南木佳士「急な青空」を読む2006-03-11 22:09

急な青空

南木佳士さんの小説をいくつか読んでいるが、どちらかというと彼のエッセイの方が好きだ。

芥川賞作家であり、勤務医でもある南木佳士さんは、終末医療に従事する中でパニック障害、そして鬱病を発病する。自死衝動に駆られ、生きるエネルギーが低下していく日々。
そうした40代の終わりから、いくらか回復していく50代の始まりに書かれたエッセイ集。

言葉は選び取られたものであり、そして、山歩きをしていくなかで次第に身体の回復も兆していることがわかるエッセイだ。

神社にたたずむとき、彼はこう思う。
「神がいると思っているのではなく、神の存在を信じ、石段の角を丸く磨り減らすほど頻繁にこの神社に詣でた中世から今日に至るまでの何千、何万の凡夫の一員となることに、なんとも言えない安心感を覚えるのだ。」(同書14頁)
私も最近、山や奈良を歩くとき、歴史の中のちっぽけな自分というものを感じる。とくに「なにも願わない、じっと手を合わせる」(藤原新也)ということが好きになった。

またなぜ小説を書くかということに対し、南木さんはこう書く。
「なぜそんなに小説を書きたいのか。その理由は、逆説的に聞こえるかもしれないが、小説のなかで遊べるからだ。 私の場合、医者としての言葉には遊びがほとんどない。患者さんへの説明を家族がメモするという状況下では、遊びなど生まれようもない。そこには「私」の存在は不要で、最新の治療に関するデータがあればいい。私はそれを肉声で伝える伝言係にすぎないと感じることさえある。」(同書74頁)

医者でなくとも、仕事とは日常というものはそういうものかもしれない。南木佳士さんのような作家でなくとも、我田引水だが、ブログを書く人々は「伝言係」の自分に倦んでいる部分があるのではないか。

群馬の寒村に育ち、3歳の時、母と死別。祖母に育てられ、第1志望の国立大学医学部受験に失敗、秋田大学医学部に不本意ながら入学した青春時代、そして壮年期を経て、鬱病に苦しむ中年時代。
南木佳士さんのエッセイに、深みがあるのは、単に文章がうまいだけではないのだろう。作家の片手間のエッセイ集ではない。

曇天の中、黙々と山を登り始めると、いつのまにか霧は晴れ、雲海を見下ろして「急な青空」が広がる。
良質なエッセイです。

コメント

_ (未記入) ― 2008-06-13 09:45

同感です。短編の倍以上にエッセイには時間をかけると言っていますね。私と同年代でもあり、うつ病になったこともあり、共感共鳴の幅が広がります。「開口健」と哲学者「大森荘蔵」に対する賛辞にも同感です。あまり触れてはいませんが、「伊藤整」にも影響をうけているようで、「伊藤整」は私の『師』と仰ぐ人です。追い付けませんが、「魂」はもち続けたい。

_ asyuu ― 2008-06-15 05:51

コメントありがとうございます。

最近は南木さんのエッセイを読んでおりませんが
またゆっくり最新作も読んでみようと思います。

ブログ拝見させて頂きました。
含蓄のある記事が多く新鮮な読後感です。

_ (未記入) ― 2015-03-20 13:52

私も彼の小説よりエッセイが好きです。 苦しいときがあったから憂いがあって、それがとても居心地が良い感じです。自分が元気がないときでもなじみやすい、貴重な本です。

_ asyuu ― 2015-03-22 23:26


旧い記事にコメント、ありがとうございます。

いつもいつも元気いっぱいというわけにはいかないので、
良質なエッセイや音楽には心のざわつきを収める効果があるような気がします。

私は最近、この曲をよく聴いています。
「春の手紙 - 大貫 妙子 」
https://www.youtube.com/watch?v=AJ_ArguuGuk

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