連休(2)2021-05-09 21:55

5月5日
しっかりとした雨の一日。ぼんやり過ごす。映画と音楽の日。Amazon Videoで映画を2作見る。
映画をみる根気がなくなっているな。

5月6日

公園で小説を読む。
女性の予備校チューターと教え子の男子浪人生、そしてその父3人が熊野古道などをランドナーでサイクリングする。予備校チューターと父は大学時代のサイクリング部の後輩・先輩、そして浪人生の母も同級生で大学時代のサイクリング部員。彼女はサイクリング部の先輩と結婚し、いまの浪人生を出産した後(彼が2歳くらいだろうか)はやくこの世を去っている。


15年以上前にユースホステルに託したタイムカプセルの手紙を受けとるために、大学時代に彼女らが走ったコースを辿りながら目的地をめざす。ロードノベルであり、凡庸なストーリーのような気もするが、人生はなべて凡庸なんだろう(つねに刺激的すぎると人生に疲れる)。

リズムよく読了。コロナが落ちついたら旅に出たいね。

そういえば2年前に高知をひとり旅したとき、街なかの高校生たちがママチャリではなく、わりあいキチンとしたロードバイクに乗っていることに気づいた。なぜかなと不思議に思っていたが、こんな記事を読んで「なるほどな」と得心するところがある。


通学とはいえ、ロードバイクで青春をコンパクトな街で過ごすのは、彼らは気づいていなだろうが贅沢なことだ。

5月7日

天候不順。MITで公開講座がNetに挙げられていることを知る。
講義要録も日本語訳されている。Linuxの必要最小限の所作が解説されているので、順次Terminalを起動してチェック。講義もYoutubeにアップされており、英語→日本語の自動翻訳字幕をONにして講義もみてみた。当然ながら、自動翻訳はかなりめちゃくちゃ。



テキストファイルの閲覧コマンド「cat」は文字どおり「猫」「猫」と翻訳される。
大筋をざっくりと理解すればいいかな。でもこの講義、とってもアメリカ的。フランクで講師の好みがかなりはっきりしている(当然ながらLinuxいっぽん押し)。

閲覧する端末はIdeaPad Duet。MATEターミナルを起動してChrome上のYoutubeで動画閲覧。
すべての端末は隠居にとっては「役立つかどうかなどからは遠く離れて、おもろいもの」が利用の主眼になるだろうな。

その視点からするとChoromebookは新鮮なデバイス。ただGoogle依存が大きすぎるので、情報や記録の保存はLinux主眼にしたほうがよいだろう。Googleのサービスは気まぐれなので、いきなりサービスを変更・廃止するし、最悪の場合Banされる可能性もなくはない(だから有料サービスに移行したらよい場合もおおいかもしれない、とくにgoogle 1など)。


5月8日
土曜日は長男が孫二人の育児をしている。そしてコロナ蔓延状況なので、我が家に来ることを控えていたが、午前中のみ近くの公園で子守のヘルプにいく。孫1号は父親である長男と遊び、孫2号をわたしたちジイジ・バアバが相手。
2時間ほど公園で遊んで、本屋で絵本を買い、我が家で昼食。孫2号はとくにモリモリとなんでも食べる(カレー、トマトのジュレ、プリンなど)。遅めのこどもの日プレゼントとして、孫1号には本人が希望した「世界幻妖図鑑」、孫2号はひたすら電車関連なのでプラレールの絵本を購入。


「世界幻妖図鑑」はなかなかできた図鑑で(世界の妖怪の話だが)、孫1号も怖いもの見たさで気に入っている

孫たちが帰ったので、30分ほど午睡。

午睡のあとクロモリロードでブラブラと散歩。

公園で読書。


連休(1)2021-05-08 19:58

2021年5月1日
世の中は連休。今日はのんびりとクロモリロードで図書館まで走る。

図書館に行っても見るコーナは書店と同じ。
エッセイ、コンピュータ、登山・自転車、旅行本、書評、音楽などなど。
小説コーナはそれほど熱心には見ないな。

エッセイのコーナーで見かけた本を手にとり、パラパラと読む。週刊新潮の表紙を連載し
ている画家のエッセイ。写真家や画家の書く文章は衒いがなくてスッスッと読める文章が
多い。でも内容はなかなか滋味あるものが多い。


このエッセイもそのような文章が続く。公園の木陰で読み進める。
「とりあえず」生きてきた私は、夫・父・祖父になって、ものごころついた頃からあまり
成長していない自分のその立ち位置に戸惑うときもある。

