村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」再読2008-05-13 22:18

仕事でうっかりミスをしたり、雨模様になって少し気分が塞ぎがちだ。こんなときには村上春樹の短編集を再読する。

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

単行本の奥付を見ると2000年2月25日発行。8年前に読んでいる。阪神大震災(1995年1月17日)のことが村上春樹の小説で初めて記述されたということで話題になった本だ。当然と言っていいだろうか、震災によって直接に翻弄された人々は小説には登場しない。

「UFOが釧路に降りる」
例によって妻から一方的に別れを宣言される男がいる。「あなたは優しくて親切でハンサムだけれど、あなたとの生活は、空気のかたまりと一緒に暮らしているみたいでした」(同書13頁)
村上春樹の小説では女性が「あなたといると無性に淋しくなるのです」とか「次第に自分がすり減っていくのがわかるのです」とか別れの言葉を言い、彼らはそう思ってもしかたないとひとり納得する。

人を愛してもなんら変わらないものがあるかもしれないのだ。それを村上春樹は私たちに提示するのかもしれない。

「アイロンのある風景」
たき火を眺めながら、「からっぽで生きてきた」と感じる女性と中年の男が死と向き合う。だがそれはたぶん抽象的な死だ。日々、私たちの心は死にすこし再生しているかもしれないのだ。

「神の子どもたちはみな踊る」
「タイランド」
心の中に石がある人たちの小篇。その石はたぶん成長するにつれ、年を経るにつれ大きくなっていく。その石に自分が呑み込まれるのか、砕いていくのか。受容しながらそれも自分と認めていくのか。

「かえるくん、東京を救う」
この短編集ではいちばん好きな作品かな。村上春樹特有の寓話、そして残酷さ。東京に大地震を起こそうとするミミズと戦うために、かえるくんが同士として選んだのは地味な信用金庫職員。日々の平凡さの中に理不尽な邪悪さが潜んでいることを感じることができる。

「蜂蜜パイ」
村上春樹の作品にしては珍しく希望を残す作品。「ノルウェイの森」から村上春樹がすこし遠くに来たことを表しているのだろうか。

どの作品も静かで雨の日に読むにはぴったり。駅前のカフェ(ここの珈琲はおいしい)で一気に再読しました。

次は「東京奇譚集」を再読予定。いまあまり読みたい小説がないものですから。


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