三田市波豆のコスモス畑まで2021-10-29 19:51

先週末、友人と久しぶりに甲山周辺をハイキングして15kmほど歩き、神呪寺門前の茶屋でおでんと瓶ビール、夕方に立ち飲み屋を2軒はしごして、ぐだぐだととりとめのない話をした。一軒目は「ここは東南アジアか」と思うほどDeepな店。二軒目は小洒落たお店で客層がはっきりと異なる。そこがおもしろい。人づきあいから離れた隠居なれど、数少ない友人との会話はやはり心地いいね。

今週も凡庸な生活のなか、Emacsの設定ファイルを試したり、2日で4冊も本を読んだり、夜は録画していたTV番組やAmazon Videoを観たりしていると、なにか自家中毒めいた気分にもなるので昨日はカーボンバイクで里山を走ってきた。


午前10時半に発進。天気予報アプリでは北風4〜5mの予測なので、猪名川を北上すると向かい風。でも十分にエネルギーのある往路で向かい風、帰路は追い風のほうがありがたい。

道の駅いながわから県道68号線を上っていく。向かい風と思ったら、山間では風向きは変わることが多いので、追い風となって気持ちよく上っていくことができる。


上佐曽利の地区会館で休憩。バックポケットにミカン2個、妻が作ってくれたふかし芋をおやつとして入れているので、まずはミカン1個を補給。上佐曽利のダリア園が開催されているので、地区会館にトイレ表示の案内がある。会館横にトイレがあることを今まで知らなかった。さっそくトイレも利用させていただいた。

ロードバイクに乗りはじめた14年前のこの季節に、鬱屈した気持ちを抱えながら、このベンチで休憩していたが、すべては遠い昔だと思うと、歳月は人を自然に癒やしていくだろうし、ロードバイクのある生活をしてきたことが、自分の救いになったような気もする。
そして私のなかでベストコミックの「珈琲時間」の一場面をふっと思い出したりする。

先日、スケートボーダーの本を読んだけれど、自由さと個性を重んじることができるのはロードバイクと共通するところがあるね。

小さな峠を越えると三田市波豆地区に入り、コスモス畑があるので立ち寄ってみた。
10万本のコスモス畑という案内が表示されているが、もう盛りは過ぎたのだろう、名残のコスモスが咲いている。



佐曽利カルデラの秀麗がこのあたりは連なっているので、里山の雰囲気が色濃い。

さあ帰ろう。

県道68号線へ合流する前に、上佐曽利から小さな林道を越えていくことにした。
以前、この入り口でトラブったとき以来の林道越え。



荒れた路面なので、パンクに注意しながら上っていく。加齢とともに心肺機能は確実に低下しているので、小さな上りなのに心拍は160になっている(スマートウオッチで確認)。
年齢からいくと(220−68=152)とこのあたりが限界値、なんとか足をつかずに斜度のある上りを終える。静かな林の中でしばしぼーっと過ごす。


荒れた路面を慎重に下り、県道68号線に合流して一気に道の駅いながわまでノーブレーキで下る。斜度は緩めなので、きもちよくカーブを曲がっていく。

阿古谷集落を経て、県道12号線旧道に入る。天気予報通り追い風。


午後4時前に帰宅。短い距離なのに、やはり疲れがあるも、ここちよい疲労感。78kmちょっと走った。



夜は太田和彦さんの居酒屋番組を観ながら、日本酒をゆっくりと飲む。
そしてロードバイクの本を流し読みすると「距離を走った人ほど身体ダメージが蓄積されている」とか「加齢とともに体幹・心肺能力が低下するのはやむを得ない」とか「ディスクブレーキが主流となり、乗り方も前乗りやハンドルも狭めというのが流行となっている」とか、そうなんやと時勢に疎いことを知る。



そこでトレーニング方法が開陳されるわけだけど、もうね、事故なく故障なく里山を走れたらいいだろうね。

昨夜はぐっすりと眠る。とはいえ隠居なのでだいたい日付が変わる頃に寝て、午前7時半頃に起床するという習慣になっている。想像力が貧困なのだろう、夢を見ることはまずない。
珍しく昨日朝はお通じがなかったけれど(いつもは朝食後にお通じがある)、昨日、ロードバイクで走ったおかげだろう、すっきりとお通じがでて自己満足。ロードバイクに乗ったりして身体活動をすると腸が適度に刺激されるんやろうね。

