ぼっちの残暑2019-10-02 21:23

2012年10月1日〜2日

1日(火)

10月になった、されど残暑が厳しい。
強い太陽の光を惜しむように、武庫川ウォーキングに出かけた。

髭の茶屋跡のコスモス畑は、この曼珠沙華が終わってから開花し始めるだろうか。

川は時として人々に洪水などの災いをもたらすけれど、同時に人の営みを豊かにしてくれるものでもある。川が近くにあると、そして街中の川沿いは整備されているのでジョギング/ウォーキングしやすい。

宝塚市役所で引き返して公園でミニ筋トレして帰宅。


12.7km

夕方、孫たちを保育所に迎えに行く。いつもは機嫌のよい孫2号(1歳)の機嫌が悪く、入浴時も食事時もむずかることが多い。一歳となり、いつまでもニコニコしてはおられない、不満はちゃんと主張しなければという次男坊なりの自我の発達かもしれないね。

2時間ほど孫守して帰宅。

先週から孫守が多く、やはり疲れるので、午後10時過ぎには就寝。

2日(水)

午前7時半起床、ぐっすりと寝た。

曇り空、雨雲レーダーをチェックすると、雨雲が通過しそうなのでウォーキングで西北に向かう。西北の図書館で本を返却し、数冊本を借りて、ジュンク堂で新刊をチェック。

余生を考えると蔵書を増やすことは望ましくないだろうから、電子書籍か図書館を利用することが多い。図書館は旧い本があるので、流行に左右されない読書生活ができるね。

ウォーキング 9.8km

10月になった。
ぼっち生活は基本変わらない。今月は2回ほど飲み会が入っている。
ひとつは旧職場の退職者の送別会。たしか定年前の退職だったはずだが、身体に不自由なところがあるので子供さんの独立を経て、早めに退職するのだろうか。金銭的な面はもちろん無視できないが、一回きりの人生、組織人としてのみ生きなくてもよいだろう。

もうひとつはいつもの女友達らとの飲み会。店はかなり前に私が予約している。
気のおけない友人なので、楽しい夜になるだろう。

今日は公園のベンチでサンドイッチをほおばり、缶ビールを飲みながら、音楽を聴いていた。ぼっちもいいね。




早く家へ帰りたい2019-10-09 21:20

隠居なれど義父の通院補助、孫の子守など、そして自分がちょっと風邪気味で養生したりしていた1週間だった。

義父も次第に弱っている気配もあり、かたや4歳、2歳と1歳の孫はかわいい盛り、人の季節の巡り会いは不思議な感もする。

こんな詩集を読んだ。
早く家へ帰りたい
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早く家へ帰りたい


   1

旅から帰ってきたら
こどもが死んでいた
パパ― と迎えてくれるはずのこどもに代わって
たくさんの知った顔や知らない顔が
ぼくを
迎えてくれた
ゆうちゃんが死んだ
と妻が言う
ぼくは靴をぬぎ
荷物を置いて
隣の部屋のふすまをあけて
小さなフトンに横たわったこどもを見
何を言ってるんだろう
と思う
ちゃんとここに寝ているじゃないかと思う
枕元に坐り
顔を見る
頬がほんのりと赤い
触れるとやわらかい
少し汗をかいている
指でその汗をぬぐってやる
ぼくの額からも汗がぽたぽた落ちてくる
駅からここまで自転車で坂道を上がってきたから
ぬぐってもぬぐっても落ちる
こどもの汗よりも
ぼくは自分の汗の方が気になった
立ち上がり
黙って風呂場に向かう
シャワーで水を全身に浴びる
シャツもパンツも替えてやっとすっきりとする
出たら
きっと悪い夢も終わってる
死んだはずがない


   2

こどもの枕元にはロウソクが灯され
花が飾られている
好きだったおもちゃや人形も置かれている
それを見て
買ってきたおみやげのことを思い出す
小さなプラスチック製のヘリコプター
袋から出して
こどもの顔の横に置く
(すごいやろ うごくんやでこれ)
ゼンマイを巻くと
プロペラを回しながらくるくると走る
くるくるとおかしげに走る
くるくるとおかしげに走る
その滑稽な動きを見ていたら
急に涙がこみあげてきた
涙と汗がいっしょになって
膝の上に
ぽたぽたと落ちてきた


