく。
里山が美しいのは、そこに住む人々の手入れがあったからこそのように。

はやく野根山街道に旅行できるようになりたいものだ。



夏に読む本2020-08-05 23:11

昨日は10kmほどジョグ&ウォーキング。猛暑でやはりバテるので、緑陰で読書。

「村上T」を読了。インタビュアーの野村訓市氏の名前をどこかで読んだなと思ったら、BRUTUSの「いい自転車」でも「BMXの強烈な洗礼。------野村訓市」で紹介されている。
才人でBMXとの親和性があるんだろうな。

今日はクロモリロードでポタリング。

夏に読む本というものがあるだろう。

「水平線の見える丘の上に住み始めた理由」で永井宏氏は文末でこう書く。

「随分いろいろな人に迷惑を掛けたし、お世話にもなったし、面倒にも巻き込んだ。ちょっと卑怯なのだけれど、そんなことは奥に仕舞い込んで、せっせと夢を描く。自分の小さな頭の小さな世界は、勝負などしたくてもよいところで、毎日の惰眠の中に遊び、ヘラヘラと笑い、また隠れてもいる。」

永井氏はこの5年後、59歳で亡くなっている。十分に若い逝去だろう。私は隠居生活3年目の夏、「自分の小さな頭の小さな世界」がそれなりに愛おしく感じる。

縮んだ世界になりつつある。この本を読んでいると、海外旅行のいくつかのシーンを思い出した。

フランスのスーパーで地元の人たちが焼きたてのフランスパンを次々と買っているので、私たちもフランスパンとワインを買って、ホテルで味わった。

台北の居酒屋では、個室では若い男女のグループが合コンみたいなものをしていて、円卓ではおじさんたちが楽しそうにサイコロ遊びに興じながら、お酒を飲んでいる。私たちも料理を頼んでよく飲んだ。

友人らと海外旅行にいくと、かならず地元のスーパーに立ち寄る。ホテルでの部屋飲みの飲食物の購入のためだ。スーパーなので安いし、その街の雰囲気が味わえるのも楽しい。

ヴェネツィアでは迷いそうな路地を皆で歩いて、お目当ての店を探し当てたりした。

「ロマンティックに生きよう」と思うことは、老年にはより必要になるかもしれないね。



夏本番2020-08-10 22:24

夏本番。8月生まれなので、やはり8月の季節は好きやね。

8月を疎むようになったら、心身のバッテリーが切れかかっているので、それなりに寿命ということになろうか(苦笑

とはいえロング走ることはさすがにできなくなっていて、クロモリロードで20kmほどポタリングして公園の緑陰で読書したりする毎日。

緑陰や自宅で読んだ本。

・山の家は虫が多い。
・厳冬でない土地とはいえ雪対策や寒さ対策はたいへん。
・車がないとやはり長期間は住めない。
・田舎暮らしは過疎地ではなく、別荘地がベスト
といったところか。

イラストもすてき。


かたや海の家に住んだ人の散文集。

夏の日にフラッと海辺にジョギングに出かける生活なんていいだろうな。
街中は暑くて、先日は孫守で1日疲れた夜、早めにねて午前5時起床。8kmほどジョギング。西国街道で気づいた案内板。


サバイバル登山家の奥さんのエッセイ。
田舎暮らし家族や冒険家の子息は、けっこう都会暮らしや平凡な生活を選択することが多いけれど、サバイバル登山家の子ども達も自分の人生を選択していくのはたいへんだろうな。

でも親を嫌ってなければすべてよし、たぶん。

今日もクロモリロードで33kmほどポタリング。



栗村氏のロード本。
アスリートとしての基礎体力がないと話にはならないという当たり前のことか。
ロードバイクは身体を固定させるので、ある程度「乗りこなした気分」になれるということも事実。たとえば球技にしても陸上競技にしても、身体をいかに使いこなすかがアスリートとしての課題になるだろう。

アマチュアとはいえ、なんちゃってロードレーサーが(そしてそういう人は蘊蓄も多い)増えすぎているような気もするな。

もちろん私は老人なので、ロードレーサーなど望むべくもなく、落車しない、身体性をすこし解放する手段としてロードバイクに乗っていくことになるだろう。

そんなことを考えるロードバイク14年目の夏。

公園でかわいい彫刻に出会った。

長男夫婦の孫たちの愛くるしさと共通するものがある。



夏の匂いと風2020-08-13 21:40

Amazon kindle Unlimitedでアウトドア雑誌/Fielder(フィールダー)のバックナンバーをひたすら読んでいた。

サバイバル登山・藪山・自給自足、酷道など興味のある分野なれど、読み続けるとそれだけでお腹いっぱいになった。

おもろいけど、残念ながらもう心身がついていかない(苦笑

今日は曇天、ときおり通り雨という天気予報、暑さも35度以上にはなるまいと予測して午前11時過ぎにカーボンバイクで発進。

紫合から道の駅方面に向かうと、路面がけっこう濡れている。強い驟雨が通り過ぎたようだ。

道の駅いながわから歴史街道に入る。

楊津の田園地帯。

意識的にダンシングで上って、くろまんぷを抜ける。トンネル上の夏の雑木林を眺める。



大島のであい公園で休憩。ここまで猪名川の浅瀬では、水遊びをしている家族連れが多いな。

帰路は太陽が照りつけるようになり、かなり暑い。走っていると、涼しい空気と暑くて重い空気が、場所によっては交互にあらわれる。これが夏の空気、そしてそこでは夏の匂いも違うような気がする。

