森下雨村 ― 2020-10-01 22:17
2020年9月25日(金)
雨。野根山街道本を読む。古本特有の匂いと秋到来をより告げる雨。
9月26日(土)
長男夫婦たちは孫1号のストライダー大会参加のため滋賀に前泊するので、孫の子守は無し。
クロモリロードで散歩。宝塚市立図書館で予約本を受け取る。
武庫川河口付近まで。
雨。野根山街道本を読む。古本特有の匂いと秋到来をより告げる雨。
9月26日(土)
長男夫婦たちは孫1号のストライダー大会参加のため滋賀に前泊するので、孫の子守は無し。
クロモリロードで散歩。宝塚市立図書館で予約本を受け取る。
武庫川河口付近まで。
浜に下りる簡易階段はやはり壊れている。
本屋のみとして商売を維持していくのは困難な時代だろう。
若い頃までは私とそれほど異ならない体験をしている(アルバイトを転々とし、貧しい)が、その後、私自身は組織人として何十年も働いたので、別の人生もあったかなとも思う。
でもそれは老人の感傷だろうな。
再読。
著者へのインタビューを再構成したものだろうけれど、読み返してみるとアスリート特有の本音が出ていて面白い。
9月27日(日)
カーボンバイクで午前11時前に発進。当初は北摂方面に行く予定だが、妙に向かい風、パラッと雨粒が顔に当たったので、雨雲レーダーをスマホで見ると北摂の山あいを小さな雨雲が通過しそうだ。
向かい風にも萎えて、西国街道を東進。
茨木市の椿の本陣付近で曼珠沙華の群生。街中なれど、そこそこ広い農地が残っている。
勝尾寺川。昔は西国街道の旅人が休んだ土手だったろう。
茨木市・摂津市・吹田市などを気ままに走って、服部緑地などにも立ち寄って午後3時半に帰宅。
70kmほど走る。
9月28日(月)
午後から長男夫婦の孫の子守ヘルプ。
ちょっと疲れたので、夜は近場の蕎麦屋で外食。やはりなかなか美味い店。
9月29日(火)
長男の仕事が忙しいとのことで、長男夫婦の子供(孫二人)の保育所迎えなどのヘルプが入っている。
それまで時間があるので、尼崎下町・猪名川・藻川をポタリング。
曼珠沙華の群生。
橋の下のベンチで休憩、読書。
森下雨村(1890年(明治23年)2月23日 - 1965年(昭和40年)5月16日)は、探偵小説雑誌「新青年」の編集長として、江戸川乱歩、横溝正史などを抜擢、だが52歳にして故郷佐川で農業に従事、とともに釣り人として余生を生きる。
土佐の佐川町は植物学者の牧野富太郎、最近では作家の坂東眞砂子などの著名人を輩出しているが、森下雨村については知恵浅きゆえに知らなかった。
だが古いエッセイなどを読んでいると、森下雨村がけっこう出てくる。
私は釣りという趣味にはまったく不案内であり、今後もその趣味に興じることもないだろう。だが釣り(とくに川や渓流釣り)に関するエッセイを読むのは好きだ。
川があれば当然、山々もある、そしてそこに暮らす土着の人々がいる。自然の美しさや(もちろん厳しさも)、山と川に暮らす寡黙な人々を描いている。
表題の「猿猴(えんこう) 川に死す」は、物部川の主のような釣り友が不慮の事故(川に誤って落ちた子供を助けようとして溺死)で亡くなったことに対する追悼文。
猿猴(えんこう)とは、土佐では河童の一種、まさしく「河童の川流れ」「猿も木から落ちる」のごとく、自然の前では人はあっけなく死んでしまう。
「園さんと狸」は知的障害者との釣りのエピソード、「はぜ釣り婆さん」は80歳になろうかというお婆さんの釣りの描写、「博労の宿」は宮本常一の「土佐源氏」を彷彿させるような土着性の高い作品、「手箱山の仙人」は江戸時代、山内家の殿様に献上する氷室があったという手箱山山麓に住む吝嗇で奇人とも言える仙人(とはいえかなり俗っぽいのがミソ)を描写している。
どの文章も衒いがなく、釣りと自然に対する闊達な描写、そして人々に向ける雨村の眼差しはあたたかい。