静かな今という時間がしばしあれば、いいかなともおもう、「とりあえず」。


5月2日
ぶらっと散歩したのみ。あとは読書。
                                                                                             
5月3日

天気回復。こどもの日が近いので次男夫婦の娘へプレゼントと打診をLINEでする。
次男から希望の玩具(トイザらスの玩具)を画像つきでLINEにて返信あり。
トイザらスのオンラインショップにアクセスして、AmazonPayで支払い注文して次男宅に送ってもらうよう手配。便利な時代になったものだ(翌日朝には次男宅に到着)。

「銀輪に花束を」を読了。この本が発行されたのは2010年12月。加筆修正されて、電子書籍として発行されたのは2019年。そのあいだに2011年3月の東北大震災が起こっている。
そして2020年からはコロナ蔓延の時代。ロードバイクに乗ることの時間をもつことができるのは、とても贅沢なことだとあらためて感じる。

夜、Linux Mint 20.1 on ThinkPad X220を起動させ、日本語入力Mozcで文章を作成しようとするとインライン入力できない。いくつかのパターンを試してみたが復活しない。ここで明後日の方向に行くのが私の悪い癖、時間もあるし「Atok X3 for Linux」をインストールすればいいじゃんとウカツに考えてしまう。
何度かインストールしているがそのたびにトラブルことが多い。


この記事と過去にEvernoteに保存している参考記事をもとにATOK X3をインストール。
で再起動すると、Linux Mint自体が起動しない。
そうだった、ATOKのインストールスクリプトが/var/runを壊すことがあることを失念していた。以下の作業をする。

PCの電源を入れる
即座にShiftキーを押して、ブートメニューを表示
ブートメニューから「Advanced options for Linux Mint ○○」を選択する
次に「recovery mode」の表記がある項目を選択する
リカバリーメニューが表示されたら、「root - Drop to root shell prompt」を選択する
これでシェルに入れるので、以下のコマンドを1行ずつ実行。

mount -o rw,remount /
rm -rf /var/run
ln -s /run /var/run

Linux Mintが起動するがATOK X3は起動せず。

「~/.xinputrc」の設定ファイルに

export XMODIFIERS=@im=iiimx
export GTK_IM_MODULE=iiim
export QT_IM_MODULE=xim

export HTT_DISABLE_STATUS_WINDOW=t
export JS_FEEDBACK_CONVERT=t
iiimx -iiimd > /dev/null 2>&1

/opt/atokx3/bin/atokx3start.sh
/opt/atokx3/sample/iiimf_status_hide

と記述。下2行の記述がもれていたため、ATOKが起動しなかったようだ。

不具合がいくつかある。

起動が遅くなった。
systemd-analyze blameコマンドでチェック。SDDの読み込みが遅い。
設定ファイルを読む込むのに時間がかかっているのだろうか。ただこのSSDは10年近く使っているので、寿命が近いのかもしれない。ぼちぼち最新機種のThinkPadを考える時期が近づいているようだ。


xfce-terminal MATE-terminalなど多くのTerminalでカーソルが消えてしまう。
mltermなら問題がないので、おとなしくインストール。

変換候補のパレットが入力文字と離れて配置される。VimやEmacsでは問題ない。Emacsにはemacs-mozc(Ctrl+¥)でmozcが起動するので適宜日本語入力を起動させたほうがよいかもしれない。

ATOK X3は2017年3月末でサポート期間も終了して、化石のような日本語入力となっているが、Mozcも開発が滞っている。Linux自体が英語圏のOSなので日本語入力に力が注がれることはムリかもしれないな。それでも中古のマニュアル車みたいに使っていくことは可能だろう。

以上の設定に数時間を要す。

5月4日
クロモリロードで図書館巡り。図書館も閲覧・自習室が利用できないので、人は少ないが、利用できるだけでもありがたい。連休中は戸外や公園に向かう車が多いので、カーボンバイクで走ることは自制。クロモリロードはあくまでも移動の手段。

サイバーパンク短編集の「自転車修理人」の表現がヲタク的ですてき。


「それから作業スタンドの万力で固定したゆうべのフレームのエナメルの仕事を調べた。フレームはよさそうだった。午前三時に、ライルはまさにぴったりの幻覚的な明怖さをもってペンキによる細部の仕事にとりかかった。エナメル塗装はいい金になったし、金がひどく必要だった。だが、それは本当の自転車の仕事ではなかった。真実味に欠けていた。エナメル塗装は所有者のエゴの問題だった。エナメルの嫌な点はそこだった。ペントハウス階には、〈街頭の美学〉にのめりこんで、自転車オタクに高い金を出してマシンの装飾を頼もうという金持ちの子供も何人かいた。だが、派手な美術など自転車にはなんの役にも立たなかった。自転車に役立つのはフレームの調節であり、しっかりしたケーブル保護であり、多段変速ギアの正しい張りだった。」