今日はクロモリロードで街を散策。緑陰でこの文章をタイピング。バックパックに入れたのはLinux Mint 20.04 on ASUS X205TA。この機種にはEmacsの設定ファイルを反映させていないので、VScodeでタイピング。



明日は定例の孫守の日。秋晴れが続きそうだ。



老いのゆくえ2021-10-22 21:26

急に寒くなったので、コタツを出して、蜜柑を食べながら読書している。
Emacsの古い本を読みながら、本の奥付をみると2004年7月5日初版。17年も前になぜEmacsを使ってみようと思ったのだろう、まったく思い出せないし、通読した記憶もない。


ブログの更新頻度は低下したが、今年の5月末頃からエディタで日記をつけている。凡庸な隠居生活なので「ハレとケ」の色合いは薄く、図書館の本の貸し出し記録、クロモリロードで散策してどんな本を読んだとか、それに連鎖して著者のブログのURLをコピペしたり、Web記事を引用したり。
テキストファイルとはいえ、だらだらと文章が蓄積していくと、検索や整理にとりとめなくなってくる。
そこでEmacsのorg-modeというアウトラインプロセッサの存在を知った。

いつかはプログラミングもしたいなと妄想していたが、プログラミング所作を覚えるには残りの人生は少ない。上記のEmacs本もプログラミングへの憧れで購入したのかもしれない。でもそんな動機では、Emacsを使う梃子にはならないだろう。

「今やEmacsはテキストエディタではなく、Org modeのフロントエンドと考えたほうが良いのではないか。」

と解説されたブログ記事に触発されて、自分のテキストファイル(日記)を整理することにした。文章移動のコマンド、org-modeのコマンド、Emacsの対話型の処理を拡張するhelmなどを自分の日記で試していると、なんとなく乾いた幸福感みたいなものを感じる。

Emacsで日記を読み込むと、折りたたまれた状態。

helm-miniでバッファの状態を確認できる。



** TODOで図書館関係の簡易貸し出し表を作成している。テキストファイルなのにたやすく表を作成できるのが便利。




昨日の凡庸な日記。



今日もクロモリロードで散策して、緑陰で読書。昨夜から春日武彦氏の著作2冊を読了。薄暗い書斎で書かれたような湿度のある文章は嫌いじゃないけど、連続して読むと妙に疲れる。ただ引用されている本がなかなか興味深い。

そして夜に、日記を書く。

コンピュータの乾いた文章と晩秋の天気。承認欲求からは遠く離れているのが心地よい。

明日は孫守ヘルプ、明後日は友人と近場をハイキング。今週、女友達と食事会と思っていたら、自分の勘違いでLINEのやりとりを再確認すると、来月下旬だった。加齢とともにこうした失敗も生じる(だから仕事を辞めて、隠居生活に入ったわけで)。勝手に枯れ木のように老人になっていくと夢想していたが、多くの現実は「プラスティックのように薄汚れてひび割れていく」のが老人ということか。
老人に先達はなく、年寄りにスタンダードなし、と思うので、最近は「望ましき隠居」イメージをひとり妄想するのみだ。


1969年の川ガキ2021-09-07 22:40

9月、猛暑も峠を越えたようだ。長雨であまり夏っぽい季節ではなかったけれど、猛暑でなくなるのは助かる。
夏大好きとはいえ、最高気温35度・太陽ギラギラの下、ロードバイクで走るのはしんどくなってきた。
68年使ってきた心肺機能は確実に劣化している。途中、熱中症気味(頭痛、息が上がるなど)になったり、真夏の太陽のもとで走って帰ると、声がかすれるようになった。以前は200kmほど走るとそんな状態になったけれど、加齢とともに排熱処理が低下しているのだろう。

今日は最高気温30度くらい、そして曇りがちの天気。カーボンバイクで走るには、適当な天候。
午前10時頃、カーボンバイクで発進。脇腹の痛みもなくなって、ダンシング・下ハン体勢でも違和感がない。完全治癒には1ヶ月ほどかかった。ロードバイクはある程度体幹がないと、走るのがしんどいからね(ゆるゆるとはいえ)。