雨村は、現早稲田大学卒、生家は佐川町の大地主、だが戦後の農地改革により広大な農地の多くを失ったので戦前と比べると裕福とはいえなかっただろう。だがこの本にはそのような負の部分はほとんど見うけられない。
釣りには不案内だが、子供の頃、汽水域の川でニロギやボラを釣ったり、桂浜の防波堤で入れ食いの釣りをしたり、田んぼ横の川でフナを釣ったりしたことを思い出した。ただ釣りの餌(ミミズやゴカイなどの生餌)が苦手だったので、友人に付けてもらうほどの体たらく。だから釣りにはそれほど熱心にはならなかったのだろう(苦笑
最近の老作家の文章は「孤独」などを説いて、正直煩わしい。
雨村の文章は、世に拗ねず、阿ず、一心に趣味に投じた潔さがある。
夕方、孫たちを保育所に迎えに行き、帰宅途中の公園で日が沈むまでしばし遊ぶ。
孫たちに妻手作りのお弁当を食べさせていると、長男の奥さんが仕事から帰宅。
孫たちが入浴を済ませる手伝いをして午後9時頃、長男宅を辞する。
9月30日(水)
クロモリロードでポタリング。書店で新刊チェック。
夕方、孫たちの保育所迎え、前日同様、妻の手作りお弁当で夕食。
長男の奥さんが前日より早めに帰宅。
孫たちの入浴を済ませて、午後8時頃、長男宅を辞する。
10月1日(木)
今日は、子守はなし。
午前中、散髪。午後からクロモリロードでポタリング。
街道の案内を読む。
気持ちの良い一日。
2年6ヶ月 ― 2020-10-08 13:19
隠居生活に入り、2年6ヶ月が経過した。組織人としての垢はすっかり削ぎ落とされて、凡庸な老人として順調に老いつつある。
しばらくは凪のような静かな時間を過ごしたい。基本は一日二食(朝と晩)の生活で胃腸を休め、朝は午前8時過ぎにしっかと朝食をとり、午後4時半には入浴、午後5時半頃夕食。
昼間はジョグ&ウォーキングかクロモリロードでポタリング。緑陰や喫茶店で読書、戸外のトイレや公園はかなり把握した。複数の市立図書館を利用しているので、クロモリロードで出かけて、予約本を受け取ったり、書架を眺める。意外な本との出会いもある。
コロナ後のジョグやロードバイクで走った距離は
2020年4月
ジョグ&ウォーキング 252km
ロードバイク 130km
5月
ジョグ&ウォーキング 250km
ロードバイク 239km
6月
ジョグ&ウォーキング 141km
ロードバイク 390km
7月
ジョグ&ウォーキング 123km
ロードバイク 186km
8月
ジョグ&ウォーキング 43km
ロードバイク 557km
ロードバイクに関しては、10年前のような100kmから200kmほど一日中走るということはできなくなっているけれど、のんびりと街を散策する感じで乗っている。
しばらくは凪のような静かな時間を過ごしたい。基本は一日二食(朝と晩)の生活で胃腸を休め、朝は午前8時過ぎにしっかと朝食をとり、午後4時半には入浴、午後5時半頃夕食。
昼間はジョグ&ウォーキングかクロモリロードでポタリング。緑陰や喫茶店で読書、戸外のトイレや公園はかなり把握した。複数の市立図書館を利用しているので、クロモリロードで出かけて、予約本を受け取ったり、書架を眺める。意外な本との出会いもある。
コロナ後のジョグやロードバイクで走った距離は
2020年4月
ジョグ&ウォーキング 252km
ロードバイク 130km
5月
ジョグ&ウォーキング 250km
ロードバイク 239km
6月
ジョグ&ウォーキング 141km
ロードバイク 390km
7月
ジョグ&ウォーキング 123km
ロードバイク 186km
8月
ジョグ&ウォーキング 43km
ロードバイク 557km
ロードバイクに関しては、10年前のような100kmから200kmほど一日中走るということはできなくなっているけれど、のんびりと街を散策する感じで乗っている。