「ライルは固定した自転車のチェーンを店のはずみ車にかけ、グローヴとヴァーチャル・ヘルメットをして、二〇三三年のツール・ド・フランスを半時間やってみた。つらい登り坂は集団の後方につけ、栄光の瞬間には集団の中の同国人から抜け出して、アルド・チポリーニと肩を並べた。チャンピオンはポストヒューマンの怪物だった。コンクリートブロックのようなふくらはぎ。フルインパクトのボディスーツもない安っぽいシミュレーションとはいえ、ライルにはチポリーニを追い越そうなどと考えないだけの分別はあった。」



「ライルの計算では、エネルギーを捕獲して、直接的直感的筋肉的な意味で人間のペダル漕ぎエネルギーとそっくりに感じられるやり方で、そのエネルギーをチェーン駆動にもどせる慣性ブレーキには、大きな市場があるはずだった。バッテリー駆動のモーペッドのゴロゴロ、ブンブンというやり方ではないのだから。うまくいけば、乗っている人間にはまったく自然な感じで、同時に超人間的に感じられるだろう。単純なものでなければだめだった。販売店の店員が手にした工具で修理できなければならない。あまりに華奢で、しゃれたものにするわけにはいかない、そんなことをすればまともな自転車の感じはしなくなってしまう。」


「もちろん、チップ駆動でなければならないが、同時に自転車競技の精神にものっとっていなければならない。いまでは、緩衝装置やブレーキや反応性ハブなど多くの自転車にチップが搭載されているが、自転車はコンピュータではなかった。コンピュータは中身がブラックボックスで、仕組みが目に見える大きな部品などなかった。逆に、人々は自転車には感傷を抱いている。こと自転車となると、人々は妙に寡黙に、伝統的になるのだ。だからこそ、自転車市場はリクライニング式を本当に支持できなかったのだろう、リクライニング・デザインのほうが機械的に大きな利点があるのに。みんな自転車をそれほど複雑なものにしたくないのだ。コンピュータのように、悪態をつき、愚痴や泣き言を並べて、たえずグレードアップを迫られるのが、いやなのだ。自転車は個人的なものだった。自転車は洋服のように身に着けたいものなのだ。」


1997年の短編小説だけど、Zwiftやe-Bikeを彷彿とさせるものがあるね。
最近のロードバイクはディスク化やワイヤレス変速に移行していき、リムブレーキなどは昔のWレバー変速とおなじ衰退の歴史をたどるのかな。でも幸いなことにそのまえに私のほうが十分に年老いていくだろうね。


4月晴れ、雨そしてジョギングのような読書2021-04-29 20:58

2021年4月26日(月)
医院で定期受診。数ヶ月ごとの血液検査に併せて心電図検査も受けた。心電図には異常はなく血圧も正常(126-68)。
主治医によると医師会からコロナワクチン接種の具体的な案内はまだ来ていないとのこと。月曜日なのか乳幼児を連れたおかあさんが多い。薬を薬局で受け取ってからクロモリロードで散策。


村上春樹のエッセイを公園の木陰で読む。
五月晴れのような晴天。「やがて哀しき外国語」の続編にあたるエッセイ集だが、肩の力が抜けていてゆっくりとジョギングしているような文章が続く。
旅に出られない日々が続くけれど、脳内旅行といった感じで、友人らと旅行した外国の町並みが不意によみがえる。

午後からは長男夫婦の孫守りヘルプ。孫1号が長男の奥さんとピアノ教室に行っているあいだ、孫2号と遊ぶ。近くの公園で1時間ほど遊んで、帰宅してからは定番の「いないいないばあ」「おかあさんといっしょ」などのNHK教育番組を孫といっしょに見る。飽きると恐竜図鑑を持ってきて「みて、みて」「おっきい!」などと私たちに話しかけるので、いっしょに恐竜図鑑や電車図鑑(子どもはなぜあんなに電車が好きなんだろう)を読む。

長男の奥さんと孫1号がピアン教室をおえて帰宅。長男の奥さんと次男の奥さんはともに医療関係の仕事に従事しているので、長男の奥さんは先日コロナワクチン接種1回めをやっと受けたが、やはり腕の痛みが翌日はひどかったとのこと。
私たち夫婦も接種を受ける際は、副反応があるかもしれないので、夫婦で時間差を設けたほうがよいだろう。
次男の奥さんは妊娠中のため接種は控える。ちなみに次男夫婦の第2子も女の子のようだ。次男は8月には姉妹の父親になるんやね。

