ローカル2019-09-22 13:27

2019年9月19日〜21日

19日

木曜午後、孫1号のスイミングスクールの付き添いをして、スクール終了後公園で孫2号も合流して1時間ほど遊ぶ。

坂東眞砂子「わたし」を読了。

自身の高校から子ども時代へと遡る自伝的小説と銘打っているが、「事実」というのは多面的なものであり、ましてや小説家が描く学校時代・ローカルの風景は一筋縄ではいかないだろう。有名私立高校に進学した外見的には地味な少女が、その非凡な才能を学校生活の中では見せることはなかっただろう。

このような感想もあるね。


小説で出てくる「猿丸峠」とか「斗賀野盆地」の風景が気になった。

小学校時代の裏山に続く道の描写が、私にも高知の里山を思い出させる。

「木々に囲まれた静かな場所だった。谷間に作られた段々畑は、蓮華の花で桃色に染まっていた。小鳥の囀りがあたりに響き、太陽の光がほこほこと木々の新芽を包んでいた。あたりには誰もいない。優しい曲線を描く横長の段々畑が斜面に沿って下に続いている。穏やかで、平和だった。わたしはうっとりとして、畑の畦道を辿っていった。」


著者には「くちぬい」という田舎の閉鎖性をこれでもかと描いた作品がある。
自著を語る文章も、ローカルに対してなかなか辛辣だ。

『くちぬい』坂東眞砂子|RENZABUROスペシャルエッセイ ...



ただどこにも楽園はないだろう。対環境、対世間、対人、自分がどのように親和性を保つかそして、自分自身を無理なくなだめるかということも大切かもしれない。

坂東眞砂子氏は癌の末期、高知で人生を全うしている。

瀬戸大橋ができる前にあった宇高連絡船(私もなんどか利用したし、船上の讃岐うどんもよく食べた)で大学受験に向かう彼女はこういう

「瀬戸内海はつまらない海だった。わたしにとって、海は太平洋だ。
----中略-----
瀬戸内海は、わたしの考える人生だった。波風のない、目的の見えている人生。両親が、わたしに望む人生。わたしはそんな人生に足を踏みこむことが厭で、県外の大学を受験するのだ。しかし、その第一歩は、やはりこの瀬戸内海を渡ることだった。」


ローカルを離れる人の心性が顕れているけれど、昨今は日本自体が「つまらない海」になりつつあるかもしれないという思いもある。

20日
長男夫婦の次男(孫2号)の一歳の誕生日会を長男宅で開催。長男の奥さんが料理を用意してくれて、皆で食事してお酒を飲む。孫2号はご機嫌さん。大きな病気もせずすくすくと育ってくれている。

長男も次男もしっかりとした奥さんがそばにいるので、私たちも安心だ。

帰宅後、爆睡。

21日
阪神尼崎までウォーキング。尼崎下町をブラブラと見学。
ウォーキング16km

旅に出ようかと、丹波方面のガイドを購入。
ほとんどの場所をロードバイクで走っているけれど、加齢とともに100km以上連続で走る自信がなくなってきている。バスや鉄道旅して旅ランするのもいいかもしれない。

最近読んでいる本にこんなことが書かれている。

「作家井伏鱒二氏は生前好んで色紙に“こころがさわばがたびにいでよ”と書いた。心に鬱積するものがあれば旅に出るのが一番だ。それも一人旅がいい。なぜなら自分となら一番気が合うからだ。」

隠居なので鬱積するものは少ないが、元気なうちに一番気が合う自分と旅するのもいいだろうな。





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