三宮の夜2018-03-21 22:43

昨夜は職場の元上司、後輩と3人で飲み会だった。
阪神大震災当時の上司と後輩、もう23年も経ったのが不思議なほどだ。

今月末で私は組織を完全引退するので、ついつい昔話に花が咲く。
長男が中学1年の頃、管理教育に閉口している傾向があったので元上司と息子と3人で六甲山に登りに行った。長男は先に軽快に登山道を走っていって、木に登って追いついてくる私たちを待っていた。当時私は43歳、元上司は47歳だった。二人で六甲山系、比良山系、北摂山系、南アルプス、九州の山々を登った。

その後、組織人としては生き方が異なったので、私の山歩きは基本単独行スタイルとなっていったが、長男は中学時代のことを今でもよく覚えている。

一度は長男を交えて3人で飲んでみようと約束して解散した。

そして今日は次男夫婦が娘のこはるちゃんを我が家に連れてきてくれた。
春の嵐っぽい不安定な天気だったが、大阪市内から車で我が家に来て、要望のあったピザとサンドイッチをランチとして皆でいただく。
孫のこはるちゃんは4ヶ月半、首も据わってきて腹ばい運動もできるようになっている。

初めてのジイジ・バアバ宅なのでちょっと機嫌が悪く、泣くので交互に抱っこすると女の子のためだろうか、やはり男子と違って柔らかな感じがする。

次男夫婦も仲睦まじくやっているようなので、こちらとしても安心だ。
次男夫婦から妻に誕生日プレゼントがあった。家族には恵まれたなと思う。

組織人としての飲み会は、あと退職日に仲のよい友人らとおこなって最後の予定。




ここではないどこか あなたではないわたし2018-03-22 22:56

まもなく桜の季節だ
組織人を辞するまで、ほんとうにカウントダウン状態になった。

先日、元上司や後輩とお酒を飲んだときに
「なぜに退職するのか?」と尋ねられたけれど、自分でも明瞭には説明しにくい。

ここではないどこか
あなたではないわたし

という存在に自分を置きたい欲求が勝ってきたのだろう。

残念ながら老人として真似たいスタイルの人を、この組織では見いだすことはできなかった。唯一、どんな素敵な老人になられるだろうと、こちらが勝手に楽しみにしていた先輩は私より若くして亡くなられてしまった。

自分には真似るべき先達がいない。
だからこそ、ここ(組織)ではないどこか、あなた(組織人に執着し続ける人々)ではないわたしに、自分のスタイルでなっていくしかないだろう。

望むらくは、「あんな爺さんもいいな」とたまには思っていただける存在になればいいなとは思う。

桜と「ランゲルハンス島の午後」2018-03-28 19:27

本格的な春、街中では桜が満開になりつつある。

組織人として働くのも残り二日となった。

クロモリロードで街中の桜を眺めている。


日曜は神崎川ー淀川右岸を経て背割り堤へ。帰路は大山崎から西国街道。
平地走で102km

今日は西宮の関学ー大池公園ー越水浄水場などを経て夙川へ。

夙川沿いは花見客で賑わっている。

夙川を南下して香櫨園浜へ。

村上春樹のエッセイ「ランゲルハンス島の午後」を思い出した。
ランゲルハンス島の午後 (新潮文庫)
素直な中学生だった村上春樹が、忘れた生物の教科書を自宅まで取りに帰り、気持のよい春の岸辺で寝ころぶ時間を「ランゲルハンス島の午後」と名付けた有名なエッセイだ。

夙川・葭原(あしはら)橋
「 僕の家と学校のあいだには、川が一本流れている。それほど深くない、水の綺麗な川で、そこに趣のある古い石の橋がかかっている。バイクも通れないような狭い橋である。まわりは公園になっていて、キョウチクトウが目かくしのように並んで茂っている。橋のまん中に立ち、手すりにもたれて南の方に目をこらすと、海がきらきらと光を反射させているのが見える。」



「まるで春の渦の中心に呑みこまれたような四月の昼下がりに、もう一度走って生物の教室に戻ることなんてできやしない。1961年の春の暖かい闇の中で、僕はそっと手をのばしてランゲルハンス島の岸辺に触れた。」

私ももう「会社の会議室に戻ることなんてできやしない」

新しい水(隠居後の生きるスタイル)は新しい革(老人として生きる身体)に盛らなければならないだろう。






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