4月27日(火)

介護施設に入所している義父の食欲が低下している。先日、妻と、義父に付き添い胃腸科を受診したが、結果はやはり加齢によるものだという見立てだ。来月義父も96歳、残念ながら「生き疲れてしまう」という状態になっているのだろう。
施設の担当によると前回妻が差し入れたお菓子、料理などは比較的食べたとのこと。今回も妻が惣菜を作って、お菓子も届けることにした。バックパックにそれらを入れて、クロモリロードで施設に向かう。緊急事態宣言下、面会はできないので、受付で保冷パックにいれた惣菜類を手渡す。

そのあと図書館に立ち寄り、予約本を受けとる。

乳幼児時代の子育て記録。素敵な本やね。
なんども申し上げているように子育ては「愛情より体力」。でも私も息子たちが乳幼児だったころの記憶はほとんど残っていないな。普遍的な基準ではもちろんないけれど、「子どもが生まれることによって人は青春時代が終わり」、「孫ができることによって正真正銘の老人になる」といえようか。
息子たちが乳幼児だったころは忙しすぎて忘却の彼方なのに、孫たちの成長のほうがリアルタイムで「ニコッと笑ったね」「おすわり、寝返り、飛行機ぶーん、ハイハイしてるね」「歯が生えてきた!」「離乳食を終えて、一人前にウンチが臭くなってきた」などと時系列に思い出すことができる。

長男宅も子育てで忙しく、現在の家に6年前に住み始めたが当初はリビングに大きなテーブルが鎮座していた。二人目が生まれると、そのテーブルは足をとって低い机となり、いまはリビングのすみで物置台となって、リビングには小さなちゃぶ台が食事の中心となっている。大きなテーブルが復活するのはだいぶ先だろうな。

4月28日(水)

雨。録画していたNHK BS「歩く人」初回を見る。歩く人と風景が調和していて映像世界が秀逸。部屋の掃除、浴室の掃除を終えて、私もウォーキングに出かける。
雨なので公園にも人はいない。

西北ジュンク堂まで歩き、新刊をチェック。喫茶室でストロング珈琲ダブル(ポットに珈琲が数杯分入っている)を飲む。バックパックからLinux Mint 20.1 on X205TAを取り出して、VScodeを起動してこの文章をタイピング。文章校正にtextlintなどの拡張機能を利用しているが指摘の癖がわかってきたので、あまり問題を指摘されなくなってきた。
だからといって自分の書く文章がよい文章かはまったく別物。
村上春樹の作品については好き嫌いがあるだろうが、彼のエッセイはやはり名文が続く。
書けそうで書けない文章、それが村上スタイルなんやろうね。

夜は音楽を聴く。

4月29日(木)
雨。1日ダラダラと過ごす。
VScode関連をリアルタイム検索でググっていると、いくつかの技術的な文章とブログに行き当たる。

大滝詠一のアルバムを聞きながら、読書。


この本が興味あるね。


トレイルランの新刊を読む。


モントレイルの新しいトレランシューズを新調してもいいな。

ウトウトと午睡する1日。


緊急事態宣言など2021-04-25 22:04

今日から兵庫県も緊急事態宣言がなされ、いろいろと制約が生じている。
大型ショッピング街は休業。近くの公園も駐車場が閉鎖されている。妻が通うトレーニングジムも休業。ジュンク堂などの書店は開いており、図書館も自習室・閲覧席は利用できないが貸出・返却は可能。

土曜は長男夫婦の次男(孫2号)の子守ヘルプをしているが、兵庫県も感染者が増大しているので長男がひとりで(奥さんは仕事)孫たちをみている。孫2号も2歳7か月なので、だいぶ育てやすくなったこともあろう。長男夫婦、次男夫婦は近場の公園で子供と遊んでいる様子が、「アプリみてね」でアップロードされている。



昨日、今日とクロモリロードで散策。公園の木陰でバックパックからNotePCを取り出し、Kindleをたちあげて電子書籍「ハロー・ワールド」を読む。再読だと思っていたら、はじめて読むことに気づいた。読書していて「この本、読んだことあるな」と思い本棚を確認してみると、同じ本を購入していたことが再々あった(いちばん多いときは3冊同じ本を買ったことがある)。


でもダウンロードしてまったく未読だったのははじめて。ダウンロードして、そのうち読もうと思っていたんだろうな。電子書籍だと、こんなことが増えるだろうな。

ギークっぽさとより良き未来、そして公正の観念などの命題がここちよいストーリー展開。作者の藤井太洋氏は最近精力的に、VScode対応の執筆用の拡張機能をGitHubにアップしているので、それも利用させてもらうことにした。

