Mi Smart Band 4とソーシャルディスタンス2020-04-12 22:29

Xiaomi Mi Smart Band 4を使い始めて1ヶ月半以上が経った。
入浴時・充電時以外は左手首に装着しているが、すごいよね、このスマートバンド。

・SNSやメール、電話受信を振動で知ることができ
・ウォーキング時の音楽の音量調整や曲送りもでき
・スマホが見あたらない(けっこうこれがあるんだな)、スマホを探索して鳴らすことができる。
・廉価、そしてバッテリーが2週間以上(充電量20%未満になると充電する)もつ。

ということで愛用しているが、バンドが黒のみなのでちょっと飽きてきた。
サードパーティから互換性のあるバンドが多く出ていて、複数パックで廉価。
でも純正品がやはりシリコン製の肌触りや、造りもしっかりしているようなので、替えとして「ダークレッド」を注文してみた。

「ブルー」は「ブラック」とそれほど変わらないし、オレンジはスーパー銭湯のロッカー用鍵バンドみたいだし(真夏にはいいかもしれない)、ライトピンクはさすがに爺さんにはまちがいなく不向き。
ということで渋いと思われる「ダークレッド」を注文。

日本郵便にて到着、配達のみなさまご苦労様です。

予想していたよりシックな感じでいいね。
デフォルトの黒バンド

新しいダークレッド

気分で交互に使うことにした。

昨日は13kmほどジョグ&ウォーク。

伊丹の猪名野神社で安寧の神頼み、そして名残の桜。

今日は雨で気温低下なので自宅で読書。

さすがサブスリーランナー、トレイルランと登山用歩き方の相違の指摘が的確やね。

コロナウイルスはグローバリズムと東京一極集中主義の弊害を顕在化させたけれど、落ち着いたあとのライフスタイルを変化させるような気もする。

地球が壊滅的になる前に、ほとんどの人間は歴史上、その生命を終えてきたのだが、それも危ういもの(人類の有限性)だと気づかせた今回のウイルス蔓延状態。
多くが生き延びて、本来の自分の命を老化とともに全うするという当たり前の世の中が必要なんだろうな。

三密以上に、ソーシャルディスタンス(社会的距離)をキチンととりながら生活していくしかないだろう、だからこそ働き方も本来見直すべき時に来ているが、「欲望資本主義」優先できた社会がすぐに変わるのはなかなか難しいだろうね。


この記事は参考になるな。
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ーー週末、みんなにそういう風に過ごしてほしいのですね。

僕は暗いので、一人で長時間のジョギングをするのが好きなんです。2〜3時間、ものすごくゆっくりしたスピードで走ることを「LSD(Long Slow Distance)」というのです。

一人で散歩するイメージで、ゆっくり長時間、小さい負荷をかけながら汗をかく。本当に暗い趣味だからこそ大好きなんですけれども(笑)。こういう活動なら、全然構わないです。いっぱい歩き回って、でも立ち止まって30分以上人とは話さないでほしい。

みなさんも工夫しながらできることはいっぱいあると思うのです。

企業の方にも訴えたいのですが、この行動制限は長期化します。家にいながらできることや、オープンエアでできることを開発するなど、ビジネスが持続できるような至急の開発に協力してもらいたいです

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家に閉じこもるだけでは、私のような老人は身体能力が低下するばかり、身体性を感じる活動は必要だろうな。




友人とSNS2020-04-14 22:44


家の近くに武庫川が流れていてよかったな。川は洪水などの災害をもたらすこともあるけれど、風が吹き抜ける地形はやはり気持がよい。

毎日午後から10kmほどジョグ&ウォーキング(ウォーキングのほうが中心だが)をしている。ロードバイクにしろジョグにしろ、クイクイとお尻を動すので腸が動くのだろうか、お通じが好くなる。快食・快眠・快便、そして身体に痛みがないというのはとても贅沢なこと、そのためには閉じこもりっぱなしではかえって健康には悪い。

でもこんなご時世、武庫川の河川敷は広くて風が通り抜けて、ありがたい場所となっている。

昨日は雨の中、傘をさしてトレイルランシューズでウォーキング。
名残の桜。

そして雨の公園には誰もいない。


今日は北風が強いながらも、快晴。

昨日の花散らしの雨にも耐えたようだ。

これから満開を迎える花もある。
よく見ると、蝶ではなく蛾が花の蜜を吸っている。



足下のタンポポ。

みな余裕がないのだろう、スーパーのレジでイライラしたおじさんが店員に苦情を言っていたと買い物帰りの妻が言う。街はマスク姿で溢れている、なにか既視感があるなと思ったら、阪神淡路大震災後の神戸の街がマスク姿で溢れていたな(その後、倒壊したビルや家屋の撤去が始まり粉塵がひどかった)。