昨日は緑陰で「谷口ジロー 歩くひとPLUS」を読んだ。
なにげない凪のような時間を過ごすのは悪いことじゃない、むしろ年老いていく自分に同化していく面もあるかもしれない。「年齢は気持が決める」なんていうのは妄言だろうし、「若い者には、年寄りは務まらない」とマッチョ化しない生き方がいいかもしれない。
(日本の高名な女性の作家や評論家・政治家は、名誉男性化(オヤジ化して眷属に属していくこと)していく傾向があるけれど、この本はほんまもんの知性を感じさせる。)
谷口ジローがあとがきで
「人間や動物は、本来静かな生き物だと思っています。密やかに生きることで身を守ってきました。大声で叫んだり泣いたりする人々の姿を日常生活ではあまり見かけないように・・・。
つまらない日常の小さな出来事だと思われているものでも、ようく深く観察してゆくと、そこに一つの物語が浮かび上がってきます。私はそれらのエピソードを掬(すく)い上げてマンガ表現出来ることを学びました。
それが「歩く人」だったのです。」
と書いている。
「物語優先ではなく、登場人物の感情表現」をいかに自然に伝えるか、そのことは物語優先の現役時代と異なり、隠居生活の感情優先の生活と同調するものがあるかもしれない。
つまらない日常の小さな出来事だと思われているものでも、ようく深く観察してゆくと、そこに一つの物語が浮かび上がってきます。私はそれらのエピソードを掬(すく)い上げてマンガ表現出来ることを学びました。
それが「歩く人」だったのです。」
と書いている。
「物語優先ではなく、登場人物の感情表現」をいかに自然に伝えるか、そのことは物語優先の現役時代と異なり、隠居生活の感情優先の生活と同調するものがあるかもしれない。
昨日もクロモリロード図書館に行き、予約本を受け取る。近くで開催されていた「喫茶店の時代展」を覗いてみる。
そのあとブラブラ走っていると、「そういえばこのあたりで新しい店がオープンしていたな」と思い出したが、何の店だったか肝心なことを思い出せない。スマホで和菓子・ケーキやカフェと検索してみたが、それらしい店に行き当たらない。
偶然、新しいパン屋に検索で行き当たったが、どうもこれじゃないけど、せっかくだからと立ち寄ってみた。
ブレッド スタイル ソプラノ 伊丹店、近畿中央病院の敷地内にある。
昨年6月に念のため精密検査でこの病院で受診したときには、この店はなかった。
調理パン、惣菜パンや健康志向のライ麦、おから、大豆粉、アマニなどを使用したパンが並び、店内に併設されたカフェでイートインも可能。
ライ麦パンなどを自宅用に買って、イートインコーナーで珈琲と蒸しパンでひと休止。ちょっと休むには(ロードバイクも駐輪しやすいし)、いい店やね。
帰宅後、妻に確認するとお目当ての新店舗はドーナツの店だった、こんど立ち寄ってみよう。
夕方は長男夫婦の息子二人の保育所迎え。先週から長男が残業続きのため、孫守ヘルプをすることが多かった。エネルギー満載で無駄に走り回る5歳と2歳の男児、こちらもそれなりに疲れる(苦笑
脳が成長する孫たちには、頭ごなしに注意するのではなくキチンと言葉で説明する、老化の進む義父母たちには言葉ではなく、こちらが率先して動くことで感情としてわかってもらうことが大切かもしれないなと、最近は心がけている。
夜は読書して、録画している居酒屋番組(太田和彦氏、吉田類氏の番組)、紀行番組、スポーツ番組を見ることが多いかな。地上波のバラエティー番組、ワイドショーなど喧しい番組は一切見ない。
マスコミや官僚が「忖度する時代」から「萎縮する時代」へと移り変わっているような気がする、それを増長させているのが地上波の番組だから、マイナスの磁場に立ち入るほど自分の余生はそれほど長くないだろうしね。
