「ウンコな議論」を読む ― 2006-01-14 17:23
いやー、怪著です。
書店で見かけたとき、「なんじゃこりゃ」と思ってしまった。
でも、訳・解説は、あの山形浩生氏。
総頁107頁。そのうち本文は56頁、山形氏の解説は51頁。
本文と訳者解説が、ほとんど同頁数という希有な本。
本文を読むと、「ウンコな議論」の明確な定義があるわけではない。
「嘘をつく」こととは、ちがう概念のようだ。著者は、どちらかというと「嘘をつく」ということには「好意的」であるように思える。嘘をつくためには、対概念として「真理があること」を前提としなくてはならない。真理に反する形で、情報を提示しなければならないから。だから、「嘘は鋭い焦点を持つ行為」である(同書42頁)。
たしかに、嘘をつきとおすには体系性がいる。嘘の体系が、いちおう整合性をもっていなければならない。
では、「ウンコな議論」とはどうなのか。
著者は「ウンコな議論」は、「知りもしないことについて発言せざるを得ぬ状況に置かれたときには避けがたいものである」(同書51頁)という。
「ウンコな議論」をする人の焦点は、「ピンポイントではなくパノラマ的である」(同書43頁)であるという。「ウンコな議論」者は、「正直者や嘘つきの目のように真実のほうを向いておらず、単に自分の発言で切り抜けるにあたって有益なときだけ真実のほうを見ている。自分の発言が現実を正しく描いているか気にしない。目的にあわせて適当に選び出し、あるいはでっちあげるのみである。」(同書46頁)。
民主主義や文化相対主義が「ウンコな議論」を蔓延させているという山形氏の指摘も興味深い。
ひょっとすると、本文より訳者解説のほうが、おもしろいかも。
それにしても、書名「ウンコな議論」は、やはりちょっとという感もする。
原題は「On Bullshit」は、直訳すれば、ウシの排泄物とのこと。本文とも併せて、インパクトある書名になったようだ。
でも、Google検索で「ウンコ」と検索すると、このブログに行き当たるのはどうかとも思う。
こんなに「ウンコ」「ウンコ」と連呼したのは小学生以来ですね(苦笑)。
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