なんかいいね。

自販機で買った缶コーヒーを飲みながら、木陰でタイピング。

最近、銀行もコストカットのためだろう、クレジットカードの利用明細をオンライン化している。わたしはJCBとVISAカードを持っているが、VISAの利用明細確認はオンラインでするようになっている。JCBも9月から郵送による利用明細書の送付は有料(88円)になると案内がきたので、Webで確認する手続きをした。

同時にquickpayを登録するとオンライン化とあわせて1500円のキャッシュバックがあるとのこと。ついついquickpayも登録。

旧い世代なのでキャシュレスには抵抗があり、現金払いとすることが多い(ネット通販は別)。スマホの機種変更をした際にD払いもついつい登録したが、使ったことはなかった。

先日、クロモリロードで散歩しているとき自販機で缶コーヒーでも飲もうと現金を用意するとキャッシュレス対応の自販機だ。人間相手ではないので、ここでキャッシュレスを試してみることにした。

自販機で希望の商品ボタンを押す→利用するキャッシュレス決済(quickpay)のロゴボタンを押す→スマホのQuickpayを起動して機械に読み取らせる→決済が終了して商品が取り出し口に出てくる。

67歳にしてはじめてのキャッシュレス決済。されどJCBは70歳以上とゴールドカード所持者には明細の送付料を無料としている。なんだかね。

あわせて最近読んだ本。


高知の旅で買った「土佐の墓」という本が紹介されているので日本の古書店で検索すると、なんどか利用した高知の古書店に在庫がある。送料を含めると6000円弱か。ちょっと興味がある。


コロナウィルスにより移動や人との接触場面で制限がある状況。グローバリズム・人の世界的な移動・地球温暖化などにより、今後なんどか同じ状況が生じるようになるだろう。
日本は利権社会だから、閨閥・学閥そして組織人としての同一性を重んじて、ひたすらムダな会議をし夜はお酒を飲むことによって胸襟を開くということをよしとしてきた。

この著者が指摘するようなビジネスタイルは確かにとりにくくなっている。もう昭和のおじさんが出る幕はなくなりつつあるのだ。だがノンコンタクトの社会がユートピアかというと著者も懐疑的だ。

キャッシュレス化は高齢者などの消費活動を制限するだろうし、貨幣の発行を少なくし銀行のATM/店舗を減らし、人のお金の流れを確実に把握できる。脱税をしにくくなるが、アングラマネーとして暗号通貨が流通してハッキングも多発するだろうな。

リモートデスクとしての仕事は労働時間の際限がなくなり、上司や同僚からとどく大量の伝言や指示(LINEやメールは簡単に送付できる)から「放っておいてもらう権利」を同時に確保しなければならないだろう。

非接触(アンコンタクト)の生活様式は、人を監視し管理しそれを享受できるのはけっきょく富裕層や権力者であり、中間層の没落を加速させるだろう。そこにはディストピアの世界が荒涼と広がる。

選挙も電子投票にすれば投票率はあがる。だが自公政権は浮動層を好まないだろうから、電子投票には消極的だろうし、いっぽうポピュリズム政党が跋扈する素地を提供することにもなろうか。この1年の政府の無定見・グダグダぶりは想像以上だが、このような世の中を許してきた私たち老人世代にも責任があるのだろう。私たち夫婦もワクチン接種の対象だが、各自治体ではネット予約でサーバーがダウンしたり、予約電話がつながらず役所の窓口に老人たちが問い合わせに集まっているそうな。もうね、秋までに接種できればいいんじゃないかな(それも確実ではないけど)。

夜はIdeaPad Duetで遊ぶ。AndroidアプリとLinuxが稼働するのは魅力的。
最近はMacやWindowsでもUNIX・Linuxを稼働させることができるようだが、Chromebookもなかなか新鮮。ひさしぶりにワクワクする感じ。eMCCが128GBあるけど、Linuxなどが意外と容量を食って、残容量は85GBほどだ。Chromebookはオンライン前提だからデバイスの容量は少なくてよいという意見もあるけど、Linuxを使うと確実に不足するね。

またDuetはRAM不足とCPUは非力なため動作がもっさりしやすいので、重たい作業はできない(動画処理やゲームなどか)。なるべくCLIインタフェースのツールを利用するほうが快適だ。

Qiitaなどを読むことが多いけど、下記の投稿を読んでいると


rangerというファイラーが便利なようだ。ヴァージョンは旧いがsudo apt installでパッケージをインストール。MS-DOS時代のファイラーFDなどに似ていて懐かしい感じ。キーバインドがVim仕様なのもいい。