帰路は暑くて、水分補給・休憩も多くなる、熱中症防止には慎重さが必要だろう。

午後4時過ぎに帰宅。走行距離 73km

今日で満67歳になった。
名も利も得ずに、アラ古稀になったが、すこし感慨深いのは父親の年齢を超えたこと。
男性は自分の父親が亡くなった年齢を気にするようだ、私もそうだ。父は、晩年は病気もあったのだろう、生きることに倦んでいた、そして私が22歳の夏に亡くなった。

いま思うと父は、頭はそこそこよかったが、生きる才がなかった。あの高度経済成長の時代、父の同業者はずいぶんと儲けを出していたから。ただ生きる才がないのは、私も同じようなものなので、その点は父に似たのかもしれない。

ロードバイクで走りながら、私が見てきた風景は、やはり父とはずいぶんと違ったものだろうなと気づく。生まれた時代も違ったのだから。

そんなことを感じた夏の日。
夏の匂いと風を、しばし味わっていこう。



猛暑と読書2020-08-18 20:20

日々のニュースはコロナ感染者数と猛暑のことばかり。
地上波の民放TV画面には、悪魔に魂を売ってしまったらこんな顔になるんだろうな、というコメンテーターで溢れている。

私は隠居の小さな世界で、昼は20kmほどクロモリロードで走って、緑陰で読書する生活だ。


池内紀氏の解説が滋味深い。

「平凡で、愚直で、名も知られず、金も積まず碌々(ろくろく)として生を終えた善良な人々」。たえず素白先生の帰っていったところだ。今の世の「名利を求める賢い人々」に用はない。

素白自身は
「賑やかなのは好きだが、騒々しいのは嫌い、静かなものは好ましいが淋しいのはいやという厄介もの」

なんか私自身の傾向に近いものもあるな。


居酒屋は活気あるもの
スナックは疑似家族(ママが母親)
バーは孤独な時間を癒す場所
という感じか。

正直、バーのしきたり(あるとするなら)は面倒くさい。
現役の頃、バーには気の置けない友人と二人で、あるいは独りで飲みに行ったが、孤独を癒すというよりはウィスキーを自宅で飲む習慣がなかったこともあるだろう。

孤独を癒すこととバーは私のなかでは繋がらない。


神戸・京都・大阪、東京、福岡・鹿児島、そして宮古島という土地をめぐる、著者の極私的風土記。私は神戸に数年住み、神戸の会社で40年ほど働いたが、街への感覚は当然に著者とは異なる。街は自分を映し出す鏡のようなもの、住めば都なのか、逃げ去っていく街なのか、そのときの自分の生活スタイルや人との関係がかなり影響するんだろうな。



読みやすい魅力的な文章。倉敷に行ったときには、立ち寄ってみたいな。



フラフラと街中をクロモリロードで徘徊していると、近場の公園のベンチはほとんど把握した。猛暑の小さな公園には真昼には人もいない。湿度がそれほど高くないので、読書は家よりはかどる、夜は冷房をつけて寝ているので、昼間はなるべく戸外で読書するようにしているせいもあるけど。



明日は、ひさしぶりに近場を友人とハイキング。例年、柳生ハイキングが真夏の恒例行事となっているが、コロナウィルスのため県をまたぐ移動は自粛中。


歩いて、銭湯に入って、密にならないところで軽く飲む予定。




連続猛暑日2020-08-22 21:39

さすがに猛暑に倦んできた。

2020年8月19日(水)
友人のIくんと甲山・仁川渓谷沿いをハイキング。互いに8月の誕生日を迎えて、私67歳、Iくん63歳の老々コンビ。私は隠居3年目、Iくんは定年後再雇用3年目。

Iくんも組織人としては仕事に倦んできており、隠居志望のようだ。
私は自分の人生にあまり後悔はないが(贅沢を言えばキリがない)、ちょっと後悔していることいえば、もっと早く隠居すべきだったということかな。

生涯現役などと言うのはファイナンシャルプランナーや、功成り名を得た評論家などの妄言であり(孤独をやたら礼賛する)、組織人には当てはまらないんじゃないかな。
いつまでも元気な自分というのは、根拠のない自画像に過ぎず、組織人としてはできれば早めに引退する方がいいだろうな。