河川敷に忘れられたボールでバスケットゴールにシュートを何度か試みた。すぐに息が上がった。順調に老いている(苦笑
ポートランド ― 2020-10-11 22:44
2020年10月9日(金)
台風の影響だろう、冷たい雨。
今日はバスと電車で街をブラブラ。
台風の影響だろう、冷たい雨。
今日はバスと電車で街をブラブラ。
車中で「雑貨の終わり」を読む。仕事をしていてよかったことと言えば通勤電車で読書できたこと。会社まで各駅停車で通勤していたが、確実に座れて30分ほど集中して読書できる。ときおり半休して京都まで出かけて、途中の電車、そして京都の喫茶店で読書して帰宅するということもしていた。
なぜか電車の中では読書がはかどる。電車の適度な振動、そして昼間の空いた時間帯(コロナのためより車内は静かになっている)にときおり車窓に目をやって読書、いい時間だ。
雑貨化する世界を評論するというより、私小説のような、村上春樹の短編に登場するような人物が表現されていて、説明しがたい魅力がある本。触発された目次は、
ふたりの村上
「Casa BRUTUS特別編集 音のいい部屋」で音楽部屋が公開されていたけど、センスのよい雑貨が配置されている。
アメリカ版村上春樹公式サイトでは書斎も公開されている。
なぜか電車の中では読書がはかどる。電車の適度な振動、そして昼間の空いた時間帯(コロナのためより車内は静かになっている)にときおり車窓に目をやって読書、いい時間だ。
雑貨化する世界を評論するというより、私小説のような、村上春樹の短編に登場するような人物が表現されていて、説明しがたい魅力がある本。触発された目次は、
ふたりの村上
「Casa BRUTUS特別編集 音のいい部屋」で音楽部屋が公開されていたけど、センスのよい雑貨が配置されている。
アメリカ版村上春樹公式サイトでは書斎も公開されている。
この本でも紹介されているが雑誌「アルネ」の自室公開も珍しいことだったのだろう。この貴重な雑誌は手元にある。
村上春樹の小説は雑貨と比喩がふんだんに散りばめられた文章で成り立っている。まさしく文学の雑貨化、だからこそ村上の小説は深みがないとか、なにをいいたいのかわからないとか、男性のご都合主義を顕在化させているとか批判されるんだろうな、私はその意見には与しないけど。
雑貨化した世界のなかで、私小説とは違う、そして欲望のみに翻弄される人間を描く文学とは異なる分野を表現したのは村上春樹の小説ではないかなと思う。
雑にいうと最近の小説は深刻ぶっていて、面倒な人と対話している感じがする(苦笑
その内弁慶的な文壇小説が、世界では通用しないんだろうな、別に通用しなくともいいけど。
べつのポートランドで
雑貨とポートランドは対で語られることが多かったようだ。カルチャー的な雑誌では、自転車に優しい街として紹介されることも多く、フレームビルダーも多くいるようだ。
流行を起爆させようとする雑誌や執筆陣は、「ポートランド」を魅力的な雑貨化したかったんだろうが、それが褪せれば別の「ポートランド」を探し出して提示することになるのだろう。
水と空
「すべてをお金に変えてしまう資本の流れも、SNSのような数値化された人間関係のゲームもないところ。亀山さんと古いライカのあいだには、自分を救済するために、じぶんだけのやりかたで手にいれた、ひとと物との静かなつながりがあった。」(同書219頁)
夫を亡くした亀山さんは、夫の残したカメラ・ライカでひたすら近所の神田川の川面を撮り続ける。まさしく村上春樹の短編小説を読んでいるような感覚。
ポートランド関連で雑誌PaperSkyを再々読。
この号は秀逸やね。高知の田舎寿司も丁寧に紹介されているし。
あとポパイの「第2特集 自転車があれば。」を読む。