   3

こどもの体は氷で冷やされ
冷たく棒のようになっていた
その手や足や
胸やおなかを
こっそりフトンの中でさする
何度も何度もさする
ぼくがそうすれば
息を吹き返すかもしれないと
ぱっちりと目をあけ
もう一度
パパ― と
言ってくれるかもしれない、と


   4

みんな帰った
やっとひとりになれて
自分の部屋に入っていくと
床にCDのケースが落ちていた
中身がない
デッキをあけると
出かける前とは違うCDが入っていた
出かける前にぼくの入れていたのは大瀧詠一の「ビーチ・タイム・ロング」
出てきたのは通信販売で買った「オールディーズ・ベスト・セレクション」の⑩
デッキのボタンを押すたびに受け皿の飛び出してくるのがおかしくて
こどもはよくいじって遊んでいたが
CDの盤を入れ替えていたのはこれが初めてだった
まだ字も読めなかったし
偶然手に取ったのを入れただけだったのだろうが
ぼくにはそれが
ぼくへの最後のメッセージのように思われて
(あの子は何を聴こうとしたんだろう)
一曲目に目をやると
サイモン&ガーファンクル「早く家へ帰りたい」
となっていた
スイッチを入れる
と 静かに曲が流れだす
サイモンの切々とした声が
「早く家へ帰りたい」とくり返す
それを聴きながら
ぼくは
それがこどもにとってのことなのか
ぼくにとってのことなのか
考える
死の淵からこの家へ早く帰りたいという意味なのか
天国の安らげる場所へ早く帰りたいという意味なのか
それともぼくに
早く帰ってきてという意味だったのか
分からないままに
日々は
いつもと同じように過ぎていく

ぼくは
早く家へ帰りたい
時間の川をさかのぼって
あの日よりもっと前までさかのぼって
もう一度
扉をあけるところから
やりなおしたい
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4歳を目前にして難病の子供を亡くした詩人のレクイエム詩集だ。小さな子供が亡くなるのは当然に残酷なことだし、普段は読まない題材だ。でも夏葉社が再刊したのは「子育てへの愛」への表現に私的なものだけではない普遍性があるためだろう。
運動会で母親に引かれる孫2号

長男夫婦も次男夫婦も、私たち以上に子供を慈しみながら育てている。慈しみながら育てるとひとことで言うのは簡単だけれど、一歳から四歳の子ども達三人は、当然ながら手もかかるしやんちゃもする。親は子供が生まれたときに長い長い青春を終わらさざるを得なくなる、それが人生の春から夏の時間へと続くのかもしれないね。

高階杞一の別の詩。
高階杞一詩集 (現代詩人文庫 (1))
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「人生が1時間だとしたら」

 人生が1時間だとしたら
 春は15分
 その間に
 正しい箸の持ち方と
 自転車の乗り方を覚え
 世界中の町の名前と河の名前を覚え
 さらに
 たくさんの規律や言葉やお別れの仕方を覚え
 それから
 覚えたての自転車に乗って
 どこか遠くの町で
 恋をして
 ふられて泣くんだ

 人生が1時間だとしたら
 残りの45分
 きっとその
 春の楽しかった思い出だけで生きられる

            ・・・詩集「春’ing」より
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長い長い春も無駄ではないのだろう。

秋めいてきた、台風も近づいている、明日は最後の夏日のようだ。

平凡な日常が続いていることを空に感謝しながら、明日も孫守のお手伝いなり。




独りを慎む2019-10-14 21:44

関西は台風19号の影響はあまりなくて、近辺も被害はない。しかし、阪神淡路大震災を経験した者としては、地震・台風・竜巻などの自然災害に関して、なかなか自然は手強いなと思う。震災時はまだ41歳だったが、高齢となって自然災害に立ち向かうのは正直しんどい、そして気力も減退しているから、火事場の馬鹿力を発揮する必要のないことを願うばかり。

義父の介護の手伝い、孫の子守などとくに変わらない日々、だがその平凡さが大切かもしれない。

凡々と「独りを慎む」生活をしていきたい。

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「孤独を楽しむ」に対して、「独りを慎む」という言葉がある。「君子は独を慎む」という中国の諺から来ている。「君子は他人がいないところでも自分の行いを慎んで、道にそむくようなことをしない」の意。
 向田邦子さんは三十代のなかば、テレビのシナリオライターとして活躍するようになってから、親元を離れ、マンションでひとり暮らしをするようになった。
 ある日、気がつくと家にいた時よりも行儀が悪くなっている。ソーセージをいためてフライパンのなかからそのまま食べている。風呂から上がって下着だけつけたところへ電話が鳴り、誰も見ていないことをいいことに、そのままの姿で電話に出てしまっている。
 これではいけないと、向田さんは「独りを慎む」という諺を思い出し、自分を戒めたという(「男どき女どき」新潮文庫)