阪急甲東園駅から坂道を上り、甲山森林公園へ。仁川渓谷沿いをのんびり歩いて、北山貯水池へ。

それにしても暑い、老々コンビなので以前よりは休憩が多いな(苦笑

神呪寺山門前の桜茶屋で瓶ビールとおでんで休憩。平日の昼に飲むビールは美味。



地すべり記念館横の公園で休憩してから、阪急仁川駅へ下っていく。

電車で西宮北口まで出て、西宮市立芦乃湯会館にて入浴、360円と廉価だが、私たち二人には湯の温度が熱すぎて、汗を流したら早々に風呂から出る始末。でも熱いお風呂が好きな人にはお気に入りの銭湯やろうね。

汗も流して、ウェアーも着替えて、さっぱりした気分で、西北の駅近の焼き鳥チェーン店に午後5時過ぎ開店とともに入店。ビールは安いけど(発泡酒かもしれないが)、味はそれなり、店内は客席も多いが、お勘定を済ます直前まで客は私たち二人だけ。

コロナの影響もあるだろうが、これでは店の賃料をペイするのも困難かもしれないな。

お酒を飲みながら、なんだろう、最近、思っていることを独白めいて友人に話す。

最近は年老いて、望むらくは順番に死んでいくのがいいだろうなということ。
息子夫婦や孫たち、そして友人たち(みな、私より年下だ)と逆縁にならないことが、よきことかなと思っている。

8月20日(木)

かかりつけの医院にて特定健診を受診。

帰宅後、読書。



硬質だけと、なぜか湿り気もある文体。自分が経なかった世界だが、ありえた世界かもしれないなとも思う。

そう思わせる表現力があるんだろうな。

新刊も出るので、読んでみよう。


8月21日(金)

たぶん今年、最高の暑さ(対自分比)
ウォーキング10km

詩人北村太郎の自伝的な本を読む。
サラリーマン(朝日新聞の校閲部)を早めに退職するが、詩人らしく社会とはもうひとつ馴染めないことが影響しているのだろう。朝日新聞は物心ついて以来の読者だったが、ポエム論壇が主流となって、数年前に購読を止めてしまった。

北村太郎は女性関係でゴタゴタした人生だが、しなかった後悔よりは、してしまった後悔のほうがよいのではないか。

夜は、読書しながら日本酒を飲む。


8月22日(土)
長男が午前8時半に孫2号(まもなく2歳)を我が家に連れてきたので、孫守。
長男夫婦は盆休みなどもあり、2週間ぶりに孫2号に会う。

ママチャリの後部座席に孫を乗せ、まだ小さいので押し歩いて近くの公園まで連れて行くが、午前5時半にはもう起きていたということなので、ママチャリに座ってうたた寝を始めた。しばし迂回しながら公園まで行き、水遊び場につくと他の子供が水遊びをしているので、孫2号も靴を脱いで水遊びすることをせがむ。

言葉がちょっと遅いので、孫2号は「あい」とか「うー」としか喋らないけれど、こちらの言っていることは理解しているし、所作で要求をジイジ・バアバに伝えることができるのは幼児の特権だろう。

私も裸足になり、しばし孫と水遊びをする。武庫川からの農業用水を引いた緑豊かな公園だが、

「戦時中防空緑地となっていた西武庫区域に武庫土地区画整理事業が施行されたことにより、総面積7.2haに及ぶ広大な都市公園として整備された」公園でもある。

午前中とはいえ、すでに猛暑、遊ぶ人も少ない。

水場のタニシ(カワニナかもしれない)に孫は興味津々、水路から拾って流れる水に何度も浸している。1時間ほど遊んで、帰宅。絵本を読んだり、お昼ご飯を食べて、1時頃には孫2号は自分でゴロゴロとしはじめて、午睡に入る(とても育てやすい男の子だ)。


1時から3時半頃まで添い寝しながら、私もしばし午睡。

孫2号が昼寝から覚める頃、長男と孫1号が車で迎えに来る。
みなでスイカを食べて、孫2号は妻が入浴させる。夕方驟雨が来たが、長男と孫たちは車で武庫之荘の駅まで仕事帰りの長男の奥さんを迎えに行く。

夜はレトロパソコンの本を読了。

なつかしいPC286(エプソンのNEC互換機)なども出てくるが、カタログみたいな説明で、もっとマニアックな解説があってもよいのではないか。PC286VGを購入したのは1991年、まだMS-DOS3.3だったような記憶がある。Config.sysを書き換えてEMSに記憶を待避させたり、CPUを交換したり、モデムでパソコン通信したりした牧歌的な時代。

平成すら遠くなりにけりだ。

こんな猛暑日連続の日々。



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