路傍の石2019-08-01 22:01

梅雨明けの猛暑が連日続いて、長男夫婦の次男(10ヶ月)が風邪だろうか、高熱・咳が続いて保育所をお休みしている。火曜から今日木曜まで3日連続で、長男宅で孫の子守をしていた。

ジイジ・バアバで小児科に連れて行って受診させたり、離乳食を食べさせミルクを飲ませたり、川の字になってお昼寝したりする日々。

ミルクを飲んで、玩具につかまり立ちして遊んでいると、孫はおならしたりブリブリとウンチをしたりする。そこそこ臭い(苦笑

孫の紙おむつを交換して、抱っこしたり玩具で遊んだり、録画している幼児番組をみたりして1日が過ぎる。

孫が昼寝しているときに、持参の詩人天野忠の評伝を読んでいた。
天野忠氏の詩はなかなかいいね。難解ではないけれど研ぎ澄ました作品。京都人の良き意味での人との距離感・いけずさが顕れているような気もする。

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「行方」
 
 うつむいたひょうしに
 満二歳の孫娘が
 おならをおとした。
 ふしぎそうな顔をしてあたりを見たが
何にもなかった
 ・・・・・
 あんなふうに
 死ねぬものか

 みんなに微笑まれて
 夢のように消えて・・・。 

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孫たちには未来がある。それは私も歩んできた道なので、お互い様という気がする。


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「石」
 
 百九十米ほど
 まっ直ぐ跳んでみたい
 と
 かねがね思っていた石がいた。

 しかし
 跳ばないで
 そこに居た。

 いまもそこに居る。
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長く生きてきて自分が「路傍の石」として死んでいくんだなと思うのも夏。


この詩を人生訓と見るのは狭すぎるかな。石として存在すればよいか。



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「問い」
サクラメント市の
インデアンアベニュの
A・ジャドソン氏の家の
地階にある物置場の
水道の蛇口の
ま下で
とつおいつ
なめくじが考えごとをしていた

どうして
わしは
生きてきたか?

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なめくじも思索するのだ、たぶん。
それは小世界を生きてきた自分の世界かもしれないね。なめくじのくせに読んだ後のジメジメ感がないのはすごい。


明日も孫の子守かもしれないけれど、夕方からは約束があって女友達3人と食事会兼飲み会。月末の高知旅行の打ち合わせも兼ねる。あいかわらず我が侭な自分なので、ひとり宿泊延長して、日曜市などもブラブラしたいなと算段している。

この本を読んだのね、とくにね。


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