阪神淡路大震災はインフラ(水・鉄道)が壊滅的打撃を受けたので、考えてみると現在の情況よりは危機的だったけれど、コロナウイルスは見えなくて、かつ先行きがより不透明なのでじわじわした不安感があるんだろうな。

元来、非社交的とはいえ、定期的に会っている友人たちと、飲んで食事して、バカ話をするという時間が喪われているのは、思った以上に空虚感があるんだと気づいた。

だからSNSなどでときおり、くどくならない程度にお互いの近況などを連絡しあうのもいいだろうね。

震災時にはいまのようなスマホは存在しなかったので、SNSは家族や友人を結びつけるツールとしては(くだらぬデマ情報を除いて)役立つものだろう。

今日も友人らとLine・メールなどで近況を語り合う。
どっかでリモートワークで自宅内飲み会ができればいいけどね。


葉桜ジョギング2020-04-16 21:46

最近は武庫川河川敷を毎日10kmほどジョグ&ウォーク
ロードバイクに乗るのはすこし消極的だ、事故って医療機関のリソースを使わせるのはちょっとね。

保育所も特別保育(保護者の職種や勤務状況などを申告してもらい、受け入れ対象を限定)に移行している自治体が多くなってきている。長男夫婦・次男夫婦も奥さんが医療関係の仕事に従事しているし、息子たちも在宅勤務ができない職種、おそらく特別保育となっても例外に該当するだろう。

でもいざというときにはジジ・ババが助力することになるかもしれないね。公園などでは孫の子守をしている、私たちと同様の老夫婦がそこそこ見うけられる。

孫と遊ぶと4歳の孫(長男夫婦の男の子)が口癖のように「バアバはいつ死ぬの?」と無邪気に妻に聞くので、妻がちょっと戸惑っている。

「つーくん(孫)が結婚する頃かな?」と答えていたらいいんじゃないのと私は妻に話しているけれどね、孫にとっては当然ながら死というのは抽象的で茫漠としたもの。

コロナウイルスで世情がトゲトゲしいが、みないつかは死んでしまう、それが明日かもしれないけれどそれにとらわれすぎると今日という日を生きることはできない。もちろん老人になると孫と異なり、死は近しいものに次第になっていくのだろうけれど、平凡な日々を慈しむことがより大切じゃないかな。


山田風太郎の「人間臨終図巻3」を読む。65歳〜76歳迄に亡くなった古今東西の著名人が対象。ちょうど私が生き、死ぬかもしれない年齢なので、興味深い。ほとんどの人は情けなく死んでいくが、それが動物としての宿命だろう、人生100年時代は妄言にすぎない。

コロナ関連で鬱屈した気分になるので雑誌も読む。


この本は電子書籍としてダウンロード。

この歩く旅はとても参考になるね。
十津川バスでの運転手さんとの会話が素敵、犬連れなのに他の乗客の同意を得て路線バスなのに犬と一緒に乗車できる場面など、ギスギスしていない十津川村の雰囲気が良く伝わってくる。

また十津川へも旅行したいな。

今日は武庫川左岸を宝塚方面へとジョグ&ウォーキング。往復16kmほど。

小さな花や

葉桜のほうが好きかもしれない。




ウォーキングと缶ビール2020-04-17 22:31

今日はジムが休みのため運動不足になっている妻と武庫川河川敷をウォーキング。

持参したツマミを食べながら、缶ビールを飲んだ。
本来ならば、立ち飲みで平日昼間からビールや日本酒をちょっと飲むのが隠居の楽しみだったが、さすがにこのご時世、リスキーなことはできない。

とはいえジョグ&ウォーキングの途中、何度か訪れた立ち飲みを外からのぞいてみると、常連さんらしいオヤジ達でそれなりに賑わっている。店にとってはありがたい存在だろうが、狭い角打ちで飲むのはやはり自制せざるを得ないだろうね。

グローバリズムや欲望資本主義を肥大化させてきた平成時代を経て、少子高齢化で人に優しくない社会作りに邁進してきた最近の日本は、オリンピック終了後の「祭りの後の寂しさ」を迎える予想より早く、コロナ後の世界をどのように生きるのかという分岐点を迎えたのかもしれないな。