川本三郎「東京暮らし」独りを慎む
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孤独力とか孤独を恐れないとか大上段に唱えるより、「独りを慎む」ってひっそりとしていていいな。そんなふうに生きたいね。

今日は体育の日、長男夫婦の息子がストライダーの大会に出るので応援&孫守手伝いのため阪神尼崎近くのスタジアムまで出かけた。よく回るホイール、タイヤ交換してバイクのカスタマイズしているのは、ロードバイクと同じやね。




3歳の孫1号は準決勝まで進んだが、カーブで転倒して決勝には進めず。スポーツにしろ、勉強にしろ子ども達が幼い頃は、本人より親が熱心になることが多い。でも生きていくっておもしろいなという経験を孫たちにはしてほしいね、もちろん利発な息子たちだからそのへんはよくわかっているだろう。

夕方は長男夫婦らとイタリアンで夕食。がんばった孫たちを思い切り褒めてあげた。



因果応報2019-10-19 21:29

昨夜は三宮で旧職場のメンバーと食事会。男性3人、女性4人のこぢんまりとした集まり、適度に話がはずんだ。男性のひとりがいろいろな事情で定年退職を数年残して、8月末で会社を退職、その送別会も兼ねている。

会社を退職した経緯を聞くと、組織も「貧すれば鈍する」傾向があるようだ。
合理性を重んじる人は「自分が合目的で、健康で強者である」というリズムに自らを委ねる傾向がある。自分自身、若い頃はその傾向があったので正直そのような価値観に親和的だ。

だがほとんどの人間は強者でありつづけることはできない。退職した人に対峙した「合目的で健康で強者である」と思い続けている人は、単に「強気を助け弱気をくじく」立ち位置にいることに気づかないだろうし、自分が弱者になることも想像できないだろう。

因果応報という言葉が死語にならない社会のほうがいいな。

7人中、会社の現役はひとりのみ、全員が旧組織人としてまた集まるのもそう遠くはないだろうね。

ひさしぶりに美味しい肉とお酒をいただいたので、かなり元気になった。

今日は小説を一冊読了。
ビニール傘

この連載で作者に興味をもった。


二十歳の頃、西日しかあたらない共同トイレ・四畳半のアパートにひとりで住んでいたことを思い出した。十分に貧しかったけれど、人に恵まれて老人になれたのだろう。


小説の舞台が、このジョギングコースと重なる。

部屋から眺める街、街路から眺める街はそれぞれ屈折するように差違があるかもしれない。



身体の収支関係2019-10-25 13:07

風邪気味だ。今年の5月くらいからずっと気管支炎・喘息気味の症状がある。病院で服薬しても直らない、そして急に寒暖差が生じると、てきめん風邪をひいてしまう。加齢とともに、免疫力が低下しているのだろう。

66年間、身体を休むことなく(休ませたら死んでいく)使ってきたので、当然ながら老朽化しているのだろう。もちろん機械と違い、部品交換するわけにはいかないので、余生と養生という「身体の収支関係」も考慮にいれなければならないだろうね。

散歩以外は読書していることが多かった。
武庫川のコスモス畑にて

岸政彦氏の自伝的エッセイ「給水塔」がおもしろかったな。

著者は名古屋から関西の大学に進学して、そのまま大阪市内やその周辺に住んでいるようだ。
私も京阪神に住み始めて40年以上が経った、故郷の高知には19年しか住んでいない。

「とにかく街全体が反抗やルール違反や独自性でなりたっているような大阪という街が好きだった。」(同書106頁)


次男が、大阪下町育ちの女性と結婚して、奥さんの育った町で暮らしている。
もともとそこは港湾労働者の街、たぶん親世代は地方から出てきて知り合って結婚し、ちいさな一戸建てか分譲マンションを購入、二人ほど子供ができて、子ども達は大学進学というコースを辿ったケースが多いのではないか。