画像をプレビューできるように設定ファイルを書き換えたが、画像を選択するとインストールしているGimpが起動し、htmlファイルだとLinuxアプリのFirefoxが起動する。デフォルトではw3mがインストールされているが、まだキチンと設定ファイルを読んでいないので起動の仕組みがわからない。まあこのままでも困らないけど腑に落ちない。

昨年2月のなんちゃってスマートウォッチXiaomi Mi Band4も画期的なツールだったが(充電以外はずっと装着している)、このIdeaPad Duetも優るとも劣らないツールやね。



繰り返し2021-04-10 22:44

関西地方はコロナがまたまた蔓延中。隠居生活にとくに変わりはない。
3月末で旧職場を早期退職(58歳)した後輩からSMSが届いた。「どんな生活をしていますか」と聞かれたので下記のとおり返信。

週2(土曜・月曜)孫守り。
1日2食(昼食なし)。
7時間睡眠。
昼は10kmほどウォーキングか自転車で散歩。

葉桜になった

公園で缶コーヒーを飲みながら読書

小腹がすいたらたこ焼き

誰もいない野球場


図書館で借りた本を読み、夜はLinuxの勉強と2日おきに日本酒1合を飲む。最近は土佐の酒「文佳人」がお気に入り。

基本、この繰り返し。

読んだ本。


二親が他界したあたりから、人の年齢について区切りが大きくなった。「子供/若者/大人/年寄り」の四区分。補足するなら「子供」の前に「おむつをしている」、「年寄り」の後に「杖をついている」。イギリス王室ジョージ王子は子供で、グレタ・トゥーンベリさんは若者で、市川海老蔵は大人で、マドンナは年寄り。(同書8頁)

いつものように学校や職場に向かい、いつものようにその日が終わる。壁ドンもなく、嫉妬の歯噛みもなく、ただ平凡に日が暮れる。それを「やーん、ありえなーい(有り難い)」と年寄りはつくづく感じるのである。(同書9頁)


冒頭からいきなり緩急のある文章。球種でいうとキレのあるフォークといったところか。著者は私よりすこし下の年代だが、田舎の公立で共学の高校を過ごしたものには、なかなかに「あるよな事象」が次々とあらわれる。

目次の表題がいいね。

   
    秋吉久美子の車、愛と革命の本
    共学と体育、ギターと台風
    科学の先生
    タブアタック出演と保健室と「連想記憶術」
    青春の性欲
    有名な名前
    桜とサンノナナ、いないといる


この作者の作品には陰の面が強くでた作品も多いようだが、この本はまさしく青春の学校内カーストみたいなものや、男女の関係そして恥ずかしながらの高校生活がよく描かれているね。

自分の高校時代をちょっと思い出した。


岸政彦氏の最新小説。


なんとなく読みすすめてしまう小説。都市小説と銘打っているが、「淀川小説」がふさわしいかな。
大阪のごちゃごちゃした街の雰囲気がかえって好ましく描かれている。

繁華街や旅に出られないので、時間はあるし、積読していたLinux本を読んでいる。きちんと読んでいないLinux解説本が何冊もある。そういえば隠居したら、OS本をきちんと読もうと思いながら数年が過ぎたので、いまが頃合いだろう。
Chromebook IdeaPad Duetを縦置きして、Kindleを起動。同時にLinux環境でMATEターミナルを起動して、Kindle本を読みながら、CUIでコマンドを打っていく。



Duetのデフォルトキーボードは変形タイプなのでタイピングしにくい。旧式のBluetooth Trackpointキーボードでタイピング。以前、木材店で購入したペン立てのメモをはさむ部分に、Duetのカバーをはさんで縦置きにする。見た目はよくないが、安定性があり、これでええやんという感じ。



隠居生活4年目2021-04-03 21:54

4月。隠居生活4年目に入った。
1年目。旧組織の組合関係のゴタゴタを遠くから眺めていた。権力におもねるものは、いつか権力に裏切られる。組織人としてそれらとは一定の距離を置いていたが、不快なことも多かった。因果応報というよりは、人の弱さを感じさせるできごとだ。

2年目。猛暑。仕事に行く必要がなくてよかったなと単純に考える。旧組織が疲弊しつつあるのではないかとより遠くから眺める。

3年目。新型ウィルスが蔓延し始める。社交性がなく自分の世界にこもりがちな私にとっては、世界が変わるほどのできごとではない。隠居していちども属していた会社を訪れることはなかった。二度と行くものかと意固地になっているわけではなく、昔を懐かしんで意味なく会社員時代を反芻する習慣が自分にはないだけだ。