自転車乗りのスナップ写真が掲載されているが、日本人の愛車は総じて綺麗だが、外国の自転車はけっこう使い込んでいる(錆びて汚れが目立つともいう)。たぶん外国では自転車が盗まれることが多いので、使い込んでいると目立つほうがいいのかもしれない。
10月10日(土)
午前8時半から午後4時半まで孫2号の子守。
午前、武庫川河川敷などで1時間ほど遊ぶ。帰路、ママチャリのチャイルドシートでいつものごとく寝始めた。そのままでは危ないので、私が1kmほど抱いて帰宅。ちょっとした筋トレ、されど落とすわけにはいかないので慎重さも必要。
帰宅するとパチッと目を覚ます、昼寝時間45分。
昼食を食べさせ、室内で遊んだが退屈するので、再度、近くの公園へ連れて行く。
1時間ほど公園の遊具で遊ぶ。
帰宅後、お気に入りのぬいぐるみを抱いて、自分で午後2時半過ぎに眠り始めた。
そばで読書する。
午後4時過ぎに、長男と孫1号が来宅。午後4時半、孫2号、午睡から目覚める。
孫二人を入浴させて、午後6時から夕食。仕事を終えた、長男の奥さんも来宅。
午後8時過ぎに、長男夫婦・孫らが帰宅。
12時間に渡る子守、老夫婦、かなり疲れる(苦笑
とはいえ孫2号は喜怒哀楽のハッキリした男の子なので、順調に育って欲しいと願っている。

10月11日(日)
図書館の蔵書の延長・返却などはスマホアプリ・ジョルテで管理しており、そのスケジュール予定は前日の午後10時と当日の午前9時にMi Smart Band 4に通知されるように設定している。
にもかかわらず、宝塚市立図書館で借りている蔵書延長の処理を忘れていた。
昨日は孫の子守に集中していたからだろう(苦笑
クロモリロードで宝塚図書館へ。蔵書を返却。
それから伊丹市立図書館へ。準備されていた予約本3冊を借りる。
先日、クロモリロードのサドルを数ミリ上げた。長期間弄っていなかったが、すこし下がっているようで窮屈な感じ。サドルを上げて、シートポストにマーキング、ふむ、違和感はなくなった。
ワークマンでジョガーパンツを購入。ワークマンにしては4000円弱と高価(笑
晩秋、クロモリロードで散歩するには、使い回しのよいパンツみたいだ。
30kmほど、のんびりと散歩。
ポートランドは当然ながら、海外旅行にはしばらく行けないだろう。
でも近場の散歩だからこそ、ゆったりした時間を持てるかもしれないね。
年長 ― 2020-10-20 22:08
気温の寒暖差が激しい。とくに激しい運動をしていないのに、右膝に痛みがある。たぶん急な気温低下で、古傷が痛み出したような気もする。ジョギングはできないので、ここ数日はウォーキングやクロモリロードでポタリングのみ。
とくに変わらない生活。孫の誕生会に参加したり、土曜と月曜は孫守のヘルプ。
SNSには積極的じゃないので、読書していることが多いかな。
最近読んだ本。
愚痴らない
威張らない
ご機嫌でいる
というのは、期せずして隠居後の私の基準と同様やね。
あとひとつ足すとすれば
群れない
ということかな。
Googleのストリートビューは色々な景色を俯瞰しているが、そこには高低も風も匂いもない世界。
風と匂いのある世界に、まだまだいるようにしようか。
犬も歩けば赤岡町 ― 2020-10-24 21:33
季節の変わり目にめっぽう弱い、今回も年中行事のように風邪をひいた。
咳が出て、やたら眠くなるといういつもの症状、でもこんな時節なので、外出せずに数日寝て安静にしていたら咳も治まり、身体の鈍重さも無くなった。
ただ膝の痛みは少し緩和されたとはいえ、本調子ではない。
サブスリーランナーの次男が家に残していったサポーター類が多くあるので、右膝に装着。ストレッチなどをしながら様子見といったところ。
咳が出て、やたら眠くなるといういつもの症状、でもこんな時節なので、外出せずに数日寝て安静にしていたら咳も治まり、身体の鈍重さも無くなった。