多くの市民は金持ちではないが貧困ではない、それが2000年までの大阪・京阪神だったと思う。

このエッセイを読んでいると、肉体労働のアルバイトに励んだ学生時代を思い出した。励むと云っても、怠惰なので、一ヶ月の生活費を稼げればよかった。奨学金+バイト代で生活、学費は国立大学だったので授業料免除制度を利用して、4年間で1万8千円しか負担しなくてよかった。

プータローのアルバイト生活から「やっぱ大学進学しないとやばいな」とおもって大学受験したが、合格したのは立命館大学と地方国立大学のみ。生活に追われるのがイヤだったので関西から授業料の安い地方国立大に進学したけど、地方の学生生活は生活費も安くて、暮らしやすかったね。

就職で京阪神に戻ってくると、やっぱ生活費で給料のほとんどは消えた。

肉体労働のアルバイトは、新聞配達住み込み、建設現場、料理店裏方(調理補助)、引越バイトなどシンプルなもの。長髪で頑強な雰囲気の身体だったので(街で絡まれたこともない)、建設現場ではゼネコンの社員にもイヤごとは言われなかった。

ビル工事現場に何人かの大学生バイトが入っていたが、現場監督の人に「仕事ありませんか、どんどん仕事ゆうてください」という男子学生がひとりいた。黒縁の眼鏡をかけ、短髪にしている、細身の身体だが筋肉質だ。

「なぜそんなに働きたいの?」と彼に尋ねると
「大学の応援部に入部しているんです。まもなく夏の合宿が始まるけど、先輩からの指導(シゴキ?)が半端なくキツいんで、それにいまから耐えられるように身体を鍛えておくんです。」と生真面目に答えた。

こいつマゾか、と思ったけど、そんな青春もあるんやね。

ただ彼は翌日は出勤せず、現場監督に尋ねると
「ああ、彼は急に盲腸になってバイトこれんわ」との返事。

夏の合宿前、肉体労働で身体を鍛え、先輩のシゴキを乗り越える前に、盲腸でダウン。
なんや、拍子抜けな奴やなと妙に脱力したことを今更ながら思い出した。


45年ほど前の出来事だけど、老人になったのだろう、本を読むと昔のことを思い出すことも多くなっている。

今宵は女友達らと三宮で食事会。いつもの気のおけないメンバーだけど、ひとりが所用があるので不参加、三人でこじんまりと食事して歓談する予定だ。



なんでもない日常2019-10-29 12:13

なんでもない日常を過ごしていく。

10月25日(金)

夜、JR神戸駅近くのマカオ料理の店で女友達らと会食。以前、別の友人と食事した店で、気に入ったので2ヶ月前ほどに予約していた。







マダムひとりが切り盛りする店だけど、あまり他にはない風味でおいしい。瓶ビール、ワインを飲みながら、皆で歓談。3時間ほどゆっくり食事してから、近場の居酒屋で〆の飲み会。

居酒屋の若いスタッフの女性が、「S駅からいつも電車に乗られていませんでしたか?」と女友達のひとりに話しかけてきた。ローカルな駅なので、その女性が学生時代から同じ車両に女友達も乗り合わせていたようだ。

女友達は印象強い美人なので、そのスタッフの女性も覚えていたのだろう。

駅で女友達とハグして別れる。彼女が二十歳の頃に出会い、そしてまもなく25年が経ち彼女も四十半ばの十分大人の女性になり、私は爺さんになった。

人生は意外と短い、切なくなる気分もあるけれど、感傷ではなく平凡な日常を生きれたらいいだろう。

10月26日(土曜)
クロモリロードで図書館巡り。

断片的なものの社会学

この人の文章が最近は気に入っている。エッセイとも短編小説のようにも感じられる。

10月27日(日曜)
長男夫婦と孫が我が家に食事にくる前に、軽くジョギング。
4.7km
武庫川のコスモス畑が賑わっている。



夕方長男夫婦と孫が来宅、3時間ほど我が家で会食。孫2号(1歳1ヶ月)がつかまり立ちするようになり、ハイハイして居間を移動し続ける。

孫1号にストライダー用のフルフェイスヘルメットを誕生日祝いにプレゼント。
ビール、日本酒、ワインと飲んで爆睡。

10月28日(月)
秋晴れ、午後からジョギングとウォーキングに出かける。


宝塚市役所付近まで走って、帰路はのんびりと歩いて帰る。

ジョグ7km、ウォーキング7km




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