凡庸な私にはその解決策をとてもながら鳥瞰できないけれど、生き延びて普通に老人として死んでいきたいと望んでいる。

昨日は長男や次男にLINEで仕事の様子などを尋ねた。なかなか在宅勤務をすることのできない職種だが、有給や時差出勤で対応しているようだ。

息子たちや友人らもキチンと生き延びて、そして当然ながら私と同様の普通の人々が生き延びて、コロナ後の世界を俯瞰できる市民として成熟できればいいかなと思う。

はじめての町2020-04-20 21:54

人生100年時代だとか、「孤独のすすめ」とかが遠い昔の戯れ言のように感じられるような、なにか鬱屈した雰囲気が漂っている。

今日は午前中は長男宅に出向いて、孫と小一時間遊ぶ。長男の奥さんが通院したいが、このご時世、子ども達を一緒に連れて行くことができないのでLINEを通じて助力の相談があったので、すぐにママチャリで応援に行った。

私たちも保育所に息子たちを預けてフルで働いてきたので、助力することにやぶさかではない。でも長男夫婦も高齢者である私たちにコロナウイルスを感染させることを危惧して、以前よりは交流は少なくなっている(現在はすべて自分も保菌者であるかもしれないという距離の取り方が必要な段階だろう)。

今週は長男の奥さんも有給を何日か入れており、長男も在宅勤務が難しい職種とはいえ、会社がコロナ対策として特別有給を認めたようで、週一日はその特別休暇を取得する予定とのこと。

私たちは人的接触が少ないので、息子たち夫婦が疲れ切って免疫力低下することをかえって危惧している。できる範囲で助力は必要だろうね。

平日はソーシャルディスタンスを十分とりながら、武庫川河川敷などを10kmほどジョグ&ウォーキングしているが、人が近づくとジョグを止めてウォーキングにして息を吐かないようにしている・・・

神経症的だが、それくらいするほうが互いにストレスが生じないかもしれない。

TVの下品で扇情的なワイドショー・情報番組を見てもしかたないので、読書したり、スポーツ系の録画番組を見たりする。NHK・BS1で放送された「高知龍馬マラソン」の特集がとても魅力的で、私でも走ってみたくなるほどだった。


京都新聞Web版で「黒田百年桜」がほぼ満開になったことを知る。
なんどかロードバイクでこの百年桜の前を通っているが、開花した桜に出会ったことがない。今年の桜は人に見られることも少なく、ひっそりとその花を山里で満開にさせていたのだろう。






若かったのでロング走ることができたな。

茨木のり子さんの詩「はじめての町」を読む。
いまコロナウイルスで私たちは移動の自由が制約されている。そしてそれがいつまで続くか現時点では不明だ。

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はじめての町  / 茨木のり子 

はじめての町に入ってゆくとき
わたしの心はかすかにときめく
そば屋があって
寿司屋があって
デニムのズボンがぶらさがり
砂ぼこりがあって
自転車がのりすてられてあって
変りばえしない町
それでもわたしは十分ときめく


見なれぬ山が迫っていて
見なれぬ川が流れていて
いくつかの伝説が眠っている
わたしはすぐに見つけてしまう
その町のほくろを
その町の秘密を
その町の悲鳴を


はじめての町に入ってゆくとき
わたしはポケットに手を入れて
風来坊のように歩く
たとえ用事でやってきてもさ


お天気の日なら
町の空には
きれいないろの淡い風船が漂う
その町の人たちは気づかないけれど

はじめてやってきたわたしにはよく見える
なぜって あれは
その町に生まれ その町に育ち けれど
遠くで死ななければならなかった者たちの
魂なのだ
そそくさと流れていったのは
遠くに嫁いだ女のひとりが
ふるさとをなつかしむあまり
遊びにやってきたのだ
魂だけでうかうかと


そうしてわたしは好きになる
日本のささやかな町たちを
水のきれいな町 ちゃちな町
とろろ汁のおいしい町 がんこな町

雪深い町 菜の花にかこまれた町
目をつりあげた町 海のみえる町
男どものいばる町 女たちのはりきる町

― 茨木のり子詩集 落ちこぼれ (理論社)
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コロナウイルス後の世界は、私たちのライフスタイルを変えざるを得ないだろう。
それが強圧的で排他的な世界ではなく、共生としての世界であることを、そして未来の子ども達にとって生きやすい世界であることを希求するのみだ。




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