ただ膝の痛みは少し緩和されたとはいえ、本調子ではない。
サブスリーランナーの次男が家に残していったサポーター類が多くあるので、右膝に装着。ストレッチなどをしながら様子見といったところ。
こんな本を読んだ。
赤岡町もそうだが、高知の空って広くて、京阪神とは光が違う。
高知の光は非常に強いけれども透明感がある。瞼を閉じて光を浴びると、その透明感を感じる、うまく表現できないけれど。
うかうかと人生を過ごしてきたが、先送りせずに旅にも出て行きたいな、もちろん遠くでなくとも(海外は当面無理だろう)、どこにでも旅は存在するだろう。
さんざめく孤独 ― 2020-10-29 22:46
ボーッと生きていることが多くなった、とはいえ無駄に走り回る孫たちの子守ヘルプで時折覚醒する(苦笑
風邪は治り、右膝の痛みも緩和されてきたが、しばらくは様子見、クロモリロードで図書館を回って毎日20〜30kmほどポタリングする生活。
ロードバイクの静謐さは街乗りとはいえ、気持ちいいね。
風邪は治り、右膝の痛みも緩和されてきたが、しばらくは様子見、クロモリロードで図書館を回って毎日20〜30kmほどポタリングする生活。
ロードバイクの静謐さは街乗りとはいえ、気持ちいいね。
村上春樹の短編集を読了。
「品川猿」の
「私はこうしてこの心に(と言って猿は自分の毛だらけの胸に手のひらをあてた)、かつて恋した7人の美しい女性のお名前を大事に蓄えております。私はこれを自分なりのささやかな燃料とし、寒い夜にはそれで細々と身を温めつつ、残りの人生をなんとか生き延びていく所存です。」
という文章に惹かれる。
「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」
では14歳頃からのガールフレンドのことを思い出した、村上春樹の短編小説は誤解を恐れず言うと、恋した経験の多寡(いいとか悪いとかではなく)によって、「ここには自分がいる」「表現できなかった思いが小説の中にある」と思い起こさせる契機になるんじゃないかな。
という文章に惹かれる。
「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」
では14歳頃からのガールフレンドのことを思い出した、村上春樹の短編小説は誤解を恐れず言うと、恋した経験の多寡(いいとか悪いとかではなく)によって、「ここには自分がいる」「表現できなかった思いが小説の中にある」と思い起こさせる契機になるんじゃないかな。
ネットを離れて、ポタリングの途中、ポメラDM100で(DM100はモバイルワープロだから)昔の自分の「さんざめく孤独」(それは人生訓としての孤独じゃない)を文章化している。過去を反省することはあっても悔やむことはない生活だったが、村上春樹の小説を読み始めた40代、私は合理的な生活に倦んでいたんだろうな。
意外と人生は、確率論的には低い出来事が、分岐点で生じてしまう。だから村上春樹の短編(とくに女性との交流を描く作品)を陳腐だとは思わない。
そんな出来事が私にもけっこう存在したなと、この小説を読みながら思いだした。
あとは土佐の赤岡町に興味があったので、下記2冊を読了。
旅に行けないので、旅の本も読んだり、
三栄書房の本をAmazon Kindleでいくつか読む。この出版社はいろいろな雑誌を発刊するけれど、あまり長続きしない雑誌も多い。でも視点が紋切り型じゃなくて(既存の雑誌はほとんど滅びかけているだろう)、読んでいておもしろい雑誌が多いね。
秋晴れ、しかし膝痛があるので、ジョギングやウォーキングは控えている。
こんなときクロモリロードは膝に負担が少ないので、しばしのんびり走ることになるだろう。
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