会社に属することによって安定した生活ができたし、今も遊んでくれる友人たちができた。小賢しい人、誠実な人、ペルソナがいつのまにか顔面に貼りついた人など、組織人だったからこそ出会えた人たちがいたのだろう。

でもそれはすべて過去のこと。過去を懐かしむよりは今を慈しんでいく時間が老人には必要だろう。

ただコロナによって移動の自由が制限されたり、友人と旅行したりする機会が減ってしまったのは残念だ。昨年、琵琶湖の湖西を一泊2日で旅行したとき、びわ湖バレイへの送迎バスの中で若い女性が「今年はほんまなんもできないわ。自分の人生のなかで、こんなになんもなかったのははじめて」と嘆いていた。話の流れからすると、たぶん二十歳くらいの女子大学生だろう。
「いやいや君たちは十分に若い。人生はまだまだたっぷりとあるんやから」といらぬおせっかいを心のなかでつぶやいてみたが、若者や老人であろうと「いま」を生きていることに変わりはない。

最近読んだ本にこんな表現がある。


中年の女性司書が卒業していく高校三年の女生徒にかける言葉。

「二人がわたしをとても年上だと感じているように、先のことは遠くに見えるだろうけれど、わたしが二人のことを、まるで自分を見ているみたいに親しく感じるように、過ぎたことは、いつでもすぐ近くに感じるのよ」

老人になると、この感覚はより身近になる。


私は現役世代の息子ふたりがいるので、いつまでも自分は変わらないとは感じない。
昨夜、家族のLINEに帰宅途中の電車からだろう、次男がLINEを送ってきた。内容は司馬遼太郎「竜馬がゆく」を読んでいて、「父さんが思いうかびました」とのこと。
どうやらかっこいい竜馬ではなく、長州藩士の見目の秀麗さとくらべて、イモ顔が特徴の土佐藩士を意味しているようだ。



桜もまもなく終わり。クロモリロードで図書館へ。予約本を受けとり公園のベンチで読む。




AIとは何か、とくに「弱いAI(マーケット用語にすぎない)」という視点はなるほどという感じ。Googleはある意味では善意の神。気まぐれで利権まみれな人間という人格より、「強いAI」に委ねたほうが公正でより正義に近く、快適な生活になるのではないかとまで思ってしまう。とくにこのコロナ時代に、迷走する政府の施策によりコロナ疲れしてしまうご時世。でもまちがった選択をしながらよりよき社会をめざしていったのが、社会だったのだろう。AIという神に委ねるほど人は無機質ではない。

合理的に生きることばかりが人生じゃない、たぶん。

そういった意味でこの本も、人のダメさかげんがよくあらわれている。

私は倫理的に生きてきたわけではないので、このようなライフスタイルもありだろうと読んでいた。いろんな人を愛した経験は、ひとりの春に桜をより美しく眺めることができるだろう。

今日は長男夫婦の次男(孫2号)を預かっていっしょに遊ぶ。午前中は武庫川河川敷へ遊びにゆく。
孫は終始ごきげん。1時間ほど遊んで、帰宅して昼食。正午頃か2時間ほど、孫2号は午睡。



夕方、妻とともに長男宅に孫2号を連れていく。明日は孫1号のピアノ発表会。だが三密を防ぐため、家族でも多人数参加は不可とのことなので、長男宅で孫2号の子守ヘルプをする予定。

夜は読書。Termux関連の英文を読む。コンピューター関連の英書は、なぜか大意をつかむことはできる。
Chromebook IdeaPad Duetは非力なれど、そばに置いていても邪魔にならないし、気軽に使えるのがいちばんのメリットかな。


桜花妄想2021-03-31 21:59

先週末は長男夫婦が有給をとっているので孫守りヘルプはなし。
日曜、次男夫婦が孫娘と久しぶりに我が家へ来宅。次男の奥さんは妊娠5か月、8月には出産予定。つわりも収まり、元気なので立ち寄ってくれたようだ。

孫娘は恥ずかしがりやなので、両親にまとわりついている。来宅前に、京都のお寺を訪れたとのこと。交際している頃からなんどか訪ねたお寺で、孫娘を妊娠した際も安産祈願したので、今回も同じお寺で祈願したとのこと。
お土産に高級チーズケーキを持参してくれた。次男夫婦の近所に新しいケーキ屋ができて、そこのチーズケーキがとても美味しいとTVで放映されたのを妻が知り、LINEで次男に情報提供。さっそく購入したが、燻製の匂いがキツくて次男夫婦にとっては微妙な味だったようだ。でも持参してくれたときには一日経過していたので濃厚な味なれど、燻製のような臭みを感じず美味。次男もあらためて我が家で食べると同じ感想だ。この結末に次男は得心していない感じだっだけど。仲むつまじくやっているようなので、親としてはひと安心。

