「ネット社会の未来像」を読む ― 2006-01-21 18:25
ひさしぶりに堅めの本を読む。
別に、堅めの本を読んだからといって、賢くなるわけじゃないんですけど。
ときおり「わたし、こんな本、読んでます」などとその本の引用だらけの文章を回覧する管理職がいる。でもー,「その本を書いた人が賢いのであって、読んでいるあなたが賢いわけじゃないんだから」とイジワルを言いたくなるときもある。
本書は、対談集だが、ずいぶんと後で加筆・修正されているようだ。だから、ちょっとした論文集のつもりで読んだ方がいいみたい。
目次は
・第1章 「動物化」と監視社会の奇妙な関係ー忍びよる情報化の影
・第2章 NHK問題から見る日本のメディアー権力の介入とメディアの公共性
・第3章 メディアの生態系ーフジテレビ騒動からメディアの未来を考える
・第4章 テレビとインターネットの仁義なき戦いーホリエモンのビジネスモデル
・第5章 著作権のかげにあるものーウィニー開発者逮捕に見る権益の相克
・終章 ネット社会の未来像ー小泉自民党圧勝に見る日本社会の変容
枕詞が、なかなかおどろおどろしい。
「サイバー世界には何でもある。だけど、人の心だけはない。」
ライブドアとフジテレビのニッポン放送をめぐる争い、朝日新聞記事ねつ造問題・NHK番組改変問題、小泉自民党圧勝と、旬の話題を取り上げている。
宮台真司氏の発言をひさしぶりに読んだけど、ブルセラ援助交際分析時代とずいぶんと論調が違っているなという感じ。
他の論者からも、鋭い分析が提示される。
「大衆社会が2ちゃんねるの母」(同書47頁)東浩紀氏
(朝日新聞のように)「弱者選びの恣意性」が「自称左翼のエゴイズム」と読み替えられている(同書81頁)宮台真司氏
(国策の中で戦後、人工林として推奨された杉林と同様に)マスメディアという巨大な杉の木が発達し、下にはペンペン草も生えない状況」「(同書107頁)水越伸氏
なぜみなが「仕事での自己実現」「消費での自己実現」「非自己実現的な幸い」をめざさなければならないのか(同書197頁)宮台真司氏
などなど。
本書で述べられてることは、たしかに鋭い分析が多くある。
でも、正直、違和感もあるんですよね。
結局、マスメディアにしても、制度論・組織論の傾向がつよい。
その組織にいる人たちは、この本を読んでどう思うんだろう。
もっとイジワルをいうと、神保氏を除いて、みな学者なんですよね。
ともすれば保守的な大学組織にいて、このような「高見の発言」をおなじ大学組織に対してできるのかなぁ。
いまじぶんが組織の中で、仕事へのスタンスを考えているときだけに、ちょっと蛇足ながら思っちゃいましたね。
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