「猪名川町・川遊び」で検索すると、親水公園のような場所が多いけれど、メープル猪名川近くの川を紹介しているサイトがあった。旧県道12号線や歴史街道沿いの猪名川で、おもに中学生くらいの男子が泳いでいるのを見たことがあり、そういえばここもけっこう泳いでいる子たちがいたな。

あらためて橋から見てみると、小さな森から川に向かって階段があり降りることができる。けっこう深さもある川やね。



「川ガキ」という本を先日読んだ。全国の川で遊ぶ子どもたち(川ガキ)の姿を撮ったフォトエッセイ。

私のふるさと高知の川としては
・高知県本山町 汗見川
・高知県四万十市 四万十川
・高知県安田町 安田川
・四万十川支流 黒尊川
・高知県仁淀川町 土居川
などが紹介されている。

著者のサイトにも写真が紹介されている。

川ガキ | Kawagaki

とくに安田川は魅力的。来年の夏は、その川で泳いでみたいな。
この本を読みながら、遠い記憶がよみがえった。

高校1年の夏(16歳だ!)、クラブの同級生の自宅へ、もうひとりの同級生と泊まりがけで遊びに行った。友人のおばあちゃんが縁側に座る猫みたいな感じで「よーう、きたね」と声をかけてくれて(ニャーとはいわなかった)、夏祭りの始まる前に近くの物部川に3人で魚取りにいった。友人の手作りのヤスを借りて、川に潜って鮎をねらう。鮎は川のなかで俊敏だ。けっきょく川に慣れている彼が鮎を2匹、ヤスで突くことができた。

河原の石を集めて、枯れ木を下に敷いて点火。鮎やその他の魚に醤油をかけて、石の上で焼いて食べるのだ。
あれはうまかったなー。

夜は地元の夏祭り、多くの露店が出ていた。いまでいう古民家ような彼の自宅で、そして蚊帳のなかで3人で何かを遅くまで話していた。何を話したかは記憶にない。

2016年の夏、高校の同窓会名簿が届いた。4年にいちど同窓会が開催されるのだが(私は40歳のころ一度参加したのみ)、その名簿の彼の欄には「逝去」となっていた。クラブも辞め、クラスも私は文系・彼は理系と分かれた高校2年からは彼との交流はまったくなくなった。
鮎を捕ることには敏捷だったが、16歳としては物静かな男の子だった。川での彼の笑顔を50年以上経っても、くっきりと覚えているのは、そこに豊穣な川があったからだろう。

閑話休題

くろまんぷを北から通過。定点観測。

栄養補給として、道の駅いながわで焼き餅を2個購入(白餅とヨモギ餅)。ぱくぱくといただく。



阿古谷などの里山では稲刈りが始まっている。

気持ちよく83kmほど走った。余力はあったが、腹八分目がいいだろう。午後4時頃、帰宅。



夜は和田誠「ほんの数行」を読む。


和田誠氏が装丁した本のうち100冊を簡潔に、でも魅力的に紹介している。和田誠氏はちゃんとその著作を読んでいるようだ。
色川武大「うらおもて人生録」にはこんな紹介文がある。


表題は「九勝六敗を狙え。」

「色川さんの基本的な考えは、人間の運は誰だって長い目で見ればプラスマイナス・ゼロになる、というものだ。大儲けするやつは健康を害し、儲けて丈夫なやつは性格を破綻させる。どっちみちトントンなのだ、という考え。」(同書27頁)

荻原魚雷氏もたびたび、この「九勝六敗を狙え。」に言及している。私はいままでの人生を何勝何敗だろうかと計算したことはないな。たぶんそれは20歳以降は計算に悩まされる生活を、あまりしてこなかったからだろう。
ロードバイクで走れるこんな日が、そして来年の夏は「川ジジイ」として遊べる日があればいいかな。


「お祭り資本主義」から遠く離れて2021-08-29 20:26

2週間ほどにわたる長雨も終わって、夏らしい残暑が戻ってきた。
そのあいだに落車による脇腹の痛みも治って、日常生活には支障がなくなった。くしゃみするとまだまだ痛いけど(老人になるとくしゃみがなぜか多くなる)。長雨のあいだに2週間で治ったのだから、骨折やひびは入っていなかったのだろう、多分。