昨日は長男が残業なので孫二人の保育所迎えをして晩御飯を食べさせて、仕事から帰宅した長男の奥さんが孫1号を、妻が孫2号を入浴させる。孫たちはご機嫌さん。


昼は近場をクロモリロードで散策。桜が満開だ。花芯が赤くなると桜は満開となり、花散らしの雨であっというまに葉桜となってしまう。



近江の本を読む。山登りやロードバイク、そして旅で何度も訪れた近江の地。とても好きな場所だ。私が死んだら、灰のひとつまみを湖西の武奈ヶ岳にそっと置いてほしいと息子たちに頼んでいるが、まだ覚えているだろうか。

Linux本をIdeaPad Duetを起動して読む。
Duetから仮想環境でLinuxを起動できるが、アンドロイドアプリとしてTermuxがあったことに気づいた。スマホにインストールして使ったことがあるが、スマホの狭い画面ではとても窮屈。
Duetなら外付けキーボードでサクサクとタイピングできるし、画面も広い。ただAndroidアプリのTermux、仮想環境のLinuxと自分がどこにいるのか方向音痴になりそう。Termuxのよいところは、ChromeOS下では「free -m」などのコマンドが正確なこと。仮想環境のLinux下でTerminalから「free-m」コマンドを打つと、「メモリー余裕ありすぎ。嘘やん」という結果を出力するからね。

IdeaPad Duetは非力だが、ブラウザ(Chrome)、Android、Linuxがひとつの端末でシームレスに稼働するのが魅力。かなり目からウロコという感じ。




今日もクロモリロードで散策。1日中ロードバイクに乗っていた頃は、美山・丹波・北摂などの桜を眺めたが、加齢とともに集中力は残念ながら継続しなくなってしまう。右膝と右腕の鈍痛も完治しない。老いていく自分を哀しんでも意味はないので、老人なりの所作を身に着けていくほうが小確幸だろう。
いよいよロードバイクに乗れなくなったら、3台のバイクを整備して近所を点検ライドするという余生でもいいだろう。

バックパックに入れているLinux Mint 20.1 on X205TAを取りだし、公園のベンチでタイピングしていたら、頭上の木にとまっていた小鳥がキーボードの上にフンを落下させた。あわてて水に濡らしたティッシュで汚れをとる。春やね。

VScodeの設定をしていたら、作家の藤井大洋氏が最近VScodeで執筆環境を整備していることを知った。

さすがプロの作家、めちゃ
かっこいい。VScodeの拡張機能も作家のこだわりが垣間見えて、参考になる。

氏のブログ画像がHHK無刻印キーボードにチョークで書きなぐったように刻印しているのがギークぽいね。
氏の著作も本日文庫化されている。以前Kindleで購入して読んだが、再読してみよう。
氏の著作を通底するのはITや技術に対する、過度に楽観的、悲観的にならない態度だ。それをリズムある文体で小説化しているのが魅力だ。


いま公園のベンチでタイピングしている。VScodeやTerminal+Mozcで文章を作成していると、カーソルが勝手にあらぬところへ飛んで文章が作成しがたいという現象が続いていた。

ふと「マウスの設定を見直せばいいんじゃないか」とヒラめいて、設定画面を開く。
「タッチパッドをタップでクリック」を無効にしたら、カーソルのランダムな移動は生じなくなった。これで心穏やかにタイピングできるね。戸外でVScodeを使って文章作成するストレスがなくなった。なぜいままで気づかなかったんだろう。でもそんなもんか。

Chromebookはおもしろい玩具だけれど、ググっているとGIGAスクールなる教育が始まっていることを知った。用意するPCの基準がかなり貧弱なので、廉価なChromebookやiPad、そしてWindowsPCが各学校に配備されるようだ。Chromebookを採用する学校も増えているようだ。でも文科省が旗を振ってよい方向に向かったことってあったっけ。自宅でサクサク動くスマホやタブレットを使っている子どもたちにとって、お仕着せの窮屈な端末を押しつけることにならないか。


ChromebookにはLinuxを稼働させることができるけれど、教育現場ではこの機能は使えなくするかな。ターミナルからslやcmatrixのコマンドを走らせたり、自由さをLinuxで味わう経験をしたら未来のより良きギークが誕生するだろう。ほんまは「家族って落ちつくな、遊ぶっておもしろいな、自然てこわくてでも楽しいな」という経験を孫を含めた子どもたちにはしてほしい。

あらゆる大人は子供にとっては反面教師なんだから。



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