息子の大学進学と二十歳の自分 ― 2006-03-24 22:13

今日は、関西地方は晴天。
午後から、お休みをいただいて、次男の大学入学金を銀行に振り込み。週末なので、銀行は混んでいる。窓口に呼ばれるまで、備え付けの雑誌を読む。保坂和志のエッセイが載っている雑誌で、企業のPR誌だろうか。
もろもろの諸手続をしてから、ふと思い立って、次男の入学する大学を見てみようと、ひとりで出かける。
会社からは、すこし遠い大学なので、梅田で本を購入し、電車内で読むことにする。「Software Design 2006年4月号」は、特集「Web2.0時代の最新Webアプリ活用スタイル」。興味深い記事なので、熟読。
もう一冊は「登山道で出会える花 近畿エリア」(NHK出版)を購入。ほとんどの山を登っているが、知らない穴場がある。不便な山だから、登山者も少ないだろう。テント泊の有力候補地としてチェック。
そうこうしているうち、次男の大学に到着。学内をブラブラする。春休みなので、学生は少ない。静かな構内を歩きながら、30年以上前の自分の大学入学時代を思い出した。入学した大学は、第1志望の大学ではなかった。誇大な自己実現感が挫折した4月に、大学に向かう途中にある桜並木もなにか自分には色あせた風景のように感じてしまう。井上陽水の「いつもと違った春」の歌詞が、頭の中でリフレインする。
大学に入ると、高校の同級生が上級生としていた。「浪人したのに、ここに来たの?」とイヤミを言われる始末。大学入学当時は、やはり希望の大学を再受験しよう!とばかり考えていた。自分の頭とこの大学は釣り合っていないと、ホントに信じ込んでいた。
結局、再受験をすることはなかった。もう過大な自己意識とつきあうことを止めようと思った。それなら社会へ出る準備期間として、この4年間を活用しようと思った。入学時に、私にイヤミをいった高校時代の同級生たちは、先に就職したが、いまはどうなったのだろう。私よりは経済的にも精神的にもしんどい生活を送っているかもしれない。彼らの就職した会社の行く末は、30年後のいまなら明らかになっているからだ。
勝ったとか、負けたとかということじゃない。20歳の自分に未来を見据える力があるというのは、傲慢すぎるのだろう。
次男の入学する大学も、彼の第1志望の大学ではない。20歳の私が憂鬱な春を送ったと同じように、彼もそのような悩みにとらわれるかもしれない。
しかし、困ったときにアドバイスしてくれる友、手助けしてくれる人、人はひとりでは生きていかないのだという素朴な真実を知る4年間であってほしいなぁと、甘い親としては思う。
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