オリンピックは興味のある男女マラソンをTVで観戦したが、それ以外はとんと興味なし。
スポーツはするもので、昭和のオヤジの人生を重ね合わせるものじゃないし。
手のひら返しのマスコミのオリンピック狂騒報道眺めていると、日本は金と効率と異性という「欲望資本主義」から、日常生活にハレを与えておけば国民は熱中するだろう、そしてそれに関係するものたちが利益を得るだろうという「お祭り資本主義」を主眼にしているようにも感じる。

そういった風潮から、隠居生活はかなり遠い。

コロナ蔓延状況の先が見通せない。コロナによって、わたしが制約を受けたことは、気のおけない友人らとの飲み会、自由な海外・国内旅行の機会。この状況はまだまだ数年は続くという予測もある。うんざりする感もあるが、コロナ前の生活スタイルに戻るのはなかなかむつかしいだろう。

高知の野根山街道を歩きたい、そしてその計画も立てていたが、高知もまん延防止等重点措置対象実施区域になった。ワクチンを2回接種しているとはいえ、いま高知を訪れるのは妥当ではないだろう。

隠居生活は家族以外、ほとんど人と接しないので、コロナに感染する確率は低い。
老人になると、「執着」「孤独感」「自己顕示欲」のバランスが崩れて「老害」になりがちだ。そういったものとは離れていたいので、なにもない穏やかな日常(睡眠を十分にとり、決まった時間に毎日お通じがあり、本や音楽に親しむ、そしてときおり孫たちの成長を楽しむ)があればいいのだろう。

あと数年、このような制約された生活が続くとしても、老人なりの楽しみを見つけていくのがよいだろう。昨日は女友達らとのLINEグループで、2022年にはスペイン旅行開催と幹事の女友達から提案があった。このグループで国内旅行のみならず、ソウル4回、台北2回、そしてイタリア・フランスと旅行してきたが、コロナ禍のため旅行が中断している。2022年に現在の状況が改善されるかどうか微妙だが、楽しき予定をたてることは大切だろう。

それまではクロモリロードで街を散策し、緑陰で読書し、秋になれば近場の山をひとりトレッキングする。そんな生活をしばし送っていきたいな。

先日、義父の入所している施設でリモート面会。義父も96歳となり、生き疲れている雰囲気があるが、食欲は旺盛のようなので、100歳まで生きるかもしれない。老いるということはなかなかにむつかしい。

義父との面会のあと伊丹の宮前の喫茶店で妻とひと休止。ジビエいりのピザと珈琲を注文して、ビザをシェアしていただく。「意識高い系喫茶店」なので、女性客が多くて、じいさんひとりでは入りにくい店だが、妻と3回目の入店。宍粟市から届いた野菜が店内で販売されていたので、いくつか購入。

最近読んだ本でおもしろかったもの。


ブックカフェなるものは、たしかに「本を読むためのカフェ」をメインとしているものではなく、なんとなく本も置いてある雰囲気の店なんやね。
自宅のソファか公園の緑陰で読書することが多いけど、自宅だとそのへんに配置されているスマホ・Chremebookなどでついつい「時間を溶かしてしまう」ことが多くなる。
このような読書のみする店ーひとりでの来店を前提としていて、パソコン・私語禁止、そして料金体系は2時間半程で2000円は最低支払うというシステムーは、店も経営維持できて目に鱗やね。

隠居生活に入った当初、ジョギングしたりウォーキングしたあと銭湯に入り、立ち飲み屋で飲むことが多かったけど(いまはできない情景)、いちげんさんの立ち位置(そんな店は昼から常連さんがかなり占めている)にやはり馴染めない。店の中にある厳然としたポイント制が、自分には馴染めないのだなとこの本を読んで得心した。

Kindleで「Meets Regional」のバックナンバーを読んだけど、カフェ特集などに対する違和感はそこがなんとなくおしゃれな空間を提供しているだけだからだろう。
余談だが「Meets Regional」に連載されている岸政彦氏の「大阪人になりたい」のエッセイは必読。関西に住む魅力が伝わってくるエッセイ。生まれ育った高知の倍以上、40数年の関西生活はけっこうおもろかったな。

昨日は、ひさしぶりに長男夫婦の次男(まもなく3歳)を預かる。いつものごとく部屋で遊んで、浴室で水遊び。午後2時過ぎから孫は午睡に入り、2時間半ほどぐっすりと寝る。夕方、長男が車で迎えに来たが、当初は「いやや」と帰るのをぐずっていたが、長男が「あめちゃん、あるで」と誘うといそいそと帰り支度を始める。かわいいもんです。

夜は、NHK BSの「大瀧詠一特集」をみて、日本酒を飲みながら読書。

今日は緑陰で読書。燃え殻「これはただの夏」
想像以上にうまい小説。夏の終わりに読むにふさわしく、映像や夏の匂い、都会の喧騒がイメージとしてわきたつ。たぶん映画化されるのを前提としているような小説でもある。


大貫妙子の「その日暮しは止めて」という曲が小説でチョイスされているのも渋い。

緑陰で読書していると、なんちゃってスマートウォッチのXiaom Mi Band 4がバイブする。
スマホに届いた家族アルバム「みてね」の更新通知がスマートウオッチにBluetoothを経て届いたのだ。スマホをみると、次男夫婦の次女(生後2週間)に長女(まもなく4歳)が添い寝している画像と動画。

わたしにとっては凡庸で静かな夏、されど「欲望資本主義」や「お祭り資本主義」に時間を溶かすことなく生きるライフスタイル。肩肘張らずに生きること、それでじゅうぶん。
伊丹の宮水をボトルに補充してポタリング



「PAPERSKY-KOCHI-」と土佐人の翳2021-05-22 20:01

2021年5月19日(水)
前日の天気予報は曇天だったが、予報より梅雨前線が北上してしまい朝から雨。
週に一度は平日にカーボンバイクで80kmほどは走ろうと算段しているが、それもかなわず。

午前中は読書。


なぜかフランス旅行の帰路の飛行機で見た北欧の夜景を思い出した。長いフライト時間だから機内は満席なれど静か、そして室内灯も灯りが暗めに設定されている。眠れずにシート前のTVでフライトレコーダーの画面を見ると、ちょうどスカンディナヴィア半島の上空を通過している。

飛行機の窓から眼下を見ると、北欧の町の灯りが美しい。東京や大阪などの都市の夜景と異なり、淡い灯りが点在している夜景だ。

この詩集のようなコミックを読んでいると、その飛行機の場面も思い出したな。

午後からは小雨となったので、ウォーキングで西北のジュンク堂へ。新刊をチェック。
「PAPER SKY-KOCHI-」の新刊が出ている。特集は「海へ、山へ、大自然の懐へ、野性を刺激する “モダン・ノマド” の高知旅」


毎年一度は高知旅をしようと思っていたが、コロナ蔓延のため遠くへの旅行は自制している。

ウォーキング 10km弱

忘れられた玩具



5月20日(木)
午前中はかかりつけの病院で定期検診。雨なので散歩がてら病院へ向かう。事前にWeb受付しているので、自分の順番となる頃に病院へ到着。

先月の血液検査の結果を主治医から聞く。尿酸値が高め以外は、いまのところ異常な数値はなし。尿酸値は30代ころからずっと高め。ここ数年も高どまりのままなれど、投薬するまではないでしょうという主治医の意見。

あと10年ほどは、だましだだまし身体を維持できればいいかなと勝手に算段しているが、これはさすがに自分のおもうままにはならないだろう。

待ち時間のあいだ「PAPERSKY」Kindle版をダウンロードしていたので、スマホで読む。ローカルとしての高知礼賛の文章が続く。

19年間生まれ育った町がほめられることはよいことだろうが、同時にそれはあくまでも若い移住者や旅人からみた視点という小さく限定的な評価だ。

私は19歳で高知を離れる際、「こんなしんきくさい町には二度と戻ってこない」と密かに思ったが、それも自分の狭い生活史と価値観からくるもの。

司馬遼太郎はかって地元の史談誌に「土佐人の翳」という小文を寄稿している。

「私ども他郷の者の目からみるのに、土佐人の面影にはつねに淋しさの翳がある。孤独というか、虚無感というか、歴史上の土佐人だけでなく、いま私がつきあっていただたいている諸先輩や友人たちにもかならずそれがある。おそらく土佐人自身は自分のそういう特徴に気ずいていないにちがいない。

坂本竜馬が大政奉還後、新政府の役人になることをこばみ、西郷を鼻じろませたのもこの基質であり、かれが、「わしはそういうものになるためにいままで奔走してきたのではない」といったとき、その土佐的翳が一段と濃くなったことであろう。」


南方的明るさや、いごっそう(頑固で主義をとおすこと)はちきん(しっかりものではたらきもんの女性)が土佐人の特徴として強調され土佐人もそれをよしとする傾向があるが、司馬遼太郎は慧眼だったかもしれない。土佐に限らず、ローカルで生きるということはどこか翳を身体にまとわりつかせる、たぶん四国山地に遮られ太平洋は眼前に茫洋と拡がっとていることがかえって、人に翳をもたらすのではないのか。

19年間の高知でまわりの大人や同級生もこの翳とは無縁でなかったような気がする。


若い移住者は、小さく賢く生きるライフスタイルを選択していくだろうし、そのエネルギーは若さの力だろう。

老人のローカル暮らしは無理なので、旅人として今回紹介されている場所も訪れてみたいね。


「PAPEP SKY」のHPを見ていると、雑誌の特集にふさわしい音楽のプレイリストが聴けるようになっている。IdeaPad Duetでプレイリストを聴きながら、特集を読む。グラベルバイクやロードバイクでの旅の記事、石川直樹氏のエッセイなども連載されていて魅力的な雑誌。

5月21日(金)
昨夜は強い雨。今朝も雨が降りつづける。
午後からすこし小雨になったので、路線バスで阪神尼崎駅まで出て、自宅までウォーキング。
バス内ではブルース・スターリング「タクラマカン」を読む。乗り物内ではけっこう読書がはかどる。


庄下川沿いを北上。川沿いの遊歩道は昨夜以来の雨で、ところどころ水たまりができている。


10kmほどウォーキング。



時速から自速へ2021-05-18 19:57

2021年5月15日(土)
午前中は近くの公園で孫守りのヘルプ。長男、孫二人と2時間ほど公園で遊ぶ。
孫1号5歳7ヶ月、孫2号2歳7ヶ月の活発な男子。とくに孫2号は妻に言わせると「幸せオーラ満載の笑顔をする」機嫌よしの男の子(孫1号も機嫌よしだが、おにいちゃんで長男だからそれなりに聞き分けする面が強いかな)。

我が家で昼食後(孫たちの好きなフルーツサンドなど)、長男らは帰宅。私はクロモリロードで散策。

5月16日(日)

1951年の観測以来、もっとも早い梅雨入り。もうね、天も「オリンピックは中止やろ」と宣言しているかのような想定外の早さ。6月に集中豪雨などの天災がきたら、自治体のコロナワクチン接種にも影響を与えかねないね。

午前中は天気がもちそうなので、クロモリロードで図書館へ。予約本を受け取る。

そのままクロモリロードで20kmほどポタリング。

5月17日(月)

朝から義母のコロナワクチン接種予約のため、IdeaPad Duetの前に鎮座。本日からコロナワクチン接種の個別予約(医療機関で接種)の予約が始まるので、Duetの前で待機した次第。午前9時に予約サイトにアクセス。

義母の住む伊丹市はすでに集団接種会場での予約が始まっているが、かかりつけの病院のほうが義母も慣れているだろうから、個別接種を予約することにした。

サイトにはすぐアクセスできたが、肝心の医療機関のリストが表示されていない。HPの説明を読むと、「午前9時から順次指定医療機関をあげていく」とのこと。そうなんや。

あいうえお順に医療機関が更新されていく。尼崎市の予約サイトではIEでは繋がりにくいと注意されている。かつて最大のシェアを誇ったインターネットエクスプローラー(Internet Explorer: 以下、IE)の開発は2015年ですでに停止されているが、まだまだブラウザとして使用しているのかな。

私はブラウザはFirefoxかGoogle Chromeを使っているので、今回はChromeでアクセス。

1時間ほどして午前10時前に義母の通院している医療機関が予約サイトにUpされてたので、すぐに予約。義母とも相談して5月下旬に1回目の接種を予約。
けっきょく1時間ほどDuetのまえに張り付いた状態。サイトにとどまったままリロードすればよいからあまりストレスはない。
そのあいだ妻が横でスマホで予約サイトに架電するも、当然ながらつながらない。本日もNTTが着信制限をしているようだ。

単身の高齢者だとネット予約はかなり敷居が高いだろうね。

午後からは雨がしばし止むようなので2時間ほど散歩。近くの公園にはほとんど人影はない。バラの花が満開。




ここ数日で何冊か読了。


音楽と自分史がつながった著作。音楽に携わったり音楽評論家でなくても、あのとき・あの場所で・あの人と「その音楽」があったことは人生には多い。



最近はハイレゾ音源なるものがあるんだ。ウカウカと生きているあいだに世の中はずいぶんと変化している(当然だけどいろいろなものについてイケないや)。



自転車に関する文章のアンソロジー。
真鍋博の「自転車、そして自転車の思想」が群を抜いている。
1973年にこの本は発行されているが、より速度優先となり「自動車優先社会」となっているのが現状だ。彼の予測は欲望資本主義の中では裏切られ続けたのだろう。

下記の文章には惹かれるね。

時速から自速の時代へ
「スピードがいろいろの価値体型のなかで選択できる豊かさと、それを自分の生活に生かせる手段の豊かさが、本来の交通の核なのである。
自転車の速度にはその選択がある。速く走るのも、ゆっくり走るのも、思いのままだし、自分の意志だ。
自転車の速度は、自分の速度だ。時速というよりも自速である。
これからの新しい人間とスピードの関係には、時速よりも自速を計るメーターがなければならない。
われわれはいま、まちがいなく機械文明のゆきづまりのなかにいる。
だからといって、機械文明を否定すれば、生活はとたんに原始化せざるをえないのだ。
そうかといって、ただ機械文明を肯定すれば、コンピューターだ、SSTだ、そして公害だ、騒音だとSF的悪夢にさいなまれるだけだろう。
ゆきすぎた機械文明を是正するために、文明のテンポを変えざるをえないのだ。」


5月18日(火)

午前中は義父が入所している施設にて義父とリモート面会。
コロナのため面会制限が長く続いているが、それも影響して刺激のない生活になっているかもしれない。タブレット画面越しでは義父ももうひとつ私たちのことを認識できないようだ。まもなく義父は96歳、誕生日祝いとお菓子などをスタッフに手渡し義父に食べてもらうよう依頼。
面会後、義母宅に立ち寄り、預かっていたコロナワクチン接種券を返して、妻が問診票の事前に書ける部分を補充して渡す。ワクチン予約ができたので、義母もすこし安心したようだ。ちなみに私たち夫婦は、まだ予約できていないが本来、より高齢者順が妥当だろうと思っているのでそれほど慌ててはいない。

帰路に伊丹市立図書館に立ち寄る。昨夜、真鍋博「自転車賛歌」の所蔵を各図書館でネット検索したところ、伊丹市立図書館のみが所蔵していた。
閲覧用端末から出庫依頼して、本を借りる。1973年発行だからかなり古い本。

「自転車賛歌 20キロ文明への憧れ」という表題なんやね。

冒頭に「自転車賛歌」という詩が載っている。いくつか興味深い部分を抜書してみると

「自転車の自は、自分の自だ。
原動力は足で、制御は手で。

自転車の自は、自身の自だ。
自分の力で走り、
自分の意志で走る。

自転車の自は、自信の自だ。
たとえひっくりかえっても
自転車のせいにしたりはしない。
自分の力を知っている。
自分の力を信じている。

自転車の自は。自速の自だ。
速度はせいぜい時速二〇キロ、
歩く早さは四キロだから、
二〇キロなら駆ける速度。
時速二〇キロならぬ自速二〇キロの世界。
話もできれば立ちどまりもできる。
ふりかえりもできれば、
知った人には手もあげられる。
知らない人にもめぐりあえる。

自転車の自は、自適の自。
人間にとって悠々自適の生活とは
はたしてどんなものなのか?
いまいちど自ら問うためにー」


自転車優先社会

レンタサイクルで自転車のネットワーク社会となり

公共交通機関に自転車を乗り入れ可能とする社会


そんな社会をおよそ50年前に予測・希望したイラストだけど、高度経済成長・欲望資本主義はそれらを眼中にすることはなかったんじゃないかな。

でも成長神話が色あせたものとなったいま、上記の詩を読むと、自分だけでもそうやって生き滅んでいくのもいいかなと思う。


5月の風とロードバイク2021-05-11 22:30

昨日(5月10日)から尼崎市でもコロナワクチンの電話とWebで接種予約が始まった。サイトにアクセスしてみると、案の定アクセス過多でつながらない。途中、「アクセス過多で中断してます」のメッセージが表示されるのみ。

6月末までの接種可能数は11000人弱。尼崎市は65歳以上の対象人口が11万人ほどいるから、このペースだと2回接種をすませるの20か月ほどかかる計算になろうか。

AIにも劣りそうな首相が、根拠なく「1日100万人接種!7月末までには高齢者の接種を終える!」と宣言しているが、あくまでも「目標」だし、達成できなければ「申し訳なく思っています」ですますんだろうな。

まずは医療従事者、老人施設の入居者・従事者などの接種をすませ、それから高齢者順に高齢者を完了させ、話はそれからだという感がするけど、「嘘をつき続ければ勝ち」という価値スタイルを体現している人たちだから期待できないね。

グチグチいっていても仕方ないので、カーボンバイクで軽く走ってきた。

コロナ蔓延から1年以上、日常制約が続いているけど、ひとり遊びのすきな自分はその点では影響が少ない。43歳から10年ほど単独登山を続け、54歳から14年近くソロライドすることが身体活動の主眼となっている。山岳サークルや自転車チームに所属しなかったので、技量はほとんど進歩しなかったけれど、そのぶん誰にも忖度しなくてよい自由な時間を享受できた。自分の技量以上のことは登山にもライドにも求めないので、遭難も事故にもあわずに生活してきた。まあ単になんとなく運がよかっただけだろうし、それがずっと続くなどと思うほど傲慢でもない。「自動車優先」スタイルをとるドライバーも多いので、街なかを走るときは安全最重視。

西国街道を東進して茨木市の椿の本陣まで走る。街道っぽさが残っていて、街なかでは好きな道だ。

地蔵近くでひと休止。

帰路はやはり南西の向かい風。

農業公園の春薔薇が満開。

58kmほど走った。

さっさと風呂に入って、夕食。そして昨日以来読んでいる本を読了。

表題につられて読んだけれど、ダラダラした小説。

88歳の隠居が主人公だが、認知症気味の妻、50歳前後のひきこもりの長男、「長女」と自称する次男、仕事がうまくいかず老親に借金をせがむ三男。いわゆる8050問題をとりあげているように見えるけど、登場人物の設定がなんか魅力的じゃない。主人公が昭和のエロ関係の雑誌・ビデオの収集が趣味という設定だけれど、ストーリー展開では添え物みたいな感じ。

妻が倒れて介護が始まっても、主人公は94歳なのにかくしゃくとしていて、息子たちもなんも変わらない。まだ若い(作者は執筆時58歳、そういえばその頃私もフルタイムで働きながら毎月1000kmほどロードバイクに乗っていた)ので、作家としては老人のイメージが貧困なんだろうな。でもイメージ力が小説の魅力じゃないかな。

Dマガジンなのでいろいろな雑誌の書評欄を読んでいると、新刊がでると同じような本が取り上げられ、書評もベタ褒めということが多いのに気づいた。ほら、TVのバラエティー番組などで俳優が久しぶりに登場すると、映画の番宣だったりする傾向といっしょやね。

この本も各書評でかなり好意的に書かれていたけど、妻も「ストーリー展開も結末もぞんざい」という同意見。

画家のエッセイ。おいしい日本酒が飲みたくなる。




音楽関係のエッセイもおもしろいのでいま読んでいる本。

コロナ予約のサイトを寝る前にチェックすると、遠くの会場が60人ほど空きがあるけれど遠すぎるので妻のぶんは申し込まず(私は通院している病院で接種するつもりだが、たぶん秋までかかるんじゃないかな)。

今日はクロモリロードで図書館へ。予約本を受けとる。

Emacsを各NotePCにインストールしているので、解説本を流し読みする予定。最近はVimとVScodeがエディターの主力となりつつありEmacsは敬して遠ざける感じかな。たぶんもうキーバインドを完全に覚えることができない。

今年は梅雨入りが例年より早そうだ。それまでロードバイクにひとり乗っておこうか。



はてなブックマークに追加はてなブックマークに追加
Blog(asyuu@forest)内検索

Copyright© 2005-2024 asyuu. All